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2012年2月29日 (水)

朱家角到了 - 很美的水郷景色

P1050228  朱家角 ズゥ・ジャァ・ジャォ、到着!

 
  水郷の街。朱家角は日本ではどれくらい

  知られてるんですかね?

   このすぐ近くに周荘ゾォゥ・ズァンがありますけど

     こちらの方が有名?ですかね・・・どうなんでしょ。

     上海そのものはこう言ってはなんですが、大都市ですがそう観光資源が

    あるわけではありませんので、近年日本からのツアーはみなこうした上海

    周辺の町と、組み合わせて観光スポットを回る旅となっています。

     早くは、この先の蘇州を目指し、一日観光を多く組んでましたが、最近は

    さらにその周辺の町を巡るツアーが多くなっています。

     それで、先ほどの周荘が注目されるようになり、この前の西塘であったり

    烏鎮までも、杭州まで例の高速鉄道や高速道路網発達の影響でその範囲

    に入ってきましたので、注目されるようになったわけです。

     朱家角。ここまで来ればもう上海に戻ったようなものです。

    多分、ごく普通の路線バスで上海の町に戻ることができるはずです。

    バス路線がどうなっているかは分かりませんが、虹橋空港からだと

    距離的にもそんなにないはずなんです。

P1050221 午後到着しましたので、さっそく、近くにあった、

 ホテルに時間も丁度いいのでチェックイン。

   昔ながらの懐かしい感じのホテルです。

 ロビーが今となってはうすら寒いくらい広くて、

     部屋もやたら広さだけはゆったり。会議施設やら、大きな食堂も

    あるようですが、使われている形跡はありません。

     冬ということもあってでしょうが、観光客も少なく、格安料金で

    宿泊ができましたし、サービスは最初から期待してませんので、

    部屋もそこそこ掃除が行き届き、窓からの景色も庭が広く開放的、

    ということで、満足度80パーセントで、荷物を置いて早速外出。

P1050226

水面に映る周囲の建物も、陽をあびて輝く

水面も、心落ち着かせてくれる、のんびりとした

風景が、堀り割りの傍らに続く道沿いに続きます。

      もう少し、暖かくなったら恐らく人もどっと押し寄せるでしょうが、

    そんな時期にまた来て、この水辺でのんびり本などひろげぼんやり

    していたいものだ、と思わせる景色がどれくらいでしょう、歩いて

    退屈しないだけ続いています。

P1050224 観光遊覧船に、何故か韓国の中学生と思いますが

 修学旅行なんでしょうか、沢山来ていて、先生と

 生徒が楽しそうに乗ってます。

  あとは国内旅行者がほんの僅か。

      冬はこんなものかも知れません。

       この堀り割りに面して建物が並んでいますが、この建物と更に

     そのもう一本中の建物との間の通りがすべてお店になっています。

     観光を当て込んだお店がそのほとんどですが、何か所も同じ様な

     こうした水郷の町を歩いてますが、ここが一番落ち着いていたという

     印象があります。

P1040219 この通りとは別に、この町の人たちの生活区域は

 すぐそばにあって、ここの近くに市場やここ

 で暮らす人たち向けの商店街もありました。

   多分、上海から近いですから、ここの人たちも

     若者なんかは、上海かその近くに働きに出ていて、地元に残ってる

     人たちはその多くが観光に関わって暮らしをたてているそんな、

     感じでしょうか。

       若者たちは自分たちのふる里の、観光資源として魅力は認めても

     ずっとそこで暮らすことよりも華やかな都会へ憧れ、そしてその都会が

     もう目と鼻の先にありますから、出ていく。

       この町の経済はこの町が誕生したその歴史的経緯からも分かる

     ように大都市上海とともに、あり続けたわけです。

        古くは大都市への物流の拠点として、今は観光の拠点として。

      ですが、古くは上海との距離も適度に保たれ、この町独自の文化を

     形成できたのですが、交通機関の発達に伴い、だんだん距離を保つ

     のが難しく、独自の文化を保ち続けることが困難になりつつあります。

       その残された遺産が、この掘り割りとそれに連なる建築物群です。

     かろうじてそれらが、いまのこの町魅了を支えています。

       そして、同じことがこれまで見てきた、古鎮のすべてに言えます。

     どの古鎮もいま観光地として魅力あるのは、いま作り上げられたもの

     ではない、ということですね。

       更にこのことは、何も中国の事に限ったことではなく、

     日本の観光地にも言えることであり、

     私の住む函館もまたそうした範疇に入るわけでして、

     そこに住まう人たちと、観光で訪れるひとたちと、

     双方がうまく共有できる文化が今後新しく育たないものかと、

     考えながら、掘り割りの路を歩いてました。

      また、数年隔てて是非此処は来てみたいものと思った。

      上海出入国の楽しみが一つ増えた。

  

    




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2012年2月28日 (火)

三度、嘉興へ。多すぎでしょ、バスターミナル

P1040206
   烏鎮をあとにしました。

  まだ正午になっていないと思います。

  目指すは、朱家角ズゥ・ジァ・ジァォ。

   ここも、以前何度か行くチャンスはあった街です。

 上海に入る度毎に、入国の日の翌日や、出国の前の日に

   中国国内の旅から戻って、さて今日の時間をどう潰したらいいものか・・、

   といったとき、思い浮かぶのが上海からの日帰り観光地、

     そして、朱家角はつねに、その候補地の一つでした。

     今回ははからずも、上海に戻るその前に、先にここに入ることに。

     その拠点がまたまた嘉興ジャ・シン。

Jia_xingl_2 この旅はもうすでに当初の予定とは違ったコースを

 辿って、迷走しております。

 予定といってもあったような、なかったような、ですので

     別にこれで構わないのですが、

     出国前には全く予想だにしていなかった、嘉興という町が、

     この辺りの古鎮歩きには欠かせない重要なポイントだというのを

     知りました。帰国してから地図を出して、改めて眺めて見ると、

     な~るほど嘉興を拠点として点在する水郷の街・古鎮が点在して

     いますので、コレ納得。

       でも、泥縄どころか、もっと遅い気づきようですので、この辺を

     歩いているときは、なんだよまた嘉興かよ・・・と、自分の段取りの

     悪さを棚に上げて、嘉興に宿泊してそれぞれを日帰りで見ては

     戻ってきた方が良かったんじゃないの・・・との考えがよぎる。

    でも、それにしてもこの町、交通の拠点だけあって、バスターミナル

   多すぎでしょう。四方八方へ行けるのでその分、そうした近・中距離

   のバスが多数出ていて、更にそれに加えてどの中都市にあるように

   中国各地への長距離バスも出ていますので、各バスターミナルは

   大変な本数のバスをかかえ、それに乗る乗客が群がってます。

     そして、私たちが今回利用しているバスは概ね、中国では

   近距離の輸送部類に入る移動のバスです。

     ですので、バスチケット売り場に行っても、そうしたところは長距離

   のチケットを販売してますので、大概は「乗ってから買いな」とか、

   予約の要らないレベルのチケットです。

     この日の移動は、

    烏鎮→嘉興新客運站(また戻ってきましたよ、真新しい駅に)→

    嘉興北站へ、タクシーをひろったらこの運転手がまたすさまじく

    何のせいでかは知らないが不機嫌で、車のオーディオの音量全開

    うるさくてたまらず「師傳!・・・」とお願いして音量を下げてもらった

    のに、何か前の客の勝手な振る舞いに怒ってるらしいことは分かる

    が、でもそれって私に何の関係が??着くまで関係は最悪のまま、

    北站→嘉善へ、ここでもまたまた、着いたそのターミナルでは目的地

    へのバスがないということが分かったような分からんような・・、

     結局、→客運汽車站を目指せとのアドバイス、それでここからは

    どうやって?と尋ねると、「バスだよバス」のお答え。分かってますよ

    そんなこと、「そのバスはどのバスよ」 「不知道!」知らんってそんな

    無責任な・・・もっともあなたには何の責任もないですが、もっとこう

    誰それに訊いて見な!とか、確か××番だから行って見な、とか

    ですねこうなんかイロをつけてくれるとありがたいのですが、それが、

     「不知道!」の一言じゃねぇ・・・。

     尋ね尋ねて結局私が分かったのは、

     朱家角と尋ねるから駄目なんであって、地元では

     「楓径」行のバスに乗りなさい、とおじいさんのアドバイス。

     その「楓径」行のバスは??「ほれそこじゃよ・・」と言われても

     な~んの表示も、待っている人もいない辺りを指さす・・・

     んん~~信用していいのかなぁ・・・

     もう一人ぐらいこの意見に賛成してくれる人がいるといいのだが・・

     周囲の人たちは我関せず。

      待つこと20分くらい。いやもっと短かったのか・・来ましたバス。

      このバス、言われた「楓径」で朱家角に辿り着けるの??と

    恐る恐るバス運転手に尋ねると、「上車!乗れ」と命令口調。

    乗ってからもまだ不安で、男車掌さんに「大丈夫着くの??」と

    不安を訴える。「朱家角??着いたら教えてあげるよ!!」と、

    親切だぁ~~!好かった。やっぱ中国は男性の方が女性より

    親切ですよね・・・等と料金を払うと、一人九元。

     一人九元ですから、単純にレート計算ですと、100円ちょっと

    になります、日本円ですと、

        百円ですよ・・・、そんなら距離もきっとそう遠くなくて

     すぐなんだ、と思うじゃないですか、それがなんと、その九元の

     道のりは長い長い。このバス料金安すぎじゃないですか・・・。

P1040210
 日本だと一区も乗れませんけど・・・

 着きましたよ、朱家角

  明るいうちにつきましたから

  まずは順調?と言うことでこの日は

     このあと、また宿探し。

 

   





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2012年2月27日 (月)

まだ、烏鎮に・・翌日は東柵へ、

P1040202  まだ、わたしの旅は続いています。

 今月中に旅の話をかたづけようと思ってますが、

 どうでしょう、二月はあと二日しかない。

  それに、昨日・今日の函館の雪は凄いです、

     これがあきれるくらいの大雪で、地元は大変です。

        いまようやく店の前の雪かきを終えましたが、もう周囲は

    どこも雪山。太陽が出て今日は晴れてますが、みなさん昨日の雪の

    始末に追われています。

      そんな大騒動には関係なく、旅の話を続けましょう。

P1040200  烏鎮、西柵。古代の街を模造した街に一泊。

  そこは、表は明代風でも中は近代的、そんな

  凝った宿でそこそこ快適。

    旅行客が少ないようで、宿の人もお店の

  人たちも暇そうでした。

     暇だからといってサービスがいいかというと、そうはならない

   わけでして、却ってあまりに少ない宿泊客は顧みられず、かなりの

   ほっとかれ状態でした。

P1040201 西柵から、こちらはもともとの古い町並みが残る

 東柵へ移動。

   移動といったってすぐでして、歩いても来れるんで

 しょうが、なにせ西柵の園内(ちゃんと入場料を取る

 だけあって、囲まれていて、そこを出るまでに相当

    歩くことになる。ついでですが、先に訪れた西塘なんかも同じように

    入場料を取ってみせるのですが、こちらは今なお人々が暮らしている

    昔ながらの街ですので、一応観光用の正面入り口があって、そこで

    入場料を徴収してますが、街に入ること自体は横に沢山の小さな路

    があって、生活路となってますので、そこから入れば別段入場料は

    かかりません。そして、この西柵は観光目的で造られているだけに

    そこはちゃんと横入り?できないようになってまして、街そのものが

    テーマパークのようになっています。)

