裸退ルゥォ・トゥィ となるかどうか - 中国の指導者たち
裸退 ルゥォ・トゥィは、いつですかね~数年前から流行というか
ちょいちょい目にするようになって、先月の18大あたりでまた
ちょっと注目されるようになった。それはこの言葉がタイムリー
だったからです。
同じように、こちらはテレビドラマで爆発的に火が点いた、
「裸婚 ルゥォ・フン」、というのがあるですが、こちらも同じ意味でこの
「裸」の字がつかわれております。
裸婚のお話は、茶館『隗かい』ホームページ、「わたしの見た中国」
題しまして書きました。お時間がありましたら、そちらをご覧ください。
お気づきでしょうが、この「裸」の字は抽象的に何もない、という
状態を指すのに使われております。
日本語の「裸眼」の使われ方と同じです。つまり、メガネをかけない、
そのままの・・・の意味です。そう離れていないので理解はし易いと
思います。
この「裸」の後ろが、最近になって「婚」だったり「退」だったりと
これまでの語としてなかったものが取られて新しい言葉となって
います。
ということで、主にこの「裸退」は、政府官僚やお偉いさんが、
な~にも持たずにな~んにも求めずに、退くことを表しています。
これが難しい。それを昨日、書きました。
貰いましたが、それは彼が自ら、「自分は今後
完全に引退するんだ、どうぞ自分がいたこと
など忘れて欲しい」ってなカッコいいセリフを
言った。あと数か月なんですが、多分そうなるでしょう。
でも、これもやはり社会的にそうした眼が厳しくなっているから
だと思います。無論いい傾向ではあります。恐らく首相がそうだと
その下にも多少?は影響するですしょうからなお結構なことです。
中国のマイホームの問題でした。その高騰が時に
バブルだと言われ、余りに急激な値上がりは社会
問題ともなり、自分が任期中にその問題を片付ける
のが使命、と言っていた彼ですが、
一時の余りの酷い値上がり傾向は、それなりに税負担をある種
投機の部分に重く掛けて鎮静化に向かったかのようですが、中々
どうして、そう上手くはいかんもんです。
朱鎔基という人と上の写真で握手してますが、
この間の中国の発展はそのスピードが余りに
速すぎて、恐らく誰もコントロールできない
加速が付いていたのだと思います。
その意味では、よくこれ位の程度で済んで
いるものだ、と逆に言えなくはないのですが、
昨日からの続きでかれを見てます。彼は
日本にも来ました、朝の公園で市民と一緒に
太極拳をしたり、大学生との野球に駆り出されたり、庶民派・首相を
アッピールしてましたが、
中国の政治家はホント、日本の政治家と比較して、
何倍もしたたか。
これって矢張り人が多いからその中から選ばれてくるので、
そんなしたたかさがその途中で備わるんですかね。
新しい政治体制、新しい指導者についついそちらばかりに
目が向きそうですが、
実は中国の新しい指導者なり体制はもうその日本の選挙を
待って・・・という形態と違ってまして、数年前からほぼ決まってる
ことですし、新しい指導者の意向も当然反映はされるのですが、
これまでの中国ですと、日本では余り取沙汰されてませんが、
引退した後の前の指導者の影響を色濃く残していたんですね、
それって、その「裸退」してなかった、ということでもあります。
で、今中国の人たちの注目は
胡錦濤をトップとしてこの現政権のひとたちの
「裸退」ぶり?にあるわけです。
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