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2022年9月21日 (水)

紅二代、習近平

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  昨日の続きから入りますよ、

   こちら、習近平のお父さん、習仲勲シィ・ヂォン・シュン

  の最後の字の 勲 の字がいま中国簡体字で上のように

  なりまして、最後の字は 伝 という字です。

   最近ふっと、したときに、あぁ~似てきたなぁ父親と・・

  と思わせるものがありますよね、

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   まぁまぁ、親子なんですからして・・・

  「太子党」って言葉はご存じでしたか??まぁ、日本でも

  結構使われてて、上の「紅二代ホン・アール・ダィ」も

  同じような意味でして、父親、習仲勲が革命第一世代、

  それこそ、毛沢東のあの一軍??で、その親族ってか家族ってか

  それを引き継いでいる世代ですね、

   中には、日本の国会議員のおぼっちゃん、おじょうちぁんの

  あの二世議員と大差なく考えておられる方がいますが、

   違います!!日本の二世議員のようなおんぶにだっこの恵まれた??

  その感じはないんです、逆に結構大変な思いをしてまして、

   そういう人たちを、紅二代と言いますし、そのかたまり?を太子党と

  言っています。まず、そこを押さえてください。

 

    さて、習近平氏はこれに当たるのはもちろんですが、

   お父さんの習仲勲をご存じの?日本の方は存外少ないんでちょっと

   お話しできるといいんですが、ここに色々書くと長くなりますし、

   語りきれるものでもないので、端折りますが、

   ごくごく簡単にわたしの思う彼を、

    この方は、当時文革を潜り抜けてまた、名誉回復なんかして登用

   されるのですが、結構、当時の中国にあってはよくものが見えていて、

   極論するなら、指導者として優れていたと思いますね。

    もっと彼にいろいろやらせてみたかった?というか、

    足を引っ張る人たちがいなければ、もっちょと中国も変わっていたかも・・

   とも思う。

 

     ちょっと調べてみてください。

 

     前年ながら、その息子の習近平が、

    彼(父親)から学んだものは、そうした政治姿勢ではなくて、

    どうして父親は周りから陥れられたか、

     なぜ父親は民衆は見ていたのに、政敵を見ていなかったか、の

    反省?から歩み始めたので、せっかくのすぐそばにいた最高の手本である

    父親の政治姿勢、民衆への対処、次の社会への足慣らし??などなど

    父親のそうした点に近づけばよかったのに 

    本当に残念ながら、父親の政治に対するその姿勢を踏襲することなく

    父親の無念?をはらすために自分の処し方を決めた。

      ですから、当たり前ですが、とても大きく父親の影響を受けてる。

    受けてはいますが、手本として?受けてはいなくて、

     自分は父親のようには、政敵に利用??されまい!!と

    思ったんでしょうね、

     それって彼が 下放シャ・ファン 分かりますか?農村へやられたとき

    くらいに、決意してると思います。

 

      実に惜しい!!

     すぐそば、父親というとても良い手本があったのに・・・

     まだ遅くないか??これから・・・・

     いやいや、この10年を見ているとちょっと、戻らないでしょ。

 

     すいません、

     かなり端折って書いてますので、何を言ってるのかわからない部分も

    あるでしょうが、

     彼・習近平という人物を形作るその根本のところに

    若いころの下放、文革、失脚、名誉回復、中南海、という

    歴史の奔流のなかで揉まれ、周りの様々な反勢力との葛藤のなかで

    つくられた彼の考えは、いかんとも歪んでいる。

 

     中国共産党の黎明期、父親・習仲勲は権力闘争の中にあって、

    それに翻弄され、自分のしたいことも出来なかった、そして

    それを見てきた、習近平が一番においたのが、

      ”権力”というところに問題?不幸?不運??がある。

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