     ということで、田舎の街で久々の三輪タクシーを利用。

     東柵はそういうことはないだろうと思ってたら、こちらも入場料を

    徴収するエリアがあって、そこは勝手に行けないようです。

     時間があればたぶんそれもどっかから遠回りして入れるとは

    思いますね。人々の暮らしがあるんですから。

 

P1040199 いずれにしてもこの辺がちょっと観光地として苦しい

 ところですね。

  観光に依存して街を維持しようとすれば、それは

環境客の懐をあてにしての、観光のための街が

造られ、観光の為にだけあらかじめ造られたそうした

    街に観光客がいつまで魅力を感じてくれるかの問題があります。

      そんなんで、一泊して。、この烏鎮を午後離れます。

    感想は、後戻りしてまで来てみた烏鎮ですが、やはり思っていた

    通り、造られたという西柵は私には当時を忠実に再現したその

    凄さは分かりますが、それは魅力とはなれず、どこか生活感の

    ないよそよそしい、テーマパークでした。

      ちょっとガッカリ。

 

      午後またまたの移動です。今度の移動もかなり複雑です。

    バス路線はあるはず?ですが、はず??のレベルで確かめてません。

    でも距離から言っても方向から言っても、乗り継いでは行けるはず!

      いいのかぁ~、そんなんで移動して・・・

     と思うでしょうが、いいんです、遊びですから。

       次に目指すはまたまた水郷の古鎮、

    朱家角ズゥ・ジャァ・ジャォへ。

    朱家角はもう上海市に限りなく近いです。

    午後移動してまたこの街に夕方着ける予定。

    ここに一泊して上海入りすれば、またあの到着した日に宿泊した

    ホテルを発つときに予約してありますから、これで私たちの旅は

    一周ということになるわけです。









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2012年2月25日 (土)

烏鎮、造られた古い街で一泊

P1030196
    烏鎮ウー・ヂェン、 到着。

  こんなに遅く(といってもまだ夜8時半)

  着く予定ではなく、夕方前に着く予定だった

  のが、乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎに失敗はして

    ないが、順調にきても全てバスの乗継ではこんなもんでしょう。

P1030183 すでに夜のとばりが・・。それにこの日は寒い

 寒い、かなりの冷え込み。

 烏鎮の新しく観光の為に造られた街には余り

 興味はなかったが、ここまで来たらそりゃ見る

    でしょう、一応は。食べず嫌いはいけません。

     バス停で、この時間から門票モン・ピィァオ(入場料)が半額になる、

    との情報と、そこは観光の為に作られているので、食べる・住む・遊ぶ

    がある、との話を仕入れて、では・・・とやって来ました、西柵。

P1030194 寒さもあってかこの日の観光客はまばら。っていうか、

 殆どいません。ここにも台湾からの団体客がいたけど。

  どんだけ、台湾の人たちはあちこち旅して歩くの!

  門を入るとすぐにここのホテルがある。

  どうせ空いてるだろうから、先にこの造られた街を

    見学して、あとで泊まるかどうかを決めようと、そのまま街へ。

    なかなかよく出来ています。全て恐らく明代かそんな時代の街を

    復元。映画村の大規模なそれも忠実な復元の街と想像して下さい。  

      路の傍らのお店もみな当時を復元。

      外はそうでも、中は近代的というやつです。

      街の路はすべて石畳。でもこれが造られた街ゆえの、

      路がみな当時のものより整備されすぎていて真っ直ぐなのと、

      これ、すこし広すぎますよね・・・。

P1030195

 まぁ、大きな映画セットの中にもでいるような感じです。

 知らなければこれが作られたものとは気づかずにいる

 かも・・・。ほんと、よく出来てます。

  ふんだんに土地とお金をつぎ込んでの完成品です。

     作られたものが駄目ということはないので、これはこれで楽しめ

     ました。これが広いのです。途中、街のなかのレストランでようやく

P1030192食事。向かえ岸の水辺に映るその灯りを見ながら

だ~れも他の客もおらず、ゆっくり食事。

  なんでもそうですが、ある時のある状況は

見た限りでは理想的でなかったとしても、それは

     一方で必ず違う利点をもたらしてくれるもの、というのが私の考え。

      寒いは、客は少ないは、時間は遅いは、

     のおかげで、ノンビリと暖かい食事を愉しむことができた。

P1030185
  お腹もいっぱいになったら、移動が面倒になってきた。

 この復元された街の中に、この古式ゆかしい建物を

 そのまま宿にしてるのもあるらしい。

   受付で、(この門票を払いこの街全体の入り口に

 あたる場所は超近代的)コンピューターを扱って

      様々なサービスに対応してくれる。

     普段は多数の団体客が来ると見えて、団体シフトが上手く作られ

     流石最初から観光を目的として造られた街だけのことはある。

Wuzhen1
ということで、結局この日の宿は

旅の始めは、あまり気が進まなかった、

烏鎮のそれも人工的に造られた

その街をブラブラし、そこで一泊。

 毎日歩いていて、一度として

予定?通り進まないのは何故?

     っていうか、最初からその予定が予定でないような・・・。

      自分のことながら、何でも愉しめる自分って、こんな旅に即してる

     というか、そんな自分だからこんな旅になるのか、

       どっちが先だ?














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2012年2月24日 (金)

嘉興→西站→新客運站→烏鎮・・・誰に訊いたらいいの?

P1030181 多分、この日がこの旅で一番寒かった一日だと思う。

  夜にようやく辿りついた、烏鎮ウー・ヂェンは、

  白いものが舞っていて、息も白かった。

     この日の移動は激しい。何せ全くわかってない。分かっているのは

    嘉興へ行けばバスを乗り継いで、行けるであろう・・・ということだけ。

    私の当初のもくろみでは、嘉興で一回乗り換えれば、というか、嘉興

    から直接烏鎮へは行けるだろうとの、昨日の宿のコンピューター情報

    での予測。

      ところが、この嘉興がどうしてなかなかの曲者。

    ガイドブックにも載らない、余り話にも上らない、この町。

    この町にも一泊したかったのですが、何せ観光地でないのと、まるで

    情報がないので、それなりに博物館とか美術館とか郷土史研究館

    みたいなものがあると思うんですよね。なくとも私としては街を行く

    人々を眺め、適当に街中をブラブラしてるだけで愉しめる方なんで

    そうしたかったのですが、でも先に観光地を片づけなくては。

    なんせ、観光にきてるんですから・・・。

     嘉興北駅に着きました。バスターミナルです。北駅というんですから

    町の北側にきっと位置してるんでしょうね。

      早速、北駅で尋ねます。烏鎮行きバスはあるか?と。

    こんな時、本当の困るのが一体誰に尋ねたらいいのか、が問題。

    それなりに顔つきとか立ち居振る舞いとか、余り役にもたちそうもない

    一応の判断基準で、この人こそ・・と思う人に尋ねるんですが、これが

    また、いい加減だったり、明らかに間違いだったり、説明不足だったり、

    知らないとにべもなかったり・・で大変。でも、こっちが訊いてるんです

    から、仕様がありません。甘んじてそれらを受けましょう、でも・・・。

      みなさん、町でこれからはいつ何時外国の人から道を尋ねられるか

    分かりませんし、別に外国の人でなくとも旅行者に道を尋ねられたら、

    どうぞ親切にそして簡潔に教えてあげてくださいね。

      これで、その町の印象が大きく変わることになります。

     故意かどうかは別にして、嘘の情報はかなわん。

     こっちはそれを頼りに、全面的信服をもって歩いてますから。

      この日この北駅で尋ねた、このターミナル関係者とおぼしき、

    制服は着ていなかったが、明らかにこの建物にいる方、仕事かどうか

    も分からんが、私の理解では関係者?が、

     「西駅へいきな、ここでは駄目だ」と自信をもっておっしゃる。

     これは嘘ではなかった。でも正解でもなかった。

     西駅まで路線バスを使うとまたまた時間のロスになるので、ここは

    しようがない、タクシーで移動。タクシーは明らかにこの北駅と西駅を

    移動する客が相当いると見えて、乗るなり「西站!」の声を聴くと

    同時に発車。あっという間に西駅到着!!簡単、簡単。

      西駅で切符を求めようとすると、「新客運站で買いな」と言われる。

    「あのその新客運站にはどうやって行きますか?」「あのバスに乗って」

    と、今まさに発車しようとしている「八号路」を指す。

      急いで急いで、慌てて乗り込む。

     乗り込んだらそこそこ混んでいて、荷物を背負って、手には景徳鎮で

    買った陶器を壊してはなるまじと大事に抱えていたので、ちょっと邪魔

    になったのか、車掌が背負ってる荷物を床に置け、と命令口調で言う。

    床は汚れてるし厭だ、それに新客運站まではそうないでしょう?・・と

     言ったら、車掌は「新站!!(新駅)」と声を一ターブ上げて叫んだ。

     それにつられて乗客の殆どの人が私を注視。

     何かイケない事でも?だって切符売り場の人がこれに乗れと・・・

     私の言ってる「新客運站」とあなたの言ってる「新站」は同じですよね、

    この町にそうそう新しいバスターミナルが幾つも出来てるとは思えない。

      ちょっとしてから、前に座ってるおばさんが教えてくれた。

     新駅は本当に出来たばかりで、この路線バスにはもともとその新駅を

     回る路線ではなかったのだが、開業に伴い臨時に少し回り道して

     新駅をかすめて通ることになったが、この路線ほとんどが地元の人が

     使う線で誰も新駅など行かないにので、普段はその回り道を省いて

     これまで通りの路線で、新駅は省かれてるらしい。

      どうやら私は記念すべきその第一号の乗客だったわけで、

      新駅を通るとどれくらい遠回りなのかは不明だが、運転手・車掌、

     一部乗客は明らかに不機嫌。

        でも、これって私のせいではないですよ。

       いやいや着いた新駅は本当に、新しかった。

       これがまた、デカイ。

      かなり、予定?より遅れての行動になっている。

      これは、日が暮れてからの到着を覚悟しなければならない。

      新しい目的地は日の明るいうちに、がベストなんだがいつもそう

      上手くゆくとはかぎらに。没办法!!

