中国ペット事情
5月号「わたしの見た中国」はペットについてです。
文中書いた、中国のお年寄りが朝、ぶら下げて公園に
向かっている様子は、こんな鳥籠です。
必ず、覆いをかぶせてましてね、
まぁ、鳥も気が散るでしょうからね、その為の布だとは
思いますが、一番最初見たときはちょっと、そのおじさんが
二つ籠を両手にぶら下げてまして、
しかもその両手は思いっきり振り回してまして、ぐんぐん
大手を振ってあるいてるわけです、
あんなにぶんぶん?振り回したなら中の鳥は・・・と
思い、ホントはあの覆いの中は空っぽ?なんじゃないの??
と、疑っていた。
その後その疑いははれて、
公園で覆いをはらったなら、な~んだ、ちゃんと鳥が。
おじさん曰く、
振り回すことによって、鳥はしっかりと止まり木につかまり、
ギュっと力を入れるので、鳥にも??鍛錬になるんだ、
と、言われましたけどね、どうかなぁ・・・・??
鳥の話が長くなってしまったが、
ペット事情について述べています。
まず、中国、ペットというのを置いておいても、
動物との距離がちょっと近い、近すぎる、
それは、その~食料としてですね、近い。
で、何が言いたいかと言うと、食料とペットは微妙でしょ
微妙なんですよ。
日本はそこを離して久しいのあんまりそうした認識がないかも
知れませんが、これが、近いんですよ、中国は。
それで、歴史的にはつい最近ですよね
その距離が中国でも保てるようになったのは。
実はかなり近年のことです。
最初はそのことを言いたかった。そして、それは
住宅事情なんかもあっての、そんな遅れ?でしたね。
そっからこんどは、
あの文のお終いの方の話題にもあるように、
一気に?日本でも見ないような、先へ先へと行ってますが、
これって、中国、ペットに限らずですがネ。
おっと、
ずっとわたしも、ペット、ペットと言ってますが、
これもう、この外来語に変えてはちょっと無理でしょ、
愛玩動物と言うのはもう、ちょっと・・・・
きっと明治の人はそう言っていたはずですよね、
ペットという言葉がないんだから。
ということは、このペットという言葉が定着したその
あたりが、日本のペット飼育時代のはじまりと言えるのかぁ??
となればですよ、
となればですよ、
中国の・・・
そうかぁ! 寵物という言い方が中国に入ったのは近近代って
ことか。
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