相像シャン・シャン・相似シャン・スゥ・很像ヘン・シャンーそんなに、似てますか
どうやら、わたしによく似た人がいるらしい。
その事は別に不思議には思わない。わたしに限らず、
誰にもその人にそっくりな人は居るらしいし、居てもいい。
中国語では、くだけた言い方では很像ヘン・シャン
という、前の很ヘンは、とてもといったような意味で、
似ている自体は、像シャン、と言えば通じる。ただ一文字だと
ちょっと・・・があって、程度の副詞・很を置いたりしている。
二文字で熟語にすればもっと確実。相似シャン・スゥは日本語
も同じで、音だけ変化。相像の方は、前の字に注意。想像も
あるが、似ている方は、相の字を使い、相像シャン・シャンと。
昨日はちょっと油断をしていた。
どうやらわたしに似ている人がいるらしく
人違いをされた経験が幾度かある。
話しかけられもしたし、肩をたたかれたこともある。
誰もあるのだろうか。わたしはひょっとすると多いのかも知れない。
昨日、あるところで食事をしていたら、
「先生!・・」と、あきらかにわたしに向かって声を掛けてくる人が。
一緒に食事をしている数名に、「先生」の職業の人はいない。
わたしは、一応?そう呼ばれる覚え?があるし、こっちを見てし。
「先生ですよね・・・」と相手は言った。その前に名前を付けて呼んで
くれれば判るのに、わたしは、曖昧に「えぇ・・・」と言った。
ウソではない。一応、今も先生の真似事はしてるので。
「その節はお世話になりました!」という。んん・・先生はお世話する
ものだろうから、これには応え難い。またもや「えぇ・・・」だ。
「××ちゃんも、弟の××ちゃんもお世話になり、ありがとう・・・」と
相手の話は続く。ここに至って、わたしには相手の言ってる先生が
わたしではない確信をもてた。どだいわたしは今旅先でここに
知り合いがいること自体がオカシイ。逆に一緒にいる連れの三人は
ここの人たちなんで、最初はてっきりそちらの誰かに向かって言って
るんだと思っていた。明らかに人違いだ。ここまで来て?否定する
のもなんだし、第一相手はわたしに話をするスキ?を与えない。
立て板に水の如く、お礼の言葉を並べ去って行った。
何だったんだろう。
その後の食事が急に味が無くなったかのようだ。
連れが「知り合いですか?」と確認するから、「いえっ!」
と珍しくキッパリ言った。連れもうすうす感じていたハズだ。
わたしは此処の生まれでもないし、此処で生活もしてない。
「世の中似ている人はいるもんですよね~」で、一同納得。
でも、わたしは納得がいかない。
そんなに先ほどの女性が言う「先生」とわたしは似てる
のだろうか・・・と。一度お会いしてみたいものだ。
認錯人レン・ツゥォ・レン(人違い)は、誰にもある。
でも大体はその手前というか、どっかで「アレッ!」と
気づくものだ。これは、ちょっと違うぞ・・・と。なんせその
生身の相手が前にいるのだから。
顔が似ていても、姿かたちが似ていても、
ニンゲンの醸し出すその雰囲気は違っていたり、あの人は
こんな服は着んでしょ、とか。声が違うとか。
多分ですね、最近よくあるあの監視カメラの映像でとらえ
られている犯人及び犯人とおぼしき人のその画像はかなり
不鮮明でも、その周囲にいる人には分かるんですね、アレ!
この人・・・と。一枚のぼやけた写真でもその人の雰囲気なり
来ている者なり、今まさに動こうとしてるその挙手で。
だのに、ですね。
礼だけ言って立ち去ったあの婦人の勘違いはどっから
きてるのかが、知りたくなった。
この話こんなに長くなる予定ではなかったのですが、
ちょっと、明日またこの続きを。
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