        時刻表に「烏鎮」の表示があった。やれやれ。

      ここで安心したのがまた失敗。

        嘉興→烏鎮の路線は、最近中国のバスがそうなようにかなり

      色んな会社が、或いは個人でも、バス路線に参入してきていて、

      つまり、同じ路線を何本か異なるバスが走っている。

      ここでは、ちょっと落ち着いて次自分たちが乗ろうとしているバスが

      大型なのか、中型なのか、新しいバスか、古いのか、

      などを選択しなければならなかった。それも尋ねるべきだった。

      もっともどう尋ねれば、誰に尋ねればいいのかは分かってないが。

       オフシーズンということもあって、烏鎮行きの私らが乗ったバスは

     この新しい駅とは対照的に、それはもうクラッシクカーのレベルに到達

     しそうな、オンボロバスで、これがのろいのろい。

P1030197 そんなんで、烏鎮に到着してみればもう

  夕食どきを過ぎてました。

  お腹は空くは、宿はまだ決まってないは、

  寒いは、街の様子は分からないは、

     どうする・・・って、

     一個一個片づけていくよっかないでしょうが。

     またまた群がる客引きをまずは引き離し、さてと、

     宿だよ宿。結構なが~い、充実?した一日でした。


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2012年2月23日 (木)

西塘→嘉善→嘉興北站→嘉興西站→新汽車站→烏鎮

P1030162  朝の西塘。

 今日はここを切り上げて、移動するが、

 これまた、当初の予定にはない場所へ。

  目指すは、烏鎮ウー・ヂェン。

    浙江省です。ですので、地理的にはまた少し戻ることになります。

   ある意味この歩き方は無駄です。旅に無駄、というものがあるとすれば。

   何故なら一回この近くをかすめて通り過ぎてますから、本来ならこちら

   を先に見て、西塘に入るというのが常道?でしょう。もっともそんな

   コースを辿る旅の人だってそうはおらんでしょう。

    ましてや、今回のように一旦通り越してから戻るのはグチャグチャの

   曲線を描いているようなコースです。

P1030159移動時間は私の計算と、宿のコンピューターを使って

自分なりに計算したところ、5時間。ロスタイムを入れて

6時間もあれば十分。距離は実はそうないのです。

まっすぐ行くバスがないので、乗換に継ぐ乗換の繰り返し

と、その乗換場所も乗り換えるべき交通路線もこの時点

    では、分かっていない。それでも楽観的なのは、たんなる旅ですから。

    遊べればいいのです。

P1030170
ということは、お昼くらいまでこの西塘をブラブラ

していて好いことになります。

 烏鎮行が何故急に決まったかと言うと、

 この西塘に来て気づいたのは、この時期、

    冬の観光オフシーズンであること。

    冬の水辺の観光地は、夏は涼しくていいだろうが敬遠されること。

    間もなく「春節」なので、いまはみなその為の移動にそなえている。

     ということは、普段人が一杯のようなところものんびり見れる、

    ということですよね。

      もう一つ、烏鎮は、実はあれは作られた街で、古代烏鎮に

   似せて政府が広大な土地と予算で、その当時を再現した観光の為の

   人工の街だ、というのを何かで読んでですね、そんなら別に見なくとも

   いいわい、とず~と誤解してました。

     確かにその様に作られた街があるらしいのですが、それとは

P1030173別にもともとの古い烏鎮の街は残っていて、そちら

はそちらで現存している、という情報を昨日の宿の

コンピュータ検索で知った。

 さらには、茅盾マォ・ドゥン(作家)の記念館もある

    と書いてるし、東柵と西柵とに分かれていて、それぞれが観光できる

    情報を得ました。ありがたいなぁ、コンピューターは。

P1030179
ということで、西塘のけぶるような景色ともお別れ。

 西塘を離れます。

 西塘汽車站にやってきました。

     何か人が多いんですけど・・・。

    何曜日なんだ?旅にでるとこの感覚が抜け落ちてしまいます。

    駅に近づくとまたもや何処ともなく、客引きお兄ちゃんが出現。

    「どこへいくんだ?」というから、とりあえず隣街まで出るので、

    「嘉善!」とターミナル駅名をまるで切符でも買うように言ったら

    笑われた。そんな訳ないだろう、その荷物で、旅行で、嘉善は

    観光地じじゃないし、そうじゃなくて次の目的地は、上海??

    と聞いてくる。ちょっと時間もあったので、「いや反対だ、」と

    言ったら、「何処だ?」攻撃にあい、「烏鎮!」と言ったら、

    この人たちは仲間で情報交換していて、そっちはそっちの担当

    があるらしく、「烏鎮?二人ね・・ちょっと待ってあと二人探して

    来るから、あの車に乗っててよ」というその車は高級車。

     「いやいゃ~いないならいいですよ、バスで行きますから・・」

   の弱い断りでは聞き入れて貰えず、寒いし車の中で待ってろ・・と

   いなくなっちゃった。ありぁ~・・確かに今日は少し寒くて、車の

   中は高級車だけあって座り心地もよく、陽は射しているので、

   ポカポカと暖か。恐らくこの車で行ったらかなり早く目的地に着く

   だろうし、快適さは保障されてる。

     保障されてないのは、あのお兄ちゃんが善い人かどうか、と、

   道中の交通安全。

     バスで行くべきか、これに乗って行くべきか暫し迷って、

    結局はバス路線移動を選択。

P1030180お兄ちゃんを探し、断りを入れて、

バス停へ。何でこんなに混んでんの

というくらい普通のローカル線のバス

なのに、混んでいた。

    まぁ中国はどこもそうですけどね。

    嘉善までの途中で大きな交通事故あったらしく、

    途中からはノロノロ運転。車窓からその事故で横転してる

    トラックが見れた。ゆっくりだったので、写真を撮りたかった

    のに何せ混んでいてカメラが取り出せずに撮影失敗。

     嘉善に戻った。さらにもう一回り大きい町、嘉興への乗りつき。

   私がバス路線とバスターミナルが分かっているのはここまで。

    またまた未知の、ガイドブックもない、地図もない、

    尋ね尋ねて歩く旅に突入・・・となった。













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2012年2月22日 (水)

袖触れ合うも多少の縁ー旅先で出会った人たち

P1030167 こうして毎日移動をし、旅を続けていると、毎日毎日

いろんな人とお会いしますね。それは会うといっていのか、

すれ違う程度のそんなお会いの仕方です。

  お名前も分かりませんし、名前をお聞きするような

   関係でもありませんが、でもその都度その街で何らかのことで私と言葉を

   交わしたり、あるいは、お世話いただいた多くの人のことが今こうして帰国

   して旅を振り返ると想いだされます。

     上海の地下鉄で、我々に乗り違いを諭してくれたあの青年。

     上海のホテルの少し日本語がお出来なるあの小姐。

     合肥のVCD販売店のあの店主。

     それはある意味、写真に収めた風景よりも強烈に、今なお私の心に

   残っていて、そうした出来事、そうした人たちが私の旅の印象を形作って

   いると言ってもいいでしょう。

      あの人たちは今日もあの街で暮らし、今頃は何をしてるだろうか、

   とふっとそんなことを考えます。

     ここ、西塘でもそんな人に会いました。

    西塘のバスターミナルに着いた私たちを迎えるのは、相変わらずの

    客引きの人たち。もうすでに夕刻でしたので、さすがに輪タクやら、

    白タクのお兄さんたちは店じまい?変わって忙しいのが今夜の宿を

    お世話しようという、斡旋おばさんたち。

 P1030177


 いまバスから降りてきた私たちはまごうことなき観光者、

 それもこの時間ともなればここへ泊まること必至。

 そんな二人を逃すはずもなく、幾人もの宿屋斡旋人が

群がる。毎度のことなんで、それら近づく人たちを無視。

     先ずはそのバス停前の混乱から離れない事には、煩いし、相手を

     していたのでは周りの景色すら見ていられず、この周辺の情報を

     取り逃すことにもなる。な~に数メートルも離れれば諦める人は

     諦める。後を追わなくなるので、その範囲まで先に話はせずに

     足を早める。大概これでもう諦める。

       それでもこの日は付いてくるおばさんが一人いた。

       早口でいかに安くて、場所がいいかを売りにし、一緒にその宿

    へ行って先に見てくれ、見て気に入らないならそれでいい・・の繰り返し。

    かなり歩いて彼女の持ち場から離れた。それでも来るので、もうすでに

    宿は決めてある、と言った。別に決めてはいないが、このおばさんの

    言うそれ以外の宿、といういみでは自分の中で決めていた。

     しつこいのは嫌いだし。彼女の斡旋物件は私らには合わない。

     ボロボロの何年前に印刷したのかも定かでない宿のパンフレット

    のようなものを振り回し写真を見ろ、という。見ても同じだ。

     大体彼女にもう少し我々を見る目があったなら、私らでなく違う客の

   方へ行ったはずだ。彼女には客を見る目がない。

     更に歩くと、行く手にホテルが見えてきた。外観はまあまあ。

     どこでも良かったが彼女を諦めさせる為に、ホテルに入ってフロントで

   部屋の話などをし、料金を尋ね、実際に部屋も見せてもらったが、この

   ホテルは全体に陰気くさいのに加えタバコ臭くもある。イカン!

     外へ出たらさすがおばさんは諦めて退却したようだ。

     このくらいのことはどの町でもある。毎度のことだ。

    こっからが違った。ホテルを出た私たちの後を今度はかなり年配の

   おばあちゃん、と言っていい様なお年の方が付け回す。

    これが、悪いがこのおばあさん、話す言葉が訛りがきつすぎて私には

   半分も何を言ってるのか聴き取れない。まくしたて、多分お宿の斡旋と

   思うのだが、すれ違う人が振り返るくらいの大きな声で休みなく話す。

   こちらを怒ってるかのように。多分宿だとおもうのだが、こちらに勧めて

   るんだと思う。少し足を速めてみる。無理だろうと思ったら、遅れながらも

   なお何か叫んでいる。ちょっとこれはあまりにお年寄りの気の毒ではないか

   と思い、珍しくキチンとお断りしようと思った。理をもってすれば納得して

   貰えるだろう。こちらが外国人だということを正直に話していい・・・。

     歩みを止め、おばあさんが来るのを待って、悪いが私にはあなたの

   言っていることがまるで聴き取れない、それにもし宿のお話ならこれ以上

   付いて来ても無駄だから、どうぞお引き取り願いたい、と言った。

     こちらの言ってる事は通じてるようだ。

     それを受けてのおばあさんの話は、私の普通話が分からないって・・・?

