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2014年6月26日 (木)

やじ、ヤジ、野次、半畳を入れる、について

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 何やら、この話も犯人探しも

 終わり、一息?つきそうです。

 複数犯だという説もありますが、

        いやいや、一人見つかりゃ充分?

  でしょ、との(都議会)はお考えのようです。

  犯人探しにマスコミも懸命のようですが、

  それって、見つけてどうしたいわけ?

    野次は、中国語で調べると、倒彩ダォ・ツァィ

  というのが辞書に載ってますが、

   こちらは、もともとお芝居の関係の、

  日本語で言うところの、「半畳を入れる」というやつで

  余りに不味い芝居なので、敷いてたものを投げつける、

  というやつですね。

    現代では、お相撲のあの座布団が飛ぶあの様子。

   まぁまぁ、議会もお芝居のようなものだとの認識に立てば

  それはそれで、倒彩でいいんですが。

   倒ダォは、逆さまの意味ですし、

   彩ツァィは、精彩の彩ですから、その反対にあるという意味で

   その出来の悪さに不満を表す意味として使われます。

  こちらは、お金を払って見せられたものが余りに拙いとなったら

  そりゃぁまぁ腹も立つでしょうから、半畳も入れたくなるでしょ。

   でも、半畳を入れたくなるほどの拙さ、というのも相当のレベル

  ですよ。食べ物屋さんで、こりゃぁ不味くて食べられないレベルは

  普通の食材を使って、普通に調理したなら、そんな食べるのを

  躊躇わせる不味さってなかなかできないもんですけどねぇ・・・。

    それ位、普通には難しい、倒彩を入れられる状況がそうそう

  都議会ではあるのかどうか分かりませんが、

Yjimagep71m19h6_2  今回のこの方の問題、

 わたしが行ってるのはその野次がそのものが

  駄目だと言ってるわけではなく、

   日本は“自由”の国なんです。どこでその“自由”が保障されて

   いるかというと、ひとえに個々人の素地にあります。

  つまり、法で縛らなくとも好いし、何か文章化してそれを規制

  せずとも、その辺は守れてるから、“自由”にやっていきましょうよ、

  となってそれが許されている、その状況が“自由”。

    早い話が、野次は“自由”の元でのみ許される、“自由”という

  見えないものによって担保され、使われてる。

    それをこの方は分かってない。

    "自由”というものが如何に大切で、それを保証しているものは

  実は、個々人が支え合ってなりたち、共有している。

   それをたった?一人のこうした人たちがいとも簡単に壊すことに、

  また、選ばれた彼らこそが“自由”を大切にし、その上に立って

  お仕事されているのに、自らの手でのそれを壊す行為について、

  わたしは、彼らを 真次ヂェン・ツゥ と先日書いた。

   最近この“自由”をはき違えている人が多いです。

   どんどん増えてる感じがする。

   こうした人たちは大概間違った“自由”感で勝手なことをし、

   これでは駄目だと、新しく法令が造られたり、罰則規定が

   設けられたりして、その結果“自由”をどんどん無くしている。

   その事が問題だ。

   某議員がどんな考えをお持ちか、どんな主張をしようが

  “自由”なんです。

    その“自由”は自分で負わなくてはいけない部分が

   あるんだということを、まだきっとわかってないでしょうね。

    全く、野次のない議会ってのもあるんですよ、

  お隣の国、中国の議会はそうなんです。


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