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2016年8月 9日 (火)

映画『あの子を探して』 『一個都不能少』 を見終えて

  昨日の教室は映画鑑賞でした。中国映画『一個都不能少』を中国語版

 で見ていただきました。如何でしたか?中文字幕をつけましたが、それでも
 筋を追うだけで大変でしたでしょうか。
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 映画のあらすじ自体はそう難しくはない。
 突然、一か月の代用教員?としてやってきた
 彼女。先生との約束は、生徒をしっかり見てること。
 必ず全員揃って自分がまた戻るまで何語もないよう。
 とりわけ、生徒がかけることがことがあってはならない。
  「一個都不能少」一人だってかけてはならない。
  それを守れたなら、一か月後自分が戻ったら60元あげよう、と約束。
  が映画の標題であり、この映画の基本?スジです。
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 突然先生になった彼女にしたところで、
 経験はないし、生徒の上の方の子とは
 年はもあまり変わらない。
  チョークを買うお金もままならない、
 そんな田舎の学校、田舎の生徒たちの
 貧しさがよく、この映画の主題であるかのように取り上げている評論も
 ありますが、まぁ、それは事実としてあるでしょう。それも一つですが
 この映画の本題はそこにだけあるのではないんですね。
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 男の子のが一人町へ、家が貧しいので
 家を助けるために仕事を探しに出かけ
 学校へ来なくなる。この先生、「一人かけても
 ダメ」の約束を守るため町までその子を
 探しに行きたい。(放題「あの子を探して」)
  ところが、街へ行くバス代さえ捻出できない。近くのレンガ工場で
  レンガを運べば工賃が貰えるとの生徒の提案で、工場へ行きレンガ
  を運ぶが、実際は迷惑がられるが、工場長の善意でお金にはなる。
  そのお金を得て意気揚々と学校へ引き返しえくる生徒たち。
   ところが、バス代を低く見積もりすぎてまるでお金が足りないことに
  気づく。さてそこで、それでは、レンガ工場のアルバイト?をあと
  どれくらいやれば、バス代が満たされるか?を計算。
U3219600199116680295fm21gp0 彼女の後ろの数字がそうですが、一体何個
 運び、それには、どれ位時間が、この生徒全員
 の数で割ったら・・・の実践?数学の時間。
  結局はそんなまどろっこしい?ことより、
 バスにみんなで押しかけて騒いでそのどさくさに
 紛れてただ乗りしちゃおう、と決定。
  乗れたが途中でばれて、バスを降ろされるが、
  先生はめげずに?歩いて、町へ。
   駅で見失ったというその子を探し、町をあちらこちらへ、どうやって
  探せばよいかもわからず、駅の迷子呼び出し放送で放送もしてもらい、
  「尋ね人」張り紙を自分で筆と墨を買って手書きで作り、
  それでもそんな方法じゃとても見つからないとの話を聴き、
  テレビで放映されれば、多くの人の目にもとまり、見つかるかも・・・
  との話を聞き、何の伝手も何の連絡法もないのに、テレビ局の門の
  前で、テレビ局局長に直談判しようと、待ち受ける。が、局長がどういう
  他人かも知らなければ、何の目当てもないのに門の前で必要に探す。
  一夜を門の前超し、その事が局長の耳に入り、テレビ局が動く。
   彼女の話題を、番組として取り上げる。
  つまり、村の貧しさ、経済格差の観点でこの問題が取り上げられる。
   が、彼女にすれば、この問題は“60元”の問題。
U20125664162569238864fm21gp0 それを経済格差・・というなら確かに、
 経済格差だろうが、彼女にとってはそんな
 格差なんか?どうでもいい。アナウンサーが
 綺麗な服を着てようが、スタジオがどんなに
 明るかろうが、そんなことはどうでもいい・・・
  その探している子を探し出せるなら・・・
   何かその子に向かって語ってください・・・と女性アナウンサーに
  促され、彼女は感極まって、つまり、この日ここに来るまでの大変さ
  に感情を揺り動かされ、「どこ行っちゃったのよ・・・」と涙ながらに
  話したその様子が多くのテレビを見ている人々のこころに訴えた。
    そして、探していた子が見つかるのは無論のこと、沢山の寄付金
  が集まったほかに、テレビ局は更にこの後の様子を放送するくらい
  この話題は世間を騒がす。
   彼女と見つけた子を村まで送るその様子そのものが番組となり、
  更には村に沢山の文房具の寄付などを届ける。
   村までやってきたテレビクルーは、その村の様子を、村人の様子を
  村の村長の様子を伝え帰る。
   その日の村人の様子を画面に映し、映像として捉え、それで帰る。
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これまで、見たこともないような、いろんな色の
 チョークを大量に貰った子供たちの嬉しそうな
 顔。こんなにチョークがあるのにそれでも
 一か月後の先生が買えるまでは無駄に使っちゃ
 ダメなんじゃないか?とも思うが、こんなに
 沢山あるんだから、みんな一人ひとり自分の
  好きな字を黒板にそれも思いっきり大きな字でチョークを沢山使っても
  いいから、順に黒板に書いてみよう!!
   ・・・・というところで、この映画終わりです。
   巷間、映画評論などで言われたのは、
  この中国の農村の貧しさと、都市部との格差と、
  農村部の子供たちの教育を受ける権利?と、経済の問題、でした。
    わたしが、見たのは、
  確かにそうした面は表面的には大きな問題としてありましたが、
  貧しさって・・・何だろう??ってことですね。チョークがないことですか?
  教育って何だろう??教科書を丸ごと覚え込むことですか??
  この先生が子供たちに教えてことは、何だったんでしょう。
  というのが、この映画から受けた印象です。
  そうした、観点を踏まえて今度は、日本語字幕付きの、日本語版でも
  結構ですからもう一度この映画、レンタルビデオショップでお借りに
  なるかして、どうぞご覧になって見てください。
   そして、更に今一度中国語版でご覧になりたい、とお思いの方は
  御申し出下さい。中国版映画をお貸しすることは可能ですが、
  いつも言っているように、リージョンコードの違いから、日本製DVD機
  では見れないことがあります。電脳なら大丈夫見れますし、超安い
  DVD機ですと、中国製・台湾製だったりして視聴可能です。
   ご連絡下さい。但し、一本しかありませんので、順番待ちになること
  はあるかも知れません。
    昨日はありがとうございました!
                                   函館日中

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