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2015年10月21日 (水)

「わたしの見た中国」- 日本の国際化

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  中国、フリーペーパー情報誌『隗報かいほう』 第99号が発行となりました。
   まだ、その話題です。
   で、すでにお手に取ってお読みなった方、まだの方、
   今日、紹介するのは2篇目の「わたしの見た中国」
  「国際化グォ・ジィ・ファ」 について。
    これ、もう言われて久しいですが、『隗報』の中で触れているのは
  実は、中国ではなく、日本のそれです。
    でも、その起因とするところは、わたしに限って言えば、中国でして、
  色んなところへ呼ばれて、中国の話を・・・と、依頼を受ける。
   それって、皆さんその括りはどうやら、「国際化」というところにある
  らしく、そんな活動の一環として呼ばれてる?らしい。
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  日本の「国際化」がちょっとおかしいぞ・・・
  ってのは、きっと誰もが気づいてはいる、
  気づいてるが、時代は「国際化」だというのも
  動かせない。
   努力家?の日本人はこのままでは駄目だ!
  と思うらしい。
   何かしなくては・・・と、
   で、最近で言えば急に、アジアからのお客様が多くなった
  とりわけ、中国・・・
    となれば、ここは一つ、中国の話でも聞いてお勉強、お勉強!
  となり、わたしのところへ何か中国についてお話を・・・てな
  依頼が舞い込む。
    それが、急にあちらからもこちらからも来るようになりましてね・・・
  ってなお話を書いた。
    実はこの文、古いんですよ、相当前に書いている。
   で、もうその「国際化」は達成されて次の段階に入ったか?
   というと、
    近年は「グローバル化」と言ってる。
   ××のグローバル化、××におけるグローバル化に伴うナントカ、
   ってなことを言ってまして、
    「国際化」を単にカタカナにしただけ??というお寒い状態。
   きっと、今後もずっと言い続けるんでしょうねきっと。
 
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  『隗報』に書いた文は先ほども書きましたが
  相当以前のもので、自分で読み返しても
  文が若いと言いますか、あぁ、この文ちょっと
  棘があるなぁ~、と思いましたが、そのまま
  古いままで掲載しました。
   きっと、そこで指摘している日本の
   「国際化」の危うさ?はいまも同じように存在していると思います。
     日本の事ばかり書いたので、 
   『隗報』では触れてはおりませんが、
    ここで、最近考えていることをちょっと披露して終えます。
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   悲願の「国際化」ですが、多分恐らくきっと、
  日本人にはかなり難しい・・というか、
  日本人には合わない・・・というか、
  日本人には判ってない・・というか、
   とにかく、この掲げている「国際化」ってのが
   ちょっと無理なんで、
    提案です、ここは一つまたコトバで目先を変えて、
   「国際化」→「グローバル化」となってますが、
   次は「全球化」という言葉にしては如何でしょうか?
   中国ではこう言ってますしね。世界というと日本人?の頭の中はすぐ
   世界中の人・人種のことを思い浮かべますので、
   それよりは、全・地球といって地球規模で物事を・・・って方が、
   あんまり、そのいろんな国の人を直接思い浮辺ることがないので、
   いくらか好いか・・・?と。
     「全球化チュァン・チュゥ・ファ」は、
    日本語読みだと、
     ゼン・キュウ・カ
    ・・・か、これあんまり音が好くないなぁ、やっぱダメか?
    でもまぁ、国レベルで考えるよりはこれからはもうそうした国境をも超え
   地球規模で考える若い人を育てないと・・・。

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