パンダ・ぱんだ・Panda 大熊猫ダァ・ション・マォ
“双11”の昨日、11月11日、
ウェブ版・わたしの見た中国 今月11号更新致しました。
今月号は、パンダの話題です。
はいつものように、上をクリックしてくだされば茶館『隗かい』
ホームページへ進むことができます。
と、その前にこちらもお読みください。
なんとも白黒模様の単純な
デザインなのに何故か
愛くるしい、というイメージが
あるのはあのちょっとトロイ
動きのせいなんでしょうか?
実際は結構力もあって乱暴者らしいというのを聞いた
ことがあります。
で、そのウェブ版でも最初に書いてますが、わたし
個人としては、ちょっとした思入れもあって、もうすでに
何度か書いてまして、しつこいですが、またまたそれを
書きました。
この話題の度に取り上げてるいるのが、
わたしの住むハコダテにもパンダは来たことがある、
というお話です。勿論ホンモノのパンダ。
シンシンとケイケイ。
可哀想なのは、このハコダテに
来たパンダは、来る時も来てからも
あんまり話題をさらうこともなく、
函館に「大熊猫熱」をおこすこともなく、わりとメディアなんか
にも登場せず、そのままひっそりとお帰りになりました。
世が世ならば、というか、今だったら大変でしょ!
函館の街にも一大パンダブームが起き、
やれ、パンダパンだパンダクッキーだパンダ餅だ
(何で食べ物ばっかりなんだ?との声が聞こえてきそう
ですが、とりあえず想像力が貧困でこんなのしか浮かば
ないが)お土産、パンダ関連商品山積み、といったところ
でしょう。スーパーは、パンダセールなんてね。
なんかノンビリしてたんですね、その頃は。1988年の
ことです。
そんな2頭の大熊猫、シンシンとケイケイはその後多分ですが、
に戻ったんだと思うんです。
居る時でさえ注目度が低かったこの
2頭のその後を語るひとはなく、
わたしもちょっとだけ興味があってその後
を調べようとしたことがあるのですが、なんせアンマリ最初から
この動物に興味が無いのと、それを調べて何になるの?との
周囲?(といっても半径5メートル位の)からの反対もあって、
結局わたしがここ成都大熊猫繁育研究地を訪れることになった
のは、もう世紀も変わった2000年代だったので、残念ながら
当時の飼育担当者も探せなかった。
当たり前ですが、もう今後、ハコダテにパンダがやってくる!
なんてな可能性は260パーセントくらいないので、一回きりの
歴史です。
それが、案外大事にされてないのが残念。
そして、この記録が地域の記録としても、
パンダ愛好家の記録としても、
パンダ関連経済活動の記録としても、
要するにどっこにも、このシンシン・ケイケイの記録がない。
というのは本当に残念。
日本パンダ愛好家協会なんてのがあって、
日本のパンダ関連情報はなんでも知ってる人がいたら、
是非この日本に来たことがあるパンダの総履歴を作っておいて
いただきたいものです。
なんども言いますが(しつこい!!)
誰もあまりかまってあげないのでこのパンダ(シンシンとケイケイ)
可哀想でしょ。
だから、しつこくわたしが書いてます。
これを見て、パンダ好きの誰かがよ~し私が調べて
あげましょ!と言ってくれるかも知れないじゃないですか。
(その知らせをお待ちしております。)
ですので、ウェブ版でも先ずこのことに触れてます。
どうぞ、上のリンクする箇所をクリックして、
ご覧になってください。
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