   ・・・のその後がまた分からず。聞き取れたのは自分が普通話(共通語)を

   話している・・・のに・・の部分だけ。明らかに怒ってる。何にそんなに??

    それが分からん。

    この話未だに正解がない。結局分からない。それからも大声で何やら

   私を非難しているかのようなそんな雰囲気のまま、残念がら私の話は

   理解して貰えたのかどうかそれも分からず、歩き始めると、最後の決め

   のような何か辞書には絶対載ってないような嘲りの言葉を浴びせられた

   ように思う。それも聴き取れてない。

     今でも気になる。何だったんだろう。

     初めての町、初めての場所、初めて会うお年寄りをあれほど怒らせた

   ものは・・・。

     今振り返って、これは私の推測ですが、考えているのは、

     バス停から私らの後をしつこく付け回したあのおばさん、

     あのおばさんとこのおばあさんは何か関係あるのでは・・

     母娘か?ありえる・・・

     でもそれがどうして・・・、やっぱり分からん。

   あのおばあさん、どうしてるかなぁ~。会いたくはないが・・・。


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2012年2月21日 (火)

観光名所、西塘

P1020148
  西塘シータンの街は、中国国内ではもう誰もが知ってるというか

近年取り上げられることの多い、観光スポットの一つなのですが、

日本人観光客にとってはそれから遅れること数年、少しは知られる

ところとなって来たようです。

  それは、概ね上海から入った観光ツアーが、これまでのように

    誰もが知っている蘇州や周荘といった観光地にプラスされるかたちで近年

    この地も訪れる人が多くなっているようです。

      つまりツアー観光地の一つとして組み込まれるようになった。

      そんなのもあって、へそが曲がってる私としては、あまりたくさんの人が

    行くようになるとそこは敬遠するという行動様式で、これまで名前は知ってました

    し、いつか寄ろうとは思ってましたが、今回はそういう意味では自分でも予想外

    の展開から立ち寄ることになりました。西塘です。

      結果、良かったんですがね。

      それは、上の条件で言うと、今回冬で好かった、というか旅行シーズンを

    外してましたので、私が考えていたほど旅行客で一杯。団体客が大挙して

    押し寄せる、という状態ではありませんでした。

      ですので、水郷の街の夕暮れのたたずまいは、それなりに趣があり、

P1020151
 日も暮れて、水面に映る灯りのゆらめきも、ちょっと

時代を遡ったかのような感じを与えてくれて、そんな中を

ブラブラしてると日頃のあわただしさを忘れさせてくれる

何かがあります。

      水辺の両側にお店が並んでいます。

      確かにこれまで見てきた古鎮よりも明らかに観光地化されていて、

    お店も完全に、ここの暮らしとはかけ離れたものを売っています。恐らく

    暮らしを支えている市場はこことは別の所にあるのでしょう。

      歩いている人の9割が観光客です。そのまた8割くらいはおそらく

    上海あたりから日帰りでやってきている人たちでしょう。

      私が歩いている時間は少し遅い(午後7時すぎ)ですので、上海からの

    団体客は向こうを朝立って、昼を挟んでここを見て夕方には上海へ戻りたい

    でしょうから、この時間はもうおりません。

      この時間いる上海人とおぼしき人たちは、ここで一泊するような人もそう

    多くないでしょうから、このあとここで遊んでなお今日中に上海に戻れる

    自家用車を持っているか、それに同乗して来た人たちがその殆どではない

    でしょうか。そういう色メガネ見るせいか、み~んな金持ちそうです。

P1020153  河を望む大ベランダのような河にせり出した外の場で

 食事ができるこちらのレストランは、平日だというのに

 大盛況。席は確保できたものの、何人もいる小姐たち

 はこまねずみのように忙しく立ち働いていても一向に

    私たちのところまで注文をとりに来てくれない。

      小姐!と呼ぶ私の声は確かに、彼女らに届いていて、こちらを見て

    ちょっと待って!とか言ってくれるのだが、私の声の数倍の音量で小姐

    を怒鳴りつけるように呼ぶ違うテーブルの中国人の、 小姐! の

    声に優先順位がいつもあとへあとへと廻される。

      ここでも、割り込みかよ。

      声で割り込まれちゃってる。

     それでも、周りの風景は、私の気持ちを穏やかにさせてくれ、

    こんなんのもありかな・・・と思い。

     暫くしてようやく注文を終え、かなりゆったり食事ができた。

   (でもこれ、冬のオフシーズンでこうですから、夏は大変でしょうねきっと。)





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2012年2月20日 (月)

またまた移動だぁ~、嘉興がいいの?嘉善がいいの?

P1020146  あさ10時、下に降りてって、退房トゥィ・ファン

(チェックアウト)。昨日の約束ではお迎えの車が

来るというので、1階ロビーで我々は待機。

  またまたどうやら6時間くらいの移動となりそう?

     その待っているお迎えのクルマとやらが、来ない。

    待ってると待ってる方の時間はえらく長く感じる。これは世の常だ。

    やることもないし、フロント三小姐たちは朝はチャックアウトの客を送り

   出すのに忙しそう。相手などしてもらえそうもない。

    フロントの会話を聞いてると、英語だよ。あれ~彼女英語できるんだぁ・・

   でもまぁカタコトもカタコト、客の方の英語もなんだかたどたどしい。

     馬来西亜(マレーシア)からの客らしい。6人仲間で一人これまたカタコト

   の北京語を話す人がいて、あの英語で、ここまで辿りついたんだぁ。

    そのカタコト北京語の人が後ろのソファーにかけたので、お話したかった

   んですが、そんな時に限って待っていたクルマがやってきた、と小姐が・・。

    待っていればこないし、待ってないとくるもんなんですよ、こういうものは。

    それが、小さなマイクロバス。まさかこれで・・・と思ったら、やはり違うらしい。

   先客男性お二人は、黄山登山を昨日終えて、これから杭州へ出るという。

   このマイクロバスで、大型バスがくるところまで送ってくれるらしい。らしい。

   彼らも分かってない。運転手は女性で、何故か彼女に私が行きたいという

   嘉興ジャァ・シンまでの運賃を払う。で、チケットよこさないんで、求めたところ

   「要るのか?」って、そりゃいるでしょ普通。

    何だか幹線道路のようなところの、その横の自転車道路をグングンスピード

   上げてこのマイクロバスは進んでますけど、大丈夫か??

    「ここだ!」と言われたところも、バス停とおぼしき安全地帯があるわけでも

   なく、バス停の表示板があるわけでもなく、な~んの変哲もない、一般道と

   自転車道を分ける分離帯を示され「降りろ!」とギャング映画もどきに脅され

   降りてその分離帯の上で、4人は立ってる。ヘンナノ。

    どうやら、携帯電話かなんかで大型バスとは連絡がついていて、ここで

   待ってるとバスがきて我々を拾ってくれるらしい。

    んん~、大体中国のバス停は、都市の一般路線バスもそうですが、

  バス停を無視しすぎでしょ。バスはちゃんとバス停を作ってそこに停まるよう

  しましょうよ。こんなところが急にバス停になっちゃうなんて。それに明日は

  また違うところがバス停になるんでしょ、このやり方だと。

    分からん、全く分からん。これではどうやって、どこでバスに乗るかなんて

  旅行者には無理だ。先の中国人男性二人組にしたところで、「いやぁ~我々

  も不安だったよ・・」なんて言ってる。

    どうりで、この辺の説明。どういう迎えのクルマが来て、何処へ運ばれ、

  どっから乗り込むかはその日次第なので、ホテルのフロント小姐三人組の

  説明が分からないはずだ。実は彼女らもちゃんとは分かってなかったのだ、

  ということが判明。

   バスに乗り込むと、すでに座席は八割がたが埋まっていたが、後ろの方に

   二人部の席が空いていたので、やれやれ・・・これで・・・一安心。

    暫くして、車掌兼運転手助手が各席を回ってやってきた。

   車内で切符を買ってる人もいる。我々には切符を要求しないのでやはり、

   事前に連絡がついているようだ。「嘉興までだな」と念を押される。

     こっちがまだ様子が分かってないので「あの~」と尋ねようとしたら、

   「何だ?旅行だろ??嘉興で降りても何にもないぞ、西塘シー・タンに

   行くなら、その先の嘉善ジャァ・シャンで降りた方がいい・・・」との

   アドバイス。アドバイスかなこれ・・?この辺が行き先をきちんと決めて

   いない弱みで、相手にそう言われるとそれが良いのかなぁ・・・と。

     「じゃぁ、その嘉善まで・・・」と言うとこの車掌さんは相手に皆まで

   言わせない、とにかく反応が早い。「嘉善までだと×元追加だ」と言われ、

   その分のチケットを渡された。

    連れが大丈夫なの・・・と言うが、まぁ遊ぶんだからどこでもいいんだよ、

   それに西塘はもうかなり上海に近づいてて、観光地として名を売ってるので

   何度か耳にもしたし、行こうと思えばこれまでだって行けたが、余り観光地化

   されているようなので、こちらが避けていた。そこへ出れるならそれでいいん

   じゃない、と割と呑気。

P1020143先の男性二人組は、途中で降りた。更にバスはどんどん

高速道路を縫って、嘉興の町に入った。

 んん、確かにそこそこ大きいぞこの町は。

 降りてもみたいけでなぁ・・・、ここで降り立ってまた

    この町で一泊しちゃうとちょっとなぁ・・・

     ということで、ここはグット我慢して、このバス嘉善が終点らしいし、

   嘉興→嘉善はそう離れてないらいし。

    嘉善、到着。やった!!長かった、6時間くらいか。

    まてよ、その西塘までは今度はその着いた嘉善のバスターミナルから

   路線バスに乗り換え更にかかるらしい。

     バスターミナル中の、服務台(サービスカウンター)があるので、

   そこのおばさんに、西塘までの行き方を尋ねる。ごくごく普通に尋ねたのに

   そのおばさんは、何故か激怒、「そんなことも分かんないの!!切符は

   バスに乗ってから買いな!!」と声を荒げて怒ったように、実際怒ってた、

   怒鳴り散らす。何ナノ、私の何があなたに火を点けたの?

     だってアナタ、アナタのお仕事って案内するのが仕事でしょうが!!

