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2012年10月11日 (木)

過剰包装について考えるー今月号、ウェブ版「わたしの見た中国」

   今月号、ホームページ隗の「わたしの見た中国」テーマは

  包装バォ・ズァン 包装についてです。

    どの話題もどうしてもそうなりますが、中国は急速な発展?

  途上にある為、つい数年前と今を比較しても雲泥の差にある、

  そんな事象が多くあります。

    で、結論を先に言わせていただければ、

   なんで、あんな状態からまたこんな状態に!というのが感想です。

   何が言いたいかというと、あんな状態も余りに酷かったが、

   それが改善されて、こんな状態にはなったのですが、それがまた

   ちょっと行き過ぎて、こんな状態までくる必要?はなかったし、

   これはこれで、問題!という意味なんですが、分かりますか?

   これで。

    包装でいいますと、以前は中国その・・・包装そのものがまるで

   なかった。もう見事に包装など期待できなかったし、

   包装レベルにもいかない、買い物を持ちやすく、という買ったあと

   のサービスもなかった。

     買ったおとどうするかは買った側が考えることで、

   売る側は売るところまでのところでしか相手をしてくれない。

    ということは、買う側が事前に、マイバックを用意するなりして、

   それに備えていないと大変な?ことになる。

     例えば、市場で桃を買う。

     量り売りだ。持ちきれる分だけ買おうと最初は思っていても、

    売る方だって必死だ。この時とばかり売りつける。最初の予定が

    三個になり四個になる。それが更に六個ともなるともう何か

    入れ物がないともうもう抱えきれない。当然でしょ。

      そんな時、最初から桃を買うつもりでそこに来ている客は

    いいがわたしのように気まぐれで通りがかりに美味しそうな桃を

    見つけふらふらと近寄って全く予定になった買い物をすると

    どうなるか・・・。これがかなり悲惨です。

      売る側はお金さえ受け取ってしまえばもうこっちのものと、

    持ってって・・・と言われる。そう言われても何も包むものがない。

    何か袋に入れてくれるものと思ったら、それは甘い。

      結局わたしはすべてのポケットというポケットに本来ポケット

    などには入るべきもない桃が入りきらずに半分だけ入って、

    いまにもこぼれ落ちそうなのに注意を払い、なおかつ両手には

    一個づつの桃が握りしめられ・・・というとても日本では考えられ

    ない姿で、ようようご帰還となる。

      他の日はまた違う果物かなにかで、たまたま来ていたセーター

    のお腹の辺りを手で引っ張ってグ~ンと伸ばし、そこにカンガルー

    よろしく貯め込んでご帰還、などという苦い?経験がある。

      それがどうだ。最近は、何かお土産のお菓子など買うと、

Photo こちらはこの時期つきものの月餅だが、

 箱入り、更にこれを包んでくれる。中国らしい紅色

 の包装紙で。それを手のついた紙袋に更に入れて

    ハイどうぞ!と渡される。

       この違いがちょっと疎ましい。

     以前のあんな状態も、どうよ!!と言いたいが、

     いまのこんな状態も、中身より立派じゃない!!と言いたい。

     結論。

     ニンゲンなかなか丁度良く、出来がたいものらしい。

     ということで、只今アップしようとしようしてますが、ちょっと

    電脳が不調で上手く行きません。もうちょっとしたら更新になってると

    思います。

 

      

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