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2018年8月 4日 (土)

日中平和友好条約40周年

Yjimage  日中平和友好条約締結40周年
 記念の行事について
  昨日、一昨日と書いたので、
  この平和友好条約についての
 ご質問をいただいたが、
  わたしも、条約の中身を語るほど
 詳しくはないので、そちらは、他のところで
 あたっていただけるとありがたい。

   但し、
   わたしなりにこの記念の年に思うことはある。

   条約の意義やその当時の歴史的経緯については、
  若い方はみなさん、ネットか何かでお調べになり、すぐにわたしより
  詳しくなるので、それはそちらにお任せすることとして、
   わたしに中の?この条約の記念の年、40周年をちょっとだけ
  書かせていただくと。
    先立つ、1997年、鄧小平が副主席に・・・
   これが大きいですね。ほぼこの年のこの頃のことを
   今振り返って改めて見てみても、
   鄧小平のその存在が大きい。
    いろいろあるんだが、核のところだけ書くと、
   1978年10月。副主席としての初の訪問先に彼は
   日本を選ぶわけです。この条約の批准を看板?に。
    有名なあの「白い猫だろうが黒い猫だろうがネズミをとる
   猫はいい猫だ」理論?ですが、当時は恐らく中国側でも
   誰もその本質を理解していなかった。判ってたのは数人?
    そして、彼は「近代化」とも言った。この「近代化」を
   理解してる中国人は彼の傍にもそう何人もいなかった。
    彼は精力的、
   日産自動車、新日本製鉄、松下電器産業を訪れたあと、
   あの今でも話題になる、新幹線に乗るわけですよ。
    この辺ん彼の行動はわりと誰と会ってどんな発言をしたか、まで
   わりと詳しく当時も報道されている。
     が、この後の報道がない。
   それは、彼は帰国後の確か数か月後の
   北京での3中全会(共産党の全体会議)に出席。
     ここで、
    「改革開放」と言った。
     日本を訪問して、一番切実に、何より手を付けなくてはいけないのが
   彼をして
     「改革開放」と言わしめた。
    ですので、いきなりの結論になりますが、
   わたしにとっての
    日中平和友好条約は、とりもなおさず、
   鄧小平をして「改革開放」へ走らせた日本との関係であったと
   言えます。

     鄧小平というこのおじさんが凄いのは、
   この人、実に現実的で
   世界を見る目も、かなり独自のものを持っていた人でしたね。

    実はこっから、
   これがスタートで今の中国があるわけでして・・・
   それを書くと長くなるから止すが、
   今の中国が始まった年が、この1978年なんですね。
    そう覚えた方が早い。

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