   とこっちも負けずに切れまくればよさそうなものだが、温厚なわたしは、

   アンタに訊いたのが間違いでしたとばかり自分の見る目のなさを嘆く。

P1020147 そんなでも、西塘には実力?でなんとか着きました。

ホテルも例によってバスを降りたところで決めて、荷物を

置いてとりあえず夕食兼散歩を兼ねてホテルからでて

そぞろ歩き。もう陽が傾きはじめ、店の灯りがチラホラ

点り始めてますよ。

    今日はず~とバス乗ってて、歩いてないから丁度いいです、

   このまま散歩してどっかで夕食をすませて宿に戻ればいいだけだ。

    それにしても移動に時間がかかる。

    また、移動の情報が少なすぎる。

    嘉善も良さそうな街でした。時間があればここでもちょっと見たいんだが、

    そんなことしてたら何時になったら日本に帰れるの、ということになりそう。

    まずは、西塘を愉しみましょう~と。









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2012年2月18日 (土)

ホテル小姐たちのお薦めレストランへーさて、次は何処へ・・

Pc310105 ようやく、一日観光バスはホテルに戻ってきました。

  結局、またこの日も屯渓泊まりとなった。

  このホテル、気に入ってるので、今日もまたここに。

   ホテルフロントの小姐三人組も喜んでくれる。

    この三人でどうやらこのホテルのフロントは回ってるらしい。

   着いたその日は夜遅かったので三人揃ってなかったが、あとはいつみても

   三人仲よさそうに服務台の中に並んでいる。

     「老街ラォ・ジェ」はほぼ見終わったし、今日はもうこれからの予定を

   じっくり検討しようと思う。

     またもこの街でも二泊だ。このペースだと流石にちょっとのんびりしすぎ。

   まだ見たい個所は沢山あるのに。ここからは多少効率化も考えなくては。

    ということで、今日はこれから外で食事をして、戻ってから部屋でゆっくり

    この先の行き先を考えようという、急いでんだかのんびりしてんだか、

    分からん状況。

    先ずは、いつも通り情報収集。フロント小姐三人組にこの近くで、お薦め

    の美味しいレストランを紹介してもらうことに。

     三人の意見は割とあっさり決まっていて、お薦めは二店。

     私は中身も聞かず単にそのレストランの名前を比較して、

     私がカッコいいと思う方のレストランに一方的に決めたので

     この用事は簡単にすんだ。

    次は、この後の予定に必要な情報収集にコンピューターを使いたいので

    ホテルにレンタルの電脳ある?と尋ねたら、「個人貸しのはないので、

    私のを使っていいよ、」というがそれじゃあんまり悪いでしょ。

      それにネットに入るにはここで(服務台横)で使うよりないらしい。

    そりゃちょっと迷惑すぎる、それにこれから食事に行ってそのあとでは

    時間も遅くなる。お断りしようと思ったら、「没問題!現在用口巴!」と

    言い、さっさと席を替わられちゃった。

      45分くらいの電脳との格闘の結果、私が分かったのは、どうやら

    私が見たい幾つかの個所の拠点となるべきところが、「嘉興ジァ・シン」

    という町にあることが何となくだが分かった。

     「嘉興」なんてな町が日本のガイドブックに載ってのを見たこともない。

     中国の本だってないだろうと思う、ここが観光地というわけではない。

     ここは単に移動の為の拠点となる町で、ここを目指すわけではない。

        でも・・・とりあえず、目指すは「嘉興」。

 

      そうと決まったら腹減った~

      ホテルからそう遠くないというお薦めレストランへ歩いて移動。

      なるほどそんな大きくはないが混んでましてね、このレストラン。

      それで、いろいろ注文して料金も安くて、愛想もよくて、感じも・・

      み~んな良かったのだが・・・・

       いかんせん、すべての料理の味が濃い。濃すぎる。塩からい。

      んん~、材料も新鮮、料理の手際も、熱の加え様もこれでいいのだが、

      味が濃い、喉が渇きそう、どれを食べても塩味がきつい、

        それでもお腹が空いてたので、ほぼたいらげて、満腹になって

      気づいたのは。

       そういえば、あのホテル三小姐たちはみな田舎の出身らしいから、

      彼女らにとってはこういう味が美味しんだよきっと。

        それに我々の料理の頼み方はちょっと偏ってたのかも・・・

      多分選ばれなかったもう一店の方も同じようなものだろう、と納得。

        さらに彼女らお薦めの、明日朝のパンをホテル部屋でとり、

      朝食代わりにしたいので、近くのパン屋も訊いておいた。レストラン

Pc310112に向かう途中立ち寄って買ったパンは正解!!

  美味しかった。なかなかよく出来ていた。

  これは味が好い。彼女らは「あそこのパンは

  高いから~・・」と言ってた。

      でも、こちらは、彼女らの推薦通りにして良かった。

       ということで、今日のところは、一勝一敗。

        でも昨日もお世話になったし、電脳も借りちゃったりして

       明日もお世話になりそうだし、得点の方が多いもんね。

       彼女らには感謝。

       明日、「嘉興」までのバスをどうしようと思ってたら、

     はいはい!と何処かへ電話して、明日朝10時頃に此処に迎えが

     くるから、それに乗って行けますよ、という。

      まさか?その「嘉興」行のバスがここまで迎えにくるの?と

    訊いたら、違うという。迎えの車に乗ってバスが来るところへ運んで

    くれる、という。その迎えの車は「嘉興」までのバス会社の車と人で

    安心していい、というが、そんなんでは安心はできないし、

    言ってることが今一つ私には分かってないんですけど、中国は

    分からんことが多すぎて、あんたら三人が声を揃えて安心して良い、

    というのなら安心しましょう。

       晩安ワン・アン!(おやすみなさい~!)

 

   




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2012年2月17日 (金)

決死の結婚記念写真撮影隊ー中国結婚事情、その費用は?

   ようやく、一日ツアーも終わり、ホテルに届けて貰えそう・・・。

  郊外を走る我々のバスがまたまた新婚さんパレードを追い抜いた。

  んん??今日は日が好いのか?、確かこれで3組目くらいだぞ。

    かなりの車の隊列。派手に飾りつけもして、一番前を走ってる車に

  新郎・新婦が乗っているのか、更にその前に撮影隊の車が道幅を一杯

  につかって自由にというか、言い方を換えれば勝手気ままに、ジグザグ

  運転。危ないでしょ!と思うが、更にそのカメラを構えている人は窓から

  身体を思いっきりのり出したり、車内の足だけを支えに上半身は全て

  車の外・・・。

    まてよ、この格好日本でも見たことがあるぞ、と思う。

Jiehun_2 そうだ!これって日本のあの選挙宣伝カーの最終日、

候補者名を連呼しながら身体を外に投げ出してるのと

同じだ。但し、こっちのほうがもっと大変。思いカメラやら

   機材をもっての身体乗り出し放題姿勢ですから。

     乗ってる車もみな高級車。何なんでしょうかねぇ~とも思うが、

   午前中に見たのもそういえば揃ってベンツに乗ってた。

     どうなってるの?勿論ご自分の車ではないでしょうが、レンタルに

   したって大変でしょコレ。

     バスの後ろの席のアベックに訊いてみる。彼らもこんなことやって

   いそうだし、それもつい最近のことのように思えるので、彼らなら何でも

   よく知ってるかも・・・・。お願い教えて!

   「あのクルマね、レンタルでしょ?で、例えばあれ1台でどれ位かかるの?」

   アベックの彼女の方が、「あれだと・・・時間もあるんですけど・・・6時間(普通)

   借りるとして、私たちの場合は1台2000元ちょっと(3万日本円弱)かな・・」

    「え~、1台ですよね、というとあの隊列組んでますけど・・・」

Jiehun_1 「新郎・新婦のクルマが高いのよ、他のはそんなには・・・それに

割引も有ったわよ・・・」有ったわよっ、たってそれクルマ代だけでしょ。

「専門の会社があるのね・・(日本にだってありますとも)で~

    クルマの飾りつけとか~、カメラマンとか~、化粧をする人とか~がぜ~ん

    ぶでいくらだった?」と彼の方の聞く。どうやら彼の方が負担したらしい。

    「2万元はかからない・・」え~2万!ちょっとちょっとそれだけで20万円!

    それであの~結婚式パーティーはまた別ですよね・・・「当然!」

    「それに写真代とかレンタルの衣装代とかあるの」

    あるの、って。そりゃあるでしょうけど、

     じゅぁですね、一体全体いま中国で普通?に結婚しようと思ったら、

     一体どんだけかかっちゃうわけですか?それが知りたい。

     「それは大変だよ」と旦那?の方が、

     「それには家も入る?家具とか、新しくかったテレビとか、ベットとか・・」

    いやいや、それはちょっと・・・では、どうでしょうこの日だけのですね、

    結婚パーティーやらのこの一日の費用は、さてハウマッチ??

    「あの~事前に結婚記念写真なんかも撮ってるのね、・・・」

    いやいや~、余り細かいことは言わずにですね・・ずばりおいくら??

    「結婚指輪なんかはどうなるの?」と彼女の方が・・・、

     それは別にお願いします、でその結婚式委託会社への払いと、

    ホテルでされた結婚披露宴の費用に関係する出費は?ズバリ??

     「パーティーは何卓出すかで違うのよねぇ~」と彼女の方が・・・

     あぁ~、もう面倒くさいな、じゃこっちから言いましょう!

    「5万元(日本円≒60万円)でドウだ!」と言ったら、

    「差不多・・・(そんなもんかな・・・)」と言う。

     おいおいおい、それって悪いがあんたの月収の何倍なの?

     これに新婚旅行だ新居の準備だ、どんだかかかるんだか、

     それを聞いて車窓に目をやると、相変わらずカメラマンは

    必死の形相で如何に新郎・新婦をカメラフレーズに入れるかに

    熱心だ。あの熱心さも料金のうちとうなずける。

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2012年2月16日 (木)

