ないよ、ないよ、没有、没有・・は、以前の中国
日本と中国の時代が逆転してるかのように思える。
どういうことかというと、
基本?日本に現れたその色々が、時代を経て中国での同じように・・
ってのが、大概の場合はそうなってる。
その辺は、中国に行ったことがなくともご理解いただけると思う。
行かれるともっと実感として、あぁこれ日本の何年前かな・・・ってな
感覚です。
それって、とりわけ20世紀に入っての両国の関係なんですが、
それもまた、お判りいただけると思う。
更にその前になると、中国文化を積極的に日本は模倣していた
わけですから、その時点での後先が、新中国になってから逆転して
るわけです。この点も程度の差はあれご理解いただけると思う。
さて、何が言いたいかというと、
このところの日本の政界、
聞こえて来るのは、「ありません。」の繰り返し。
中国語では没有メィ・ヨゥ!
これねぇ・・・
以前、どんくらいだろう、70年代・80年代、90年になっても
少し残っていたかなぁ・・・
中国で、とりわけお店で
始終きかされたのは、没有!!の二文字。
とにかく、こっちが何か言うとほぼ同時に、「没有!!ありません!」
と、きっぱり言われ、取り付く島がない。
(そう言えばわたしは子供の頃これを、取り付く暇がない、と
覚えていて、忙しくできないんだぁ、と勘違いしていた。
閑話休題)
つまり、ここのところ、政府答弁やその他のところで聞かされる
「ありません!」が中国の「没有!」にかぶって、
おいおい、いつから時代が逆転したんだぁ!!
ってな感じで、居心地が悪い。
中国のあの時代の、
「没有!」の一喝も、
ヒトを介して、ちょっと裏から探ると、
ないものが出てくるんですよ、これが。
その点でも、いまの日本、
かなり以前の中国にホントよく似ている。
但し、
但し・・・が、ついてですね、
日本の場合、地域限定でして、
永田町あたりの、
没有!!
ですが。
時代が逆転してるよね、はまだある。
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