中国「宅男」の実態
「宅男」という言葉がその中国現代漢語詞典に新しく取り入れられた、
というところからこの話端を発していまして、ここまで書いてきて、
辞典に載せるくらいですから、中国の判断としてもこの「宅男」は
一時的に現れては消え去るようなそんな現象のようなものではなく、
ある程度長持ち?する実体の?あるものとして捉えられていると
判断している、と言っていいのではないでしょうか。
では、その「宅男」たちの実態が、どれくらい見ているかというと、
これが意外にこれぞ「宅男」というその典型が見えてこない。
ですので、いまのところその『現代漢語詞典』がどういう説明で
片付けているかが分からないのですが、まだまだ気分的な部分が
多くあるようです。
もっとも日本語の「オタク」だって似たようなものですが・・・。
これを見れば中国「宅男」の実態がある程度
明らかになるのではないか・・との期待から
旅行中に発見し買い求めてきましたこの映画
題名もそのものズバリ、
『宅男 総動員』っていうんですから、これはもう必見??
でしょ・・・
で、見ましたよ、見終わっての感想はかなりガッカリ。
わたしの期待を見事に?裏切る出来栄えで、これってその
「宅男」と言われる男性陣がずら~と出てくるには出てくるんですが、
その彼らの生活というかそういうシーンはホント少なくて、
主にこの人たちの、恋愛観であるとか人生観であるとか、そうした
これまでの観念と違った人たちの総称を「宅男」と呼んでるらしい。
そのお相手の女性たちを「三高剰女」の人たちがこれまた
ずら~と新人類?として登場。そんな男女間の物語でした。
もっとも、後から冷静に?考えれば、
そんな「宅男」の生活実態を描いただけでは映画にはならない
わけですし、それを一般の人にお金を取って見せてどうしよう、
ということでもありますから、最初からわたしの期待?そのものが
無理筋?だということに気づきました。
結論、
どうやら、やはりこの「宅男」といわれる人たちが生息する場が
コンピューターというか、ネット社会の近辺に生息してるらしい
ことが判明。
ということは、このネット上にあるものはある意味が実態があって
ないようなものですから、あるとも言えるし無いとも言える。
もし、そうなら・・・
大丈夫かそんなあるようなないような実態のものを
辞書に載せちゃって・・・・、
ということで、最初のところにまた話しが戻っちゃう。
| 固定リンク
コメント