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2012年9月19日 (水)

不可思議なデモ - 不可思議的示威運動

     中国での、「反日デモ」のことを少し。

  この話題、どれくらい中国のことを知っているかで受け止め方に相当の

  違いが出る、というのが一点。日本の報道しかご覧になっておれれない

  方が殆どでしょうから、その情報の偏りの問題がもう一点。

     他にも基本的な部分を説明できない等、どれくらいこの場でお話

  すれば良いのかがちょっと分かりませんが、この間の報道なり動きを見て

  いて、感じたことを書きます。

    ただ、これまで報道されていたり、主張されていることをここでなぞって

  も意味がありませんので、書かれていない、主張されていないことを主に

  書いていきます。

Photo  今回の一連の「反日」と言われている行動で、

 キーワードは、「デモ」というこの言葉にあります。

 当初から日本のマスコミは、中国で「デモ」が・・・

 と報じていますし、多くの方はあぁまたデモか・・・

    と思われたでしょうが、これは「デモ」ではありません。

    イヤ?「デモ」かな。

    「デモ」という言葉を規定しておきましょう。

    日本人の「デモ」は、外来語をそのまま受け入れてますが、

    demonstrationをデモとし、何らかの示威行為ですね、多くは不満や

    反対を表し、その表現方法の一つとして大勢の人が形に表す為、

    示威行為として街を練り歩く、これらを「デモ」と言ってます。

     中国語でのデモの訳も「示威行動」です。そして街を練り歩くその

    行為を「游行 ヨゥ・シン」と言ってますので、「示威シィウェィ游行」

    となります。

       ここまでですと、両国全く同じような訳ですし何ら問題ないよう

    ですが、中国のあれを「デモ」と言っていることに既にズレ?が生じ

    ています。お気づきでしょうか。

     日本人の「デモ」は、同じ示威行為でもその不満や反対の矛先は

    政府であったり、権力であったり、そうした上の決定に対する不満が

    それらに自分たちは不満ですよ、との行動に走らせる。

     ちょっと、途中省きますが、その意味で「デモ」という言葉を使って

    いるなら、中国でのこの度の「デモ」は、民衆と政府の考えは一致

    してるわけですね、「釣魚島是中国的」と政府も言ってるし、「デモ」

    の主張はそこにある。齟齬がない。反対する理由もない。

      だとするなら、日本の「デモ」の感覚では?「デモ」は必要ない。

    せいぜいが、ガンバレ政府!とエールを送る「デモ」がありえる。

     そうであうならば、その「デモ」は中国政府機関の前か何か、例えば

    中国外務省に向かいその前で「加油!加油!中国政府」の「デモ」

    になるべきで、彼らを日本大使館に向かわせたものは、示威行為

    としての自分たちの行動を、愛国=反日という表紙に包んで、中身

    は全く別であることを、誰もが気づいていながら誰もそれに文句?が

    言えない状態に出来た絶好の好機だったわけです。

      もののついでに、反日と言えば、反日本製品ということで、それ

    も表紙通りであることを糊塗するために、「デモ」隊は向かった。

      ですので、日本のマスコミも最初に時点であれを「デモ」とし、

    そのまま日本人は、自分たちの感覚で「デモ」が行われている、と

    その報道に接したところから行き違いがあります。

      あれは、「デモ」の形を真似た、不満分子の暴動です。

     「反日デモ」は表紙です。

     ずっと「デモ」報道ですが、そうした中国での暴動騒ぎがあった、

    という報道でことたりる問題です。

      尖閣列島の問題は確かに存在しますが、それは政府レベル、

    国としての問題であって、街へ出て「釣魚島是中国的!」と誰かが

    叫んだところで、大きな声を上げても、大勢の人が隊をなしても、

    問題は一向に進展しないどころか、ややこしくなるだけです。

      そう叫ばずにはおられない位の義侠心と愛国心に満ち溢れた

    人たちが、北京で「デモ」をして、千人単位でいたとしても驚くに

    あたいしませんし、恐らくこの千人のうちのどれ位かは分かりませんが

    野次馬的人もいるので実質何人がそうなにかも分かりません。

      わたしなどは北京でたった千人?・・・と思えます。

      前にもちょっと申し上げましたが、北京は一千万をはるかに超えて

    二千万?都市を目指そうと??しているとわたしは言ってますが、

    その二千万いるうちの、一千人くらいの人が集まったからと言って、

    新聞のあの大見出しは止めて貰いたい。それも写真もばかにデカく

    て活字も見たこともないような大きな活字で書かれると、「何事??」

    と思ってしまう。

      それくらい?なら、沖縄での10万人集会はその大きな見出しに

    あたいすると思いますよ。あの島で、沖縄の人だけはないにしても、

    10万人もの人がオスプレーというヘリは寄こすな、の声にはもっと

    反応した方がいい。耳を傾けるに値する、圧倒的数だ。

      10万人の抗議の「デモ」集会があの小さな扱いで、

      一千人の分からん暴徒の集まりがあの扱いは、

    最初からその扱いを誤っているし、その最初が「デモ」と規定した

    ところにある。

     中国では政府への不満を表す方法がありません。

     では何で解消するかというと、小さいのは戯れ歌だったり、

     何らかのオブラートにつつんで見えなくして表します。

     街で立ち話、口コミ、が憂さ晴らしを担います。

      何が言いたいか。ですから中国ではわれわれがイメージする

    いわゆる「デモ」は未だ曾て存在しないということです。

      今日もまた、中国での「デモ」が報道されてますが、

    あれは「デモ」じゃないんで、

      たんなる、不満の示威行為です。

      その不満は、「ニホン」をキーワードにすると共有できて、

     それを表紙にすれば大概ゆるされる、

     だから「反日」。

     日本での報道、テレビの映像などを中国の人に見せてやりたい

    と思いますね。実際はこうなってるんですよ、と。

     逆に、日本の方には機会があったら中国の報道を見て貰いたい

    ですね、日本ほどそんな騒いじゃいませんよ、という意味で。

      二つの国の報道が一日だけでも逆にその映像が見れるなら

    もっと違ったものになりますかね。

      ここはちょっと落ち着きましょう。

     テレビでも司会者やコメンテーターでそう言ってる人がいますが、

      そう言いながら一方で過激な映像を流して焚き付けてます。

     まぁ話題として過激な方がより視聴率なんかは取れるんでしょうが。

      ということで、

     「デモ」というから何か日本がイケない事をして、抗議を受けてる

     ようですが、

      領土問題は世界中あらゆる所に存在しますし、どこでもそれは

     譲れない問題でして、それが「デモ」?になるには違う要件が

     存在しているということです。

       日本人の使っている何気ない「デモ」という言葉が

     ネックになっているという話です。

       明日もこの話題ですけど・・・構いませんか・・・

    

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