午後は、西逓観光、恐れていたことがその後に・・

P1010139   宏村観光のあとは、もう一つの観光地点、西逓へ。

  途中バスは昼食に。どういう位置関係になってるのか

 多分バスは一回引き返してまた違う道は山間に入ってる。

  まぁ観光客はそんなことまで知らなくていいんですがね。

 私はちょっと気になる。その途中でレストランが何件か連なって

   いるような所へバスが着きました。各バス会社と契約になってるのでしょう、

   事前に今日は何人、という連絡も入っていて、バスが着くと同時に料理が

   運ばれてきます。全くおざなりの、こんなもんでしょ、昼食でした。そう期待も

   していなかったのでこれはこれで好いのですが、バスの運転手さんとガイド

   さんは我々が食べている部屋から更に奥の部屋へ行って他のバス運転手

   さん仲間と食事。多分向こうの方が料理はずっと良いはずだ。

     さて、日本人は一体どう昼食を食べるのか、という同じバスの仲間の

   好機の目と、いろいろ何やら言ってくるのですが、食べてる時にうるさい

   ので、適当に質問をはぐらかし、昼食は終了。

P1010124次の西逓は、宏村より規模が更に小さい村。

でも好かったですね、宏村ほど観光客が来ないと

見えて、ちょっとゆっくりできました。

  これが観光地の難しさですね、観光地として

    整備され有名になると人がどっと押し寄せ、そのことで喜ぶ地元と、

    地元に人だってそれを苦々しく思ってる人もいるでしょうし、一方

    訪れる方の側だって、私のように余り観光地化されると喜ばない

    というへそ曲がりもいる。でも世の趨勢としてはへそ曲がりは数が

    少ないので、へその曲がってない人の方に舵を合わせるのが正しい。

P1010119← 火腿、肉の塩漬けを干してました。ごろんごろん

大量に。これも買って帰れたらもって帰りたいのですが、

駄目です。そんなことを考える人もそうは多くありません。

西逓の村の建築物は、その規模からいっても、宏村に

    及びませんが、それでも味わい的には私はこっちの方が良かったのは

    単に人が少なく、観光地化が遅れていたからでしょうか。

P1010125当然規模が小さいのでこちらに割り当てられた時間は

短く、あっという間に西逓観光終わり。

  これもしょうがないですね、ここでもマイクを使っての

現地観光ガイドさんがついて熱心に建物の説明をして

    くれるのですが、相変わらず中国の人たちは余り関心もないのか、各々

    違う話をしてましたけど・・・。

     さて、重要観光地点は見終わりました。午後3時を少し回ってます。

    これで、あとは一路朝乗せてきた地点へ戻るのかと思いきや・・・

    ガイドさんは我がバス会社とナントかカンとかで、協力共同関係にある

    ××会社が近頃炭を使った画期的製品の開発に成功、この製品が

    いかに優れモノであるか、今回のツアーを選んだ皆さんはラッキー、

    私と一緒にその工場もある会社の販売店に行けば普段は割引のない

    これら新製品がナント×パーセント引き・・・(割引券を渡される)。

       早い話が、どうやらまっすぐは帰してくれずどっかの工場に拉致

    されるらしい。団体ツアーとなるとこれがあるんですよ。

      バスごと運ばれて買いたくもないものを説明され見せられる。

      あぁ~やっぱりあるのかコレ。弱ったな~、が私の感想。

      私としてはこのまま宿に帰って、屯渓の町を見たいのですが、どうやら

    バスは違う方向へ向かってるようです。やがて着いた工場では、会議室

    らしきところに閉じ込められ、いかに自社製品が優れものか、の説明を受け、

    工場見学までさせられ(勘弁してよ!)直営スーパーと廊下が直結していて、

    有無を言わさず買い物かごを渡され、遊園地の並び仕切りのようなぐるぐる

    回りを商品の棚を見ながら歩かされ、私らは急ぎ足で出口に向かい、空の

    かごをレジ横に置いてサッサと出てきたが、中国の人たちは何が好いのか

    意外にも店員の説明をまた聞いたりしてる。

      それでもそんなに買うようなものはなかったのか、一人二人が何か買った

    ようで、バスに乗り込んできた。

      さて、いよいよご帰還だ~、と思ったら、バスガイドさん、

    もう一か所、当地の産物だけを扱ったお店がある。みなさんお土産にご苦労

    されるかと思いますがここへ行けば一発で問題解決。そこにご案内しましょう、

    とニコニコ顔で話してる。

      まだあったのぉ~と、私は相当ガッカリ。

      更に、バスの中で当地のお土産のあれこれを解説。

     「日本ではどんなお土産が喜ばれますか・・・?」と私にふってきたが、

     私は協力する気もなく「もう買い求めました、宏村で・・」と言い、何を買った

     かまでは言わなかったのに、「あそこの店は変わったものが売ってますよね」

    と、どうやら私が大量に買ったマウスパッドのことを知ってるらしい・・・。

      バスガイドさん、「はい!ここを曲がったら直ぐですよ、たくさん買いすぎない

    ようにね!」などと少しはしゃぎぎみに、向けた視線のそのお店はナント!!

      ガラス窓には大きく「只今改装中」の大きな文字が。

      ハァハァハァ ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ 

     やってないじゃん!良かった!!

      ガイドさんは慌てて何処かへ電話。かなり失望の様子。

      逆に私は急に何故か嬉しくなってきた。

     先ほどもうすでに一か所寄って来たんですからガイドさんの面目は

     もう立ってるとおもうんですが。電話でせわしなく何やらやりとりした

     後、違う店でも見つけたのか運転手さんに場所を指示している。

      でも運転手さんは一言、「算了口巴!」(もう諦めよう!)と。

     運転手さん!あんたは正しい!!

 

      
















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2012年2月15日 (水)

中国の超田舎町で買ったお土産ー宏村

   安徽省・屯渓近くの宏村。古鎮と、言われる田舎町です。

  此処と、もう一ヶ所、西逓シィ・ディを巡る一日観光バス。

  午前中に連れて行かれてのが、宏村ホン・ツゥン。

  田舎です。超がつく田舎。村のレベルですね。ここだけ集落が

  ありますが、この周辺は山また山の風景、他はな~んにも無し。

     さて、そこでの自由行動時間。村の中をブラブラ。

   ここも観光客を相手のお土産やさんやちょっとした食堂やら、休む

   ところがある。

     意外や意外、こんなところにこんなものが!を発見!!

     これがあるから中国は面白い。いつも「何で?」のサプライズ。

   日本からの中国の方へのお土産も何がいいかはそこそこ苦労する。

   物で溢れる、何でもある日本でも迷う。

     その逆、中国で買う日本の方へのお土産は、お茶や工芸品

   と相場が決まっている。一回はそれでもいいだろうが、私のように毎年

   ともなれば、そうはイカン。

     加えて、この旅、まだこの先があるのに、先の景徳鎮で自分用の

   お土産を買いすぎちゃった。ちょっと手荷物が多すぎる。この先日本の

   友人・知人へのお土産をどうしょう・・・と既にそのことが頭をかすめて

   いたところへもってきて、ありましたよありました。お土産最適品。

   こんな田舎で、こんなお土産が手に入るなんで思ってもいませんでした。

Padde 先に種明かしをしましょう。こちら、何だと思います。

←デザインに惹かれて買ってるのですが、コレ、

コンピューターのマウスパッドです。大きさはですから

ごく普通のパッドをご想像ください。

    バッド自体は何処でもありますが、コレひとえにこのデザインで勝負して

    います。上のは自分専用に買い求めました。種類が多く、このシリーズ

    私は「文革シリーズ」と言ってますが、このデザインと文言がいいのです。

    上は「領導専用リン・ダォ・ズァン・ヨン」(親方専用)

    このほかにもう人にあげちゃって現物は手元に無いのですが、

    「老婆永遠是対的」(妻は永遠に正しい)とか、文核時代のスローガンを

    もじったシリーズが数種類あってそれらを一挙に大量お買い上げ。

     こんな田舎町にこんなオシャレ?ものを扱う店があるのも不思議なら

   それをまた突然こんなに大量に買う客も珍しいのか、ちょっと一緒のバス

   の人たちの話題にもなったようです。「日本人って変なもの買うのね」って。

      でもコレ、私のお土産の条件をみごとに満たしています。

    何処でも手に入らない、中国らしい、かさばらない、重くない、壊れにくい

    誰もが一応使える多少の実用性か美味しいか、値段がはらない、

      の条件ですね。

     で、日本へ戻ってから差し上げた人たちに喜ばれたかどうかまでは

    自身がないのですが、お土産はホラ差し上げる方の満足度も大切です

    からその点ではこのお土産大満足です。

    こんな田舎町でお土産の半数が片付くとは思ってもおらず幸運でした。

Shangxuelu1 ←移動中にこんな風景も。これあの年前の中国でのスクールバス

事故が連続して起きた影響でしょうかね・・・違うかなぁ・・・

   田舎道を孫を迎えに来た三輪車。スクールバスが仕えなくなったから?

   学校までの送り迎えが不便になってるんのでは・・・

     そんな親子を追い抜いて、次の観光拠点、西逓へと移動です。

 

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2012年2月14日 (火)

この日は、安徽省の田舎町、宏村をブラブラ

    中国の一日観光バスに乗っての宏村観光を楽しんでいます。

バスの乗客は12人。途中私ら二人が日本人であることがバレてちょっと

したバスの中の空気の動きに変動が。

   皆さんの感想は、「何で?」と言うことでしょうね。何で、あの二人は、

日本人なのにこんな田舎町へどうやって来たの?なんで日本人団体観光

バスでなくこのバスなの?なんでガイドさんの言うことがわかるの?くらいの

驚きと、10人のたくさんの「なんで?」を乗せてやって来ました、宏村です。

P1010118
気温は何度あったんでしょうか、多分15・6度。

厚着しているので寒くはないどころか気持ちいい。

日も射してきて、ポカポカといった陽気を感じる。

そこへ持ってきて、こののどかさ。のどかだぁ~!

   わたしの「何で?」は、なんでこんな山間の不便なところにこうした

 文化が生まれ、それを育ててこれたか、ですね。

   人は水があり、恵まれた自然があればどこでも生活できますし、

 逆に水がないと生活は成り立ちません。多分山から湧いてきている水

 を上手に利用して、ここの文化は育まれてきたのでしょう。

P1010121
 ひとつひとつの建築物も素晴らしいです。

時代を経てそれは一層貴重なものになって

いますし、今見てもなお、当時の意匠とその

技術の高さが十分に伝わってきます。

   真ん中に池というかため水の場を設け、それに路と建物が配置され

   ていて、その建築物の説明をガイドさんがしてくれます。

P1010127
そのガイドさんは現地ガイドさん。こんな感じの赤い上着は

制服なんでしょうか、皆こんなのを着てました。肩には小型

スピーカーがぶら下がってます。口元にマイク。歩きながら

時折自分の客が付いてきてるかを確認。綺麗な普通話(

標準語)ですし、毎日ガイドしてるでしょうから時間もよめます

   し、どこでどんな話をするかもほぼ決まってるでしょうが、丁寧ないい娘

   でした。ところが、わが12名の観光団、すれ違う他の団を見ていても、

   どうもこのガイドさんの説明をろくに聞いちゃいない。たまに自分の興味

   のあるところだけ、聞いてる感じ。これって日本国内の観光も同じですかね。

P1010134

ひとあたり歩いて説明を受けたところで、自由行動。

村の中を勝手に歩いてバスに戻るように・・・と言われ

自由のはずが何故か我々が先に立つ形で後ろにバス

   の仲間が付いてきちゃう。

     ここのガイドブックというか写真集を出した著者がたまたまご自分の

   本を机に並べて売っていた。中国の他の方は誰も興味ないようだし、

   買わないようだが、私は此処へ来た記念に一冊求めた。横のアベックが

   この人たち日本人ですよ、とその著者兼自作販売人に耳打ちした。

    彼はわざわざ日本から・・と言って、著作の扉にサインしてくれるという。

   わざわざ、たって此処は誰もがわざわざ来ないと来れないところでしょ、と

   思ったが記念ですので、ありがたくサインをいただくことになった。

    サインをし雅印も押していただき、握手して礼を。

    彼はせっかくだから、貴方のサインもこれにしてと紙を差し出す。

    ここまできてのノリで、日本・北海道・函館とかいて自分の名をしたため、

   宏村参観記念、と書いた。

    それを取り巻くように見てた私たちのバスの乗客プラスあとからの

   野次馬中国人が誰からともなく拍手が・・・・

    何が?その拍手は何?

