中国「宅男」的未来 - 何処へ向かうんだろう・・
「宅男ザィ・ナン」 “おたく” の中国でのお話をしています。
昨日までで、言いたかったのは中国にもそうした人たちはすでに
現れていること。その数が増えつつあること。は、ご存知かと。
そして、ここが肝心なんですが、我々はそうした現象だけについ
目がいきますが、「宅男」はそれだけでは成立?ぜずにそうした人
たちを育てる土壌?がないと成り立たない。つまり、「宅男」はその
存在そのものが社会を映しているのであって、「宅男」だけが孤立して
存在することはありえない、ということをお話した。
「宅男」は「宅男」だけでは成立しない。
「宅男」の発生?にはそれを許す社会的要因が必要です。
何より、社会がある程度安定していないといけません。戦渦の「宅男」
はちょっと考えにくい。無理!
安定。次に社会が成熟してそれもちょっとその時代が長く続き
爛熟という段階に入ってこうした人たちは現れます。
ある文化が完全に熟れて、腐敗に入ろうというその時。
つまり普通に働いたり、普通に暮らすことからちょっと逸脱して
あるその状態が維持できないといけません。
ですから社会がそうした人たちの居場所を確保できるようになら
ないと、「宅男」は増殖しません。
更にはモノです。物質的なモノ。それもまた許容範囲を超えて、
溢れるほどないと「宅男」を維持できませんし、「宅男」の好むモノが
手に入る状態にないとそうそう発展?しません。
というか・・・になっているのがニホンなわけです。
日本の経済、物づくりに陰りが見え始めたと言われる中、
ニホン発のこうした文化?はいまや世界を席捲しそうですし
実際もうそうなっています。
だとするなら、これはこれで研究の余地があるかも。
何故にこうした点でのニホン文化は受け入れられるのか?
何故にこの点では、ニホンであることが求められるのか?
何故にこの点では、ニホンであることに抵抗がないのか?
何故にこの点では、ニホンを手本としたがるか?
を考え、ニホンの文化を見直す必要があるかも知れません。
それは、世界の他の国の人たちはみ~んな気づいているのに、
日本人だけが気づかずにいる何かがここにあるのかも知れません。
まだまだ発生したばかりで、漸く社会もそうした人たちに
気付き始めたところです。そうした人たちの存在は分かった
ものの、それが自分たちの置かれている社会の何を照らしているか
はまだ余り焦点があてられることもなく、
新しい・珍しい・変わった・・・人
ぐらいで片付けられそうです。
どうなんでしょう、今後この中国の「宅男」の人たちが、というか、
この「宅男」の中から新しい文化を生み出す人が現れればそこに
独自の「宅男」世界が見えてくると思います。
今のところは模倣です。
最初は模倣でもいいのですが、
多分そのうち一番最初に自分たちがそれに飽き足らなくなると
思うのです。もしそうならないなら、中国の「宅男」文化?は、
それだけのもので、それじゃぁ駄目なんですね。
そっからまた更に新しい独自のものを作るか作る努力はしなくちゃ。
頑張って!!とエールを送っておきます。
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