「函館日中友好協会」来し方
この間、というのはわたしが会長をするようになって、
それ以後の活動を、振り返って・・・
昨日書きましたように、大したことはできなかった、
という自負?自責の念はあるのですが、
記録として、ちょっとだけ整理しておきたいと思い立った。
2002年からの記録です。
会長になったその年に、いきなり、
中国から大物??宋健中日友好協会会長がやってくる、
という、大変なことになってその受け入れに忙しかったのは
いまとなっては、思い出として・・・
多分、宋健会長以下お付きの人たち、劉徳有さんにもこの時
会えましたしね。函館に一泊だけですが、青函トンネルを
案内したり、大変だったなぁ・・・。
この頃、わたしは結構函館で、中国映画をかけるというか
上映するために、函館の映画自主グループに声かけて、
共同で何年か続けて、中国映画をかけてもらったのも、よい
思い出としてあります。今もやりたいのですが、一つには
出来のいい中国映画が少なくなってますよね、わたし自身が見たい
見てもらいたい映画が少ない。コンピューターを使った派手な
映画が多く、どうも今となっては触手が動かないが、この当時は
いい映画がたくさんあって、函館市民の普段は中国に関心のない
人たちにも映画を通して、中国を理解していただけたと思い
それなりに役割は果たせたと思っています。
「日中の糸をつぐむ集い」や
「もっと知りたい中国」や、秋岡先生にも来函いただいたり
「チベットの子供たちの絵画展」
「周恩来写真展」
などの展示や講演会も開催してまいりました。
独自の活動はそう多くはないですが
あとは、函館市やその他の団体との関係でそれぞれそれに参加協賛
共同での活動をして参りました。
中国との関係がいまとはまたちょっと違ってましたしね、
こんなに自由に中国からいろんな人が入ってくる時代ではなかったので
誰か人が来る=訪問団を受けるという
組織としての活動が多かった時代でした。
この点から見ても
今後の、日中の両国間の活動は、ちょうどいま、過渡期といいますか
違う段階に入ろうとしてますし、もう、入ってるんでしょうね。
次世代の運動に期待しています。
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