    そばのアベックの彼が、「凄いじゃない日本人漢字上手いんだ~

   字も書けるし書道も上手いんだ~」と誉めてくれる。

    え~、この人、日本人はどんな字を書くと思ってたんだろう・・・

   そのあと、私のこれに何か書いて、と紙を差し出され、

   時ならぬ私のサイン会とその場がなってしまいましたけど、

   大丈夫かこれ。別に何も書くことありませんけど。

    それに傍らにいるこの本の著者より人気があるのはまずいでしょ、

  やっぱ。本も買いなさいよあんたら・・・、本を買ったらサインしてあげます、

  と私が言うのも変だしな・・・、

    あぁ~、もう集合時間が迫ってますから~・・と言ってその場を

  ようよう離れる。やれやれどこでどんな目に会うか分からんもんです。

   ホント!





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2012年2月13日 (月)

祁門キーモン紅茶は諦めて、宏村ホンツゥンへ。

 先にちょっと書きましたが、ここへ来る途中、あのキーモン紅茶で有名な

祁門(中国語読みはチーモン)という町があるんですが、今いる屯渓はこの

私が行きたい二つの場所、祁門と宏村のとの三角形の位置にあるようです。

 それで、情報を仕入れるべく、いつものようにホテルのフロントのお姐さん

たちと少し雑談。三人いたんですが、うち二人は田舎から出てきたばかり、

といったような人たち。多分この辺のことなんか分かってない。せいぜいが

このホテル周辺のお店情報くらいなら対応できるかも、のお二人。

   お一人は少し年配で旅行者を相手に説明も多少慣れてるよう。

   でも、三人が三人の意見は、「祁門は行っても何もない」で一致。

   そうかも知れない。いくら世界的にそこの茶葉が有名だからといって、

 観光地ではないのと、中国中からバイヤーが来て茶葉の買い付けはするが、

別に一般の人用のお茶さんがあるわけではないのかも・・・。

   となれば決定でしょ。祁門もこんなに近くに来ているのでこのチャンスに

 行って見ておきたかったのですが、冬ですしね、茶畑を見てもねぇ・・・

   ということで、宏村周辺の古鎮を見に行くことに決定。

   ここでまたまた迷う。これらの周辺を歩くのに、昨日のタクシーの運転手

 さんに連絡して頼むか、一日観光のようなバスにするかだ。

   ホテルのお嬢さんたちのお勧めは、今回も三人とも、バス。

   理由は、タクシーの運転手は運ぶだけで村のなかの案内はそれぞれ

その地のガイドさんだし、門票(入場券)を一回一回負担するくらいなら最初

から一日観光に含まれてる方が安心、お昼代も入ってるし、交通もバスの方が

安心、などの理由だった。

   結局わが方は二人で、向こうは三人ということで、多数決の論理に従って

一日観光を申し込みました。ホテルの前まで迎えに来るから安心だし、ホテルの

前まで送り届けてくれるので、タクシーと同じよ・・と小姐たちは言う。

P1010141
 それで、その宏村古鎮一日観光は、二か所の重点

観光地を回り、昼食をとって、夕方前にはホテルに戻る

というもの。乗ったバスはこれ何人乗り?

20~30人乗りでしょ。でも私が乗り込んだときは、

  私ら二人も入れて、8人。途中4人組を拾ったので総勢12人。

   冬の観光はこんなものか。

  前のお二人は、上海からの年配者ご夫妻。奥さんは小型犬を抱っこしてる。

   娘たちと黄山観光に来たが、私らは前にも黄山には登ったことがあるし、

   もう年だし、ホテルにはこの子(犬)をヒトリ置いとけないし、連れてきたの

   という犬はいたっておとなしい。

    あとの二組は若者カップル。新婚旅行ではないのでしょうが、多分この

  冬の季節に休みがとりやすいのでしょう、昨日黄山に行ってきた、と言って

  ました。途中の4人も夫婦が二組。多分旦那さんの会議がこの近くであって

  それに一緒に来たか、もともとが一緒の会社にでもいるのか、会議のついで

  の観光旅行・・・の12人。

    バスは山間の狭い道路を縫うように走る。運転手さんはこんな道でも、

  慣れているのか、スピードを落とさず。ガイドの女性は、数年前に函館に

  来ていた留学生ととてもよく似ていて、その時点で私の頭の中はもう彼女

  の名前は、その留学生の名前で刷り込まれていた。あとで連れも、あの子

  ××さんにそっくりね!と言い出したから、でしょ!と二人納得。

    道々ガイドさんは安徽省の歴史からこれら古鎮にまつわる話をず~と

  親切に話してくれる。連れに分かる?と聞いたら、半分くらい、と言ってた。

  半分わかりゃ大体の意味は取れてるだろうから、そのまま改めて日本語の

  説明をせずにいた。

  この時点では多分我々を日本人と思っているバスの同乗者はいなかった。

  それが暫くしてガイドさんが、門票の老人割引がある、と言い出した。

    年齢的に該当しそうなのは前の上海のお二人と私ぐらいのものか。

    上海からのご主人の方はきっとどこぞの政府機関のお役人を退職でも

  したような人で、身分証明書を出していた。

    でもこれ外国人にも適用されるのかな。中国人のみ、なんでは・・。

    ガイドさんは私を見て、あなたもそうじゃないの?という。

   この時点でガイドさんは私が日本人であることは知ってたんだよきっと。

    一日観光を申し込む時に、申込者の私の名前は明らかに中国人の

  それとは違っていたし、ホテルの小姐を通して申し込んでるがあの人たち

  だって、それ位の情報は相手に入れてるだろうから。

    で、証明書と言えば私の場合はパスポートなんですが、これを渡して

  までする割引はどんくらいになるの、という疑問と、パスポートを他人に

  渡しちゃうのはちょっと不安なんですけど・・・。

     ガイドさんは全くそんなことはお構いなしに、私のパスポートを

   開いて、確認。ちょっと、バスの中の空気が変わってしまいましたよ。

    あの二人、日本人なんだぁ~   というヒソヒソ声が。

    ガイドさんそんな雰囲気にも一行にお構いなし。着きましたよ!

    先ずは私が手続きをしてきますから・・・と降り行っちゃった。

     あれ~ガイドさんそんなに駆けなくとも・・・パスポート・・・

  頼みますよ・・・

     で、結論を先言いますと、これガイドさんの言うことを聞いといて

   正解でした。お蔭で夕食分を超える額が戻ってきちゃいましたし。

     ガイドさんはどうねばったのか、連れの分までも割引にして、

   くれました。

    でその宏村、よかったですね・・来てよかった、ほんと。

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2012年2月11日 (土)

安徽省・屯渓ー西逓ー宏村を歩く、

Pc310105  着きました、安徽省・屯渓。今は黄山市です。

  黄山にも行ってみたいのですが、何年振りかで

  その後山はどんな変化があるのか見てみたい。

  黄山風景区はここからまた少しあります。

    夜遅く10時を回って着きましたので、先ずは宿探し。

   またもやタクシーの運転手さんのお世話になります。この日の運転手さんは

  30代後半。私のお願いは、観光重点地の「老町ラォ・ジェ」の近くで、そんなに

  豪華でなくて、静かで、出来れば部屋の作りにちょっと凝ってるような、そんな

  ホテルありますかね?というもの。

    運転手さん、あるともない、とも言わない。「老街のちかくねぇ・・・」と

  彼の頭の中のホテルリストをあたってる感じ。あとは彼に任せるよりない。

    でも、この運転手さん口数は余り多くはなかったものの、正解!

    私の要求を見事に満たすホテルに連れてってくれた。

   それも値段までも丁度いい感じ。何度も礼を言い、降りるとき、

Pc310102 運転手さん名刺がないというので、メモ紙に彼の

携帯電話を書いて貰う。彼は何か苦情でもあるのかと

心配して、このメモの使い道を心配している。

  私は、明日もしタクシーを雇いあげて一日でこの

   辺りの観光を切り上げるなら、是非彼のような人にまたお願いしたい

   と思った。そう悪くない話だと思うのだが、彼の方が一向に乗ってこない、

   どういう人なんだろう、とちょっと気になったが、とりあえずこの日の宿は

   よかった。ちょっと古いんですが、設えが昔の雰囲気のままで以前の

   中国によくあった、ちょっと広すぎるんじゃない、というくらいのツインで

Pc310103家具なんかは古いままで、却ってそれが好いのです。

そう思うのは私だけかも知れませんが。それなのに

テレビはど~んとデカイ液晶だったり。余計な飾りつけ

こそありませんが、掃除も行き届いていて、外との遮音

    もしっかりされてます。理想的です。凄いなあの運転手さん。

    ホテルに入るとフロントのお嬢さんはつっぷして居眠りしてました。

   いいんです、これくらいのことはもう慣れてますから。

     こちらが、「起こしちゃって悪いね!」などと謝りを入れながら、チェック

   インをすませました。

      風呂に入る前にちょっとホテル周囲の様子を見ておこうと、外へ。

Pc310106「老街」の通りが本当にすぐでした。こりゃあ便利だ。

  ついでにもう店じまいしそうなそのあたりをぐるりと

一回り。んん~、ライトアップなんてなこともしてるわけね。

  こんな時間にまだ歩いてる人が結構いますけど。

この人たちも観光客のようですね。確かめてませんが、

    その話しぶりやらそんなところから、台湾観光客と思われる。

  この人たちは何時も楽しそうだなぁ~、とすれ違う人たちを遣り過ごし、

   ブラブラ歩く老街の通りは、車もこないし、なんかノンビリできて

  Pc310111
いいですね・・・。もう11時だというのも忘れて

夜の散歩となりました。

  今日は移動でそんなに歩いてないと思ったら

意外にこんな夜に歩くことになった。

   でも、この感じ、この雰囲気、ず~と歩いていたい気にさせます。

   いいですね。昼間よりよかったのかも。

    帰りもこのまま歩いてそのままホテルに入れますし、

    ホテルの浴室も快適そうでしたし、いい夜です。

    改めてあの運転手さんに感謝です。











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2012年2月10日 (金)

迷える、次の行き先は何処へ・・上口那ル去好呢・・?

