『隗報』96号、「弓道教育を通じて・・」 内藤敬
『隗報かいほう』最新号、第96号の紹介を続けます。
お二人目の書き手は、内藤敬先生。
「弓道教育を通じて築いた中国
若者との信頼関係」
というものです。
先生が中国へ、弓道の指導の
行かれたのが1996年。
今日まで、17年もの間、日本と中国を・・・というか、先生最近では中国
での暮らしの方が日本にいるより長いようです。
生徒さんを引き連れて、日本への
訪問団を組織、函館にも寄っていた
だきました。その様子や、大臣表彰
のことなどは、前にここに書きましたので省略します
弓道は日本で定着。それも、武道として、伝統を守っています。
もともとは、ご存知のように武器として弓は、中国の古い歴史にも
たびたび出てきます。
先生の教えておられる、「弓道」はその名が示す通り、「道」
らしいので、その精神世界を鍛えるという面にもとても重きをおいて
らっしゃる先生の教えは、中国の学生さんが理解するのはとても
大変だと思います。
実は先生の学生たちを前に、或いは機会あるごとにお話になる
あの内容はとても通訳泣かせでして、難しい。
時々訳に詰まる。日本語でも難しい。精神世界のことを表現する
その内容も難しいし、先生の使ってる単語も滅多に日常では使わない
ものが多いので、一層難しい。
ということで、時折、訳せないことがある。
そんな時でも、生徒さんたちは普段から先生のそうしたお話を
よく、真面目に聞いているせいか、何とか分かって貰えてるようだ。
知らない。一度だけ、真似事をさせて頂いた
ことがあるが、そんなのは遊びだし、それより
なにより、基本的なことがまるで分っていない。
ちょっと、調べてみようとも思ったりもしたが
そのまま先延ばしになっている。
恐らく、調べ始めればそれはそれで、深い
内容があって大変なことは想像がつく。
おられた先生が今は中国の若者
を相手に同じように、教えを垂れて
おれるが、多分いろいろ思うところ
はおありなんでしょうが、
この先生が中国と関わってからの17年という月日を見ても
中国は大きく変わってきている。
社会が変わってきているということは、若者も変わってきている。
それを先生はずっと「弓」を教えることを通して見てこられた。
そして、先生が常に繰り返されるのは、心の問題。
それは先生のおっしゃるように信頼関係の向こうのあるのかも
知れない。
中国の「弓」と、日本の「弓」の
違いやら、基本的なところから
ちょっと教えを請いたいと、
思っている。
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