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2012年5月 9日 (水)

テレサ・テンを偲んで - 5・8鄧麗君的忌辰

Photo  鄧麗君 ドン・リィ・ジュン

  という歌手がいた。

 もう、無くなってかなりなるので

     こういう言い方で間違いはないと思うが、日本ではテレサ・テン

     と呼ばれていた。

      彼女の亡くなったのが、5月8日だそうで、知人から電話が入り、

    「今日は命日。今年は台湾には行けないが家で彼女を偲んで

    一日彼女の唄を聴いてる」、と言われた。

       彼は今年は行かないというその台湾にまでも何年か前に

    そういえば行ってきた写真を見せられたことがある。

       彼に 言われたからどうということもないのだが、

     私もちょっと真似して昨日は一日、店で彼女の歌だけ流してみた。

       途中ちょっと出かけたりはしたが、一応敬意を払い、店にいる

     間は珍しく、他の事はあまりせずに、彼女の歌を聴いていた。

      そろそろ彼女を知らない若い人たちが多くなってきた。

     そのことにも驚く。また、中国もそうですが、そろそろどの世代も

     歌える歌、世代を超えて人気のある歌手が出づらくなった。

     恐らく彼女あたりが最後のそうした歌手にあたるのかも知れない。

     とりわけ、彼女の中国での位置が日本人のそれとは違っているのは、

    ある時代を彼女が代表していたからだ。それは単に彼女の歌がある

    時期流行ったという意味ではなく、彼女の歌がある時代を直接思い出

    させる記念の歌としてある。だからこそ、その年代の人たちは彼女の

    歌を聴いて、その歌詞にも特別の意味を読み取っているところがある。

     この点で、日本のテレサ・テンと、ドン・リー・ジュンは違う。

      彼女のヒット曲は多いので、一日聞いていても足りないくらいだ。

    昨日一日改めて彼女の歌声を聞いていて分かったのは、

      なるほど、彼女の声は、高温のあの綺麗な伸びのある声と同時に、

      ただ高いだけではない、どこか憂いの含んだそんな特徴ある声が

      あれらの曲を上手く歌い上げていたのだ、

    ということに気付いた。

       せっかくなので先のわざわざ電話をくれた知人に、その事を

     伝えた。

      彼も同じ様に一日、彼女の歌を聴いていたはずだ。

      連絡してみると、驚いたことに(驚くに値しなのかも)何と彼は、

     彼女の歌をヘッドホンで聴きながら、都内の彼女のゆかりの場所

     というのがあるそうで、都内にあった彼女の住んでいたマンション

     や、かつてのコンサート会場を回ってきたと言っていた。

       私の感想を彼に伝えると、彼のそれに対する応えは、

     「いまごろ、そんなことに気付いたの!」という避難気味のものだった。

    

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