今週は、映画を紹介 「延安の娘」
今週は暫くぶりの、映画の紹介です。
但し、と言っていいのか、残念ながら、なのか
こちらは、中国が題材ではありますが、日本映画、しかも、
記録映画ですね、更に、もう10年も前の発表のものですが・・・。
この残念感は二つありまして、
一つは、中国映画に最近、見るべき優れた作品が少ない。
二つは、この題材も本来は?中国人が扱って作品として
見たかった。
一つ目の残念感は、
どの国も立て続けに優れた作品が次から次と発表される、
映画の黄金期があるんです。どの国にも。
大体はそれって、文化の成熟度に比例して発表されるので、
順に各国いい作品が発表され、暫くはアジアの時代が続くだろうと
わたしなどは期待していた。その期待を中国に求めていた。
まだまだ、描き切れていないテーマが中国には沢山あると
思えたし、それを作品に仕上げるだけの優れて人材が映画界を
取り巻いていると期待していた。
二つ目は、この作品は“文革”の時代を扱ったものなのですが、
これをこのまま記録映画とした点にちょっと・・・ね、というのと、
それを日本人作家に任せた??のも更にがっかり。
無論誰が描こうと自由なのです。
外から(中国人でないものが)作品に仕上げる良さもあります。
そんな本は数多く出ています。優れた作品も多数あります。
ただし・・・それが映像ともなればその数はグンと少なくなります。
それは何故でしょう。
それは、こうしたテーマを真正面から取り扱ったその立場が
どうしても、見逃すものが多いからでしょう。そうじゃないんだよなぁ・・・
という、点もあれば、そこは、違うでしょうとか、えぇ~そこですか?の
勘違い?も。
ということで、
この映画はドキュメンタリー。“文革”の下放された学生たちの中には
こうした話は数多くあったと思う。
父親も母親も認めず、里親に育てられた、娘が、
北京にする父親を探し当て、会う。
カメラはそれを追いかける。
会うまでのゴタゴタ、会ったその日の父親とその周囲の人たち。
会ったあとのその後の父親。娘。がテーマ。
もし、こうしたテーマで映画をそれもドキュメンタリーで撮るなら、
登場人物には多くを方わせない方がいい。話すことより映像でそれを
見せるべきだ。黄土高原、農民の表情、娘の涙、父親の困惑・・・
語れば・・・それを言葉にすれば、何かを失う、映像はそれを余すところ
なく見せてはくれるのだが、
ただ、問題は、語らない?映画を見せられた方にそれを受け取るだけの
準備があるかどうかだ。
多分この映画、中国ではこれからも公開にはならないでしょう。
ただ、言えることは、
これくらいのものは、中国で撮影をさせて貰えるようにはなった、
ということです。
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