シェアすることの難しさ、 共享難
きのうの続きです。
しれませんが、
この手の問題は、自転車だけに限らず、
どこでも同じように、住まいを、自家用車を・・・と
色んなものを共同で使う、というところへ来ています。
この話題の発端は、
函館の雨傘もんだいですが、
こちらは日本・北海道・函館でのこと、
難しいのは、
このあるものを共有する難しさ。
これって、かなり高い道徳観というか、
一緒に使う相手の身になって考えることが求められます。
しかも、
その相手が見える?自分の知っている、或いは普段から
利害を共有している人だと見えてる??んですが、
それが、全く知らない人、
しかも、そこに何の罰則?も無ければ、
金銭的損失も生じない、
・・・・こんなに沢山の
道徳的関門があっては、ちょっと、難しい。
・・・・ですよね。
・・・・ですよね。
だから、失敗した。
つまりこちらの期待するほどの道徳観はまだ日本でも
持ちえなかった。
いっそ、そんな道徳観なんかに頼らずに??
共有をどうすれば問題なくできる??
というのが、
いまの中国の「共享ゴン・シャン」が向かおうとしている道です。
たぶん、この先、様々な問題はまだまだ発生するでしょう。
たぶん、この先、様々な問題はまだまだ発生するでしょう。
自転車が道路に乱雑に溢れていたとか、
返すべきものが返らない、
なんてな問題はそう遠くない将来に全て解決するでしょう。
ですが、そうしても
ですが、そうしても
必ずこの共有の部分には、ある、道徳観が求めれられる。
問題はそこをどうするか?
ですよね。
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