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2013年12月27日 (金)

パンダが町にやってきた ⑤ -パンダの待ちぼうけ

008 世間の動きとは全く吾関せず、

  今日も、話題は1988年、

 ハコダテにやってきた2頭の

 パンダ、大熊猫、「辰辰」と「慶慶」

   の話題です。

    昨日は、いよいよパンダのハコダテ入りの日、1988年

   昭和63年7月七夕の前の日、2頭のパンダは無事、ハコダテ入り。

   まで辿り着きました。

    その翌日、七夕の7日と8日はパンダにとっては、明日からの

   お仕事に備えての連休。

    お披露目を控え、飼育員係りから空輸の笹を差し入れられる

   パンダ。お披露目前日の8日は悪天候、夜中には大雨となる。

   でも、翌9日開幕式にはその雨もあがり、いよいよお披露目。

004 函館をご存知の方はお判りでしょうが、

 このパンダ会場、メインのドック前の

 会場からしても、旅行客にとっての

 函館駅からも、飛行機でお越しの

   お客様にとっても何せ遠い。かなり離れている。

    それは、メイン会場がドック前ってくらいですから、海の

   すぐそばなんですが、パンダが塩害?に弱いって、知って

   ました?まぁ・・・そのパンダそのものの生育地四川省・成都

   の更に山奥は一体海まで何千キロあるの?ってくらいの

   山間部ですから、パンダはもともと海なんか知らないし、知る

   必要もないんですが、そうなんだそうですよ。初めて知りました。

   ということもあって、この市街地から離れたパンダ会場設定。

   更には昨日ちょっと触れましたように、何せこのパンダ来函の

   決定が遅れましたので、何としても準備不足は否めない。

   僅か2か月ほどの準備期間となれば、こんなものかも。

    で、この「パンダ館」の入場者数はその予想を大幅に下回る

   結果となるのだが、その予兆はすでにこの時点でもあったし、

   更にそれに輪をかけて宣伝下手もあって、惨憺たる結果とは

   なる。それは後に数字となって現れるし、現に今でもわたしが

   わざわざこうして書かないと、「函館にパンダが来た」、ことを

   取り立てて騒がれることもないし、記憶している人も少ない。

     その失敗をあれこれ取りたててもしょうがない。先へ。

006  超ビックゲストですから、

 開幕式のその日、パンダと一緒に

 やってくる人間ゲストの方もいきおい

 ビックになります。

 中華人民共和国駐日本特命全権大使

   (当時)楊 振亜 ヤン・ヂェン・ヤァ(この場合の敬称は)閣下。

   日中友好協会もこのパンダ誘致に力を貸してまして、

    日中友好協会事務局長 白西 紳一郎も来てますし、

007  ←こちら、楊全権大使の横には、

 郷土のスター、歌手・北島三郎

 が見えてますが、

 あと、中国関係に少し詳しい人だと

 ご存知かと思いますが、田中清玄

 と言う人がいるんですが、まぁご存知

  ないでしょう・・・駆けつけます。

    人間はさておき、パンダに話しを戻します。

    昨日も申し上げました、恐らく今後の可能性も含めて、

  いま、一生懸命仙台市がパンダ誘致の運動をやってますが、

  少なくともここまでは、日本では、東京以北最初で最後のパンダ

  がやってきた町が、ハコダテ。

  もう一つ、違う観点では。ハコダテが地方小都市だということ。

   当時、函館の人口約34万。今はもう30万割れしてますが、

   パンダが町にやって来るには、その町はみな大都市です。

   こんな小さな地方都市にやってくることは、これからも含めて

   恐らくもうないでしょう。

    当時、函館には動物園はありましたが、これまた小さな動物園

   でして、パンダ飼育経験者なんてのはいないし、そこの飼育員さん

   パンダを見たことがあるかどうかさえ、確かではない。

     パンダの食べるに適する笹はかなり厳選されるらしく、

   北海道では手に入らない。となれば、送ってもらうより方法がない。

    20数年前の物流と輸送を考えていただきたい。今でこそ、新鮮な

   まま様々なものが当日のうちに搬送できるが、当時はそうなかった。

    このことは、先の笹流ダム公園が郊外にあって、観客人員数が

   伸び悩む時代背景とも同じで、当時マイカーを持つ家庭は今の

   ようにどこの家にもマイカーがある時代とは違った。そして、今は

   そのダム公園を超えて更に郊外に沢山の住宅が広がっているが

   当時、その周辺の道路事情は今よりも劣悪。加えて、今ならば

   シャトル・バスなんてな名をかぶせて直行のバスを運行しそうな

   もんだがそんなサービスもなく、行くだけでも大変だった。

     更に更に、パンダがビックスター?であることは多少なりとも

   知られてはいたが、間際に決まったパンダ入りで、その宣伝や

   パンダが来てからのイベントの準備も、

     「パンダ写生会」「パンダ写真パネル展」「パンダもごきげん!

    ちびっこチャレンジャー・スクール」「峰大雅と道南カラオケ連合

    会歌謡ショー」「シンシン・ケイケイ体重あてクイズ」「100枚絵

    パンダまちがいさがし」が行われた。ネッ!なに?コレ??でしょ。

 

      それでも??パンダは、

    6:30 宿直員の起床、パンダの点検

    7:30 笹点検(保冷庫・水回りの点検)

    8:30 中国飼育係(早番)出勤

    9:00  給餌(朝食)

    9:25 入場者出迎準備

      30 開館、入場者誘導、説明

   10:00 笹点検、調理作業

00512:00  給餌(昼食)

15:00 おやつ

16:00 笹点検、調理作業

17:30 給餌(夕食) 展示場清掃

                       閉館

    18:00  飼育係を含めての合同ミーティング

    20:30  中国スタッフ パンダ点検

     の毎日の暮らしが続くことになる。

   パンダは毎日待ってたのに、お客さんはあまり来なかった。

   パンダの待ちぼうけ・・・これ、パンダのせいじゃありません。

     明日もまだパンダ話題ですけど・・・。




    




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コメント

懐かしい写真ありがとうございます。
日中友好の良い時代ですね。

投稿: 東京 | 2018年9月 3日 (月) 00時11分

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