あたるも八卦あたらぬも・・・ - 占いについて考える
今月号、ウェブ版「わたしの見た中国」ご覧いただけましたか?
をいつものように、あとで上をクリックしていただいて、
茶館『隗かい』のホームページよりご覧ください。
さて、その占いのお話ですが、
みなさんが占いを信じようと、信じまいとそれはどちらでもまぁ
この際、問題ではなく、
それよりも、ヒトはどうやら、ちょっと先を知りたい、覗いてみたい
という欲求はあるようだ。
それも、ずっと先の話ではなく、ほんのちょっと先で好い。
だからこそ、今日の運勢なんてなのが、誰も信じちゃいないのに
放送でもやるし、雑誌でもあるし、・・・さすがに新聞じゃやんないか。
いま思いついたのを一つ。
最近の中国の雑誌、とくに女性誌などもこの今週だの今月だのの
運勢欄があるんだが、わたしの不満は、これもっちょと中国らしく
やってもらえないかなぁ・・とかねがね思っている。
何で、占星術んなんだ?なんで××占いなんだ!!と。
ここはやっぱ、きちんと易で占ってほしいのになぁ・・・。
ということで、文章でももちっと、この八卦といいますか
易についても書きたかったのですが、これがまたどうして
結構深い。
深みにはまっちゃうと、あんなスペースではとてもとても
書ききれません。
それに深みにはまっちゃうともうみんなついてこれなく
なっちゃいますしね。
それくらい、歴史もあれば、なかなかに奥深いもんなんです。
それで、また一つ思い出した。
最近あんまり騒がれなくなりましたが、一時、風水ブームありました
よね。あれもまた、日本で風水占いなんてなこと言ってましたが、
あんな簡単なもんじゃないんです。
玄関に金魚鉢だかなんだか置いて、金色のものがあれば・・・
なんてな単純なお話ではなく、ですね・・・・これまた深いもんなんです。
話が脱線するときりがないので、
戻すと、
誰もが先を知りたい、知ったうえで、
それを心待ちにし、時にその災いを避けたい。
一歩?先を見れる
その人こそが、算命先生なわけ。
で、この算命先生どんな能力があるかというと、
伝統的?算命先生の古典的な能力はその過去のデーターに
ありますね。えいえいと積み上げられて膨大な過去の資料からして、
例えば顔相だと、ここに黒子のあるひとは・・・てな、
これだけじゃダメ。それだと単に確立の問題でしょ。
こっからですよ、算命先生の個の腕前は。
実はとてもよく観察してますし、とても注意深く他人の話を聞いて
ますよね。
プラス、自分の発言に関する独特の訓練??が要ります。
賢明なみなさんはお判りと思いますが・・・
・・・・と、言ったこんな言い方ですね。
賢明なみなさん・・・と言われたことで
判らないと賢明でないんだぁ・・・という
自分の側に落ち度があるかのような
感覚を植え付けられたりですね、
様々な技法がここにあって、
信じている人たちを
ますますその気にさせちゃう。
ということで、
信じるも八卦ですが、
そうそう、
この言葉ももう使われなくなって久しい。
占いの代表がもう八卦じゃなくなったんだ。
付録。
算命
占いにもバーゲンセールが
あるらしく、
どうやら、
この期間中は割引になるらしい。
んん~
これ結構シャレが利いてるかも。
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