Pc310095   大大満足の景徳鎮。

  ここは街のごみ箱まで陶器製でした。

  古い町は皆そうですが、道路が昔のままで

 現代自動車交通には対応してませんので、急激に

   増えた自動車が以前の道路では対応しきれず、そうかといって街はもう

   数百年も前に形作れているし、道路もあるので大変。

    細い道路(馬路マールゥ)が多かった。

   景徳鎮を堪能。

   それはよかったのですが、さて次は何処へ?という悩みが。

   この時点で私どもの旅の一つは目的を達成しましたので、あと一つ。

   それはこの近くの古鎮グゥ・ヂェン(古るい町)歩き。

    そこで私の取るべき道は二つ。一つはこのまま江西省の中側へ

   入って行って幾つかの古い町を巡って、最後は長紗あたりまで出て

   一気に上海へ戻る。もう一つの道は、この景徳鎮は江西省と安徽省

   浙江省のいずれにも近いはずれにありますし、この境には古鎮が

   多いのでそこを繋ぎながら上海に戻る道。

    迷うなぁ・・、優柔不断だからなぁ・・どっちも魅力あるんですね。

   とりあえず、ホテルへ帰って、ホテルの電脳を借りて、少し調べたりも

   しましょう。ということでホテルへ。

     フロントはあの沢尻お姐さん。(顔は全く似ていません。念のため)

   景徳鎮のすぐ近くに楽平という田舎町があるのですが、ガイドブックにも

   載ってませんし、近いんです40キロぐらいと思います。コンピューターを

   とりあえずは借りることにして、沢尻お姐さんに、「楽平知ってます?」

   とこっちの行きたいモード全開で言ったら「な~んにもない!」との期待

   通りの?お言葉。「その先の婺源ですけどね・・・」話し終わらないうちに

   「知らない!」のお言葉。やっぱりな。訊いても無駄。

    こんな時あのもう一人の方の愛想良いお姐さんがいてくれると良かった

   のになぁ・・と不運を嘆く。

Pc300060 フロント横の喫茶店?で途中見つけてパン屋で

 買った菓子パンとコーヒーで思考タイム。

  あれ!このパンめちゃくちゃ美味しいです。

日本にないタイプのパンですね。まぁ似たのは

    あるんですが、ちょっと違うんですねこれが。

      んん~合肥でも美味しいパンに出会いました。

    と言うことは何かい?中国のパンは今飛躍的に美味しくなってる、

   ということですかね。以前は酷いもんでしたよ。私に言わせれば、

   パンとマントウの間みたいな。

     いやいや、ついつい2個食べちゃいましたし。おやつにしては

    ちょっと重いんじゃないですか。夕食どうしよう??

     おっとそれより、この先どうしよう?が先でした。

     結論。どっちに向かっても古鎮を見て回ることには変わりはないので、

   この際、一つは効率。できるだけ効率よく古鎮を回りたい。

     それは、もうすでに上海を離れてから、かなりのんびりペースの旅で

   各町に2泊してたのでは、この先どんだけ時間が必要なの・・・という

   心配と、奥へ奥へと入っちゃうと、戻りがちょっと不安。

      との幾つかの条件から、決まった先は、安徽省・屯渓トゥン・シィ。

    また、安徽省へ戻っちゃうわけですが、ここらはとりわけ古鎮が多い。

    景徳鎮→屯渓のローカル列車もあります。160キロぐらいの移動。

    中国では近距離移動。屯渓というより黄山と言った方が分かり好い

    でしょう。あの黄山の麓の町です。黄山は既に2回来ています。

     一回は純粋に黄山登山の為に。山頂で一泊、麓で一泊してます。

    次は今回とは反対側から入ってますのでこの屯渓まで届かず。

      前から気になってたので、今回、はれて?屯渓入りできる。

      途中駅に世界で有名なキーモン紅茶の産地、祁門という

    町があるんですが、ここもちょっと降りて見たい。いやいや待てよ。

    そんなことをしてたら何時になったらこの旅は進む・・・。

      と言うことで、急遽行先決定。 

      安徽省へ戻るぞぉ~。

      すぐに荷物をとって、駅へ。チケットが買えなかったらまたその

    時点で考える方式。が、運よく夕方の列車のチケットを入手。

     夜少し遅い現地到着ですが、まぁ大丈夫でしょう。

      列車の時間までまだ少し有るんでその辺のお店を(陶器店)

     ひやかしたりして、食事をすませて、

     景徳鎮を離れました。

     陶器買ったかって?そりゃもう買いましたよ。


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2012年2月 9日 (木)

好玩ル!景徳鎮古瓷廠 - いにしえの窯場跡を訪ねて

Pc310074 タクシーの運転手さんに騙され?おちょくられながらも

 辿り着きました、「景徳鎮古瓷廠グー・ヤォ・チャン」

  景徳鎮ジン・ドゥ・ヂェンのこの名前はすでに

  宋の時代にあって、その頃から皇室御用達の窯場

   としての位置を築き始めるわけですが、その前にも確か歴史はあって、

   それも含めちゃうと恐らく1000年も遡っちゃう。

     何かそんな詳しい話は誰かの本で読んだなぁ・・・。

    で、此処にはそんな古くはなくて、と言っても相当のものですが、明と

  清の時代の窯跡があるという。これ本物ですよね。窯場をそっくり古代のように

  作るというのも大変でしょうし、どっかから移すといっても建築物と違いこれまた

  大変でしょうから、多分ホンモン、いや、絶対本物。

Pc310078入場料がちょっと高め。でも中国では100元の入場料

の場所は珍しくもないし、100元を超えても驚きもしなく

なりました。因みに、日本で1000円を超えて、2000円

のようなこうした文化施設は逆に余り今ありませんけど。

    それでも、私の今回の旅の一つはここを見に来たようなものですので、

   それが300だろうが、400だろうが入るんですがね・・。

     冬場で中国国内の旅行者が少ないとはいえ居ましたから、あの人たちは

   この入場料をどう思ってるんだろう、と訊いてみたかった。

    こうした場所は個々人の趣味にもよりますが、私はここは大満足。

   良かったですね。来た甲斐があろうというものです。

     古い時代の工具と方法で、伝統的景徳鎮古瓷の制作過程が見れます。

   園内はかなり広くて、私たちはおそらく3時間くらいで出てきたと思います。

     3時間楽しめればこの入場料もそう高いとは言えません。

     楽しめれば・・の話ですが。

Pc310080 あらゆる物の値段というものはそういものでしょ。

その人にとって価値があれば、安いと思え、同じものを

ある人は高いという。

  工房では現代の作家さんたち、といっても画の人や

    削る人やそれぞれが多分国家級の腕前の方たちと思います、区画が

    あって、制作に没頭。と、いっても冬は観光客も少なく制作も冬場は多く

    はないのでしょう、いたってのんびりムード。これがこちらには幸いして

Pc310087多分お暇だったんだとは思いますが、こちらの絵付けの

先生なんかに話しかけられ、「あんたもこの方面の仕事

の人か?」とこっちが帽子をかぶって、写真を撮っても

いいかなどと訊いて、バチバチ撮ってるせいでしょう、

    やってみろ、と筆まで差し出され・・・えぇ~できないですよ!作品が

    駄目になっちゃいますよ!と言ったら、「なに言ってるんだ、本当に描く

    じゃないよ、筆を持ってポーズをとって写真を写していいよ」という意味

    だったようです。そうですよね、この細かい画なんか凄いんですから。

    つぎつぎにその辺の人も集まってきて結構盛り上がったりして。

 Pc310086
このおじさんたち(失礼!)相当のメンバーだと思う

んですが、それぞれ隣り合ってここで仕事をしその

仕事がそのまま見学できるようになってました。

  どうです、興味がないとこんな話も退屈でしょ。

Pc310090
 この園内の、主人公の古い窯はこんな感じ。

 どうです、全く面白くもない写真でしょ。

  さらにこれが一つではなくて何か所か

 ありました。今は使われてはおりません。

Pc310089     こんな写真を何枚も見せられたところで

     なんとも面白くもないでしょ。

      ところが、本人は面白いんですね、ここ。

     ひょとしたら、というか、まじめにちょっとは

     脳裏をかすめたんですが、更に景徳鎮に

   もう一泊して・・・・今日はここをもっとゆっくり見て・・・の考えも。

Pc310084     園内案内ポールも陶器製です。

    きりがないので止しますが、園内には売店

  もちろん景徳鎮づくめがあって、これまた見てると

  時間がえらい取られるので、そこは端折って、

  出てきた。

     さてまた、あの来た時の道をブラブラ暫く歩いて下の道まで出ないと

   タクシーもバスもないだろう、と出口であたりを見回していたら、

   出口の所にも小さな陶器屋さん。観光土産を扱うような、個人営業の

   お店でしょう。ブラット入って、中を覗いてたら街の店と違ってそこは

   小さな土産物で品揃えがされていて、値段も手ごろ持ち帰りやすい

   小さな物が。店の女店主は、「あんたたちは韓国人か?」というから、

   こんな時私は余り否定はしませんね、でもアニオハセヨ!とも言わない。

   ニーハォ!と言い、肯定もしないし、否定もしない。

    相手がそう思ってる、或いはそう思いたいんだからそれで好いだろう、

   というのが私の考え。連れは違うが。

     韓国人の私は数点の買い物をして出ようとすると、女主人が何処へ?

   というから街にもどるんだが、バス停かタクシーに乗るにはあの路を下る

   しかないの?と言うと同時に、「老劉~!!」とデカイ声で人を呼ぶ。

     白タクですね。老劉と呼ばれたおじさんに向かって、「送ってあげて、

   私の客だからね。5元にしなよ。5元だよ。二人は韓国人だから。大丈夫

   中国語も分かる。街だよ××路あたりまで送ったらすぐ戻ってきて」と。

     こちらの承諾も何もないまま車中の人となる。親切なんだか、何だか

   ちょっと分からん。結局この劉オジサンも話好きで、山を降りたところで

   十分ですと言ってるのに、ここも見といた方がいいと言い、川沿いの何やら

   古い建築物に案内されそこで降ろされた。普通に降ろされ。5元より

   要求されなかった。アレ・・・親切だったんだ。

     んん~、中国はどの人が親切でそうしてくていて、

    どの人が騙しにかかってきているのか見分けがつかん。

     ありがとうございました、劉おじさん。といってももう届きませんけど、

   彼には。




















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2012年2月 8日 (水)

景徳鎮古窯瓷廠をブラブラ

Pc300066 元旦です。

  ホテル近くの「景徳鎮陶瓷館」をまずは覗く。

  元旦でお休みかと思うとこういうところは定休日が

 違う設定になってるのか、やってる。ありがたいなぁ。

    出がけにちょっと心配になったので、ホテルフロントの昨日のお姐さん

  を探したが今日はシフトