中国の新人類たち ー 90后を語る
先日から、この世代の人たちがちょうど大学を卒業して
目出度く?社会にでるようになった、その若者たちを中国では
「90年代后」と呼び、時折話題に取り上げている、
ということでその事を書き始めたら終わらなくなってしまった。
今風だと、ジェネレーションギャップというやつ。
この前に、同じ様に「80年代后」というその10年を一区切りにしての
先輩?がいるのです。
中国の変化の激しさと、時代の流れの激変に晒されていたのはむしろ
この「80年后」の人たちで、私自身はこの年代にはとても興味があって
いろいろ注目して見ていたりはしていました。
でも、別段専門家でもなければ、中国人でもない私にとっては、
どこか他人事で、どちらかといえば面白がっている部分があった。
この本は、面白かった。中国の寝台車で
ず~とこの本を読んでいたのを思い出す。
この本はこの世代の人たちが、
何を自分たちのヒーローとして育ち、
どんなテレビ番組にくぎ付けになり、
どんなスターに憧れて、何を想い、
どう過ごしてきたかが記録され一冊の本になっている。
この本は、中国で出版された本として、そのものの、つまり
本のブックデザインからして、これまでの想定を打ち破る、新たしい
ものを感じさせて、まるごと、80年代后に生を受けた自分たちを
表現しようとして、あがいているところがあって、楽しい。
それに比べると、「90年代后」はその続き?と言える部分が
多く、物質的は確かにまた一段の変化は認められるが、私には
どうしても「80年代后」の続きの人たちにしか見えない。
「90年代后」の一つの区切りとして、中国の人たちが言うよりも
国外の人たちがよく口にする「天安門事件」以後、という言い方も、
確かにあの事件が中国の一つの大きなメルクマールとして、大きな
座標とはなるでしょうが、でも「90年代后」にとってはその事自体を
知らないわけでして、最近日本を騒がしている、オーム逃亡犯が
捕まった捕まらない事件も、若者はその大元のオーム事件そのもの
を知らないのと同じで、ご当人たちよりも回りがというか、それを
知っている世代が、知らない世代が存在することに衝撃を受けて
いるだけで、別に当の世代にとっては、ごくごく普通のことでしょう。
学校の先生という職業が面白い?のは、
毎年毎年、先生をず~とやっていればですね、例えば大学生を
それも新入生を教えていると、相手は何年たっても同じ年なんで
すね、当たり前ですが。ず~と18歳なら18歳。ところが自分は
一年一年の年を重ねていくわけで、そうなると、どうなるか。
年齢差が開くわけですよ。どんどん開く。相手はどんどん自分の
知っている、ごく一部の、それも近い時間でしか共有する時間・
時代がありません。共有できない部分が多くなり続ける。
と、自分が知っていて相手が分からない時間の方が当然多い。
更に、若者は新しいものはどんどん取り入れますので、こちらが
受け入れられずにいる新しいものを若者は積極的に取り入れる。
ここでも両者の差が開く。世代とはこういうものだと思います。
で、それを私が一番感じれるのは、コトバです。
若者のコトバの使い方は、その年代と共に常に変化し、
私には受け入れがたい、使えないコトバが多くなってくる。
実はこのことは中国も同じでして、
中国語も変わってきています。
此処でも先日「A・A制」の話などもしました。
これまでにない概念をどう言葉にするか、
これまだとは違う自分たちの感情を何と言って表現するか、
それらは理屈ではなく、説明もできない、漠然とした雰囲気で
使われ、定着して、その世代を表現しているのだと思います。
日本の若者が多用する「マジ!」とか「マジッカ?」のやりとりも
あの人たちの他者を信頼切れない、けども、相手と何かを
共有したい願望の表れと見ることはできないだろうか。
中国で数年前に流行った「給力ゲィ・リィ」は、それが欲しかったし
それが無ければ息苦しい時代へと突入したことの現れだった。
では、この「90年代后」を代表するようなコトバは何か。
それがまだ現れていない。これからなのかも知れないし、
今後も出ないのかも知れない。
それより心配なのは、この世代の上の世代がこの人たちが
「90年后」の名付け親で、そう呼ぶことでこのコトバ一つでその
世代を何か表しているような感じを受けていますが、
これで終ってしまうんでしょうか「90年后」は。
こんな感じで、帝国主義打倒をスローガンに
燃えていました。
そして、30年。
中国のこの30年は確かに、10年をそれぞれ一区切りに
して、はっきりわかるほどの変化が見られます。
でも、どの時代も若者は、その前の世代が造り上げた世界に
生を受け、生まれたと同時に、回りにそうしたモノがあるわけで
そこからは逆にこの若者たちは逃れることができないわけです。
私が言いたいのは、
若者の様々な言動や現象を、古い世代は眉をひそめて
見てますが、その若者が育つ土壌を創り上げたのがそもそも
自分たちだということに、ご本人が気づいていないということです。
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コメント
中国はどんどん変化してるんですね。
今後どうなるんでしょう。
投稿: ホルモンバランス★吉野 | 2012年7月 4日 (水) 21時50分
你好!ジィ・イェ!!
いつも見ていただいて、ありがとう。
中国に限らず、どの国もその世代を超えて、
若い人たちが自分たちの文化を創り上げ、
声を上げるようになると、
それをいつの時代も、どの国でも、
「ちかごろの若い者は・・・」と年よりたちは
眉をひそめて言っていますよ。
ジィ・イェだった、最近の若者?の理解不能
な行動ってあるでしょ?
そうか・・・、!
ジィ・イェはまだ若いから無いか?ヽ(*≧ε≦*)φ
投稿: 函館日中 | 2012年7月 6日 (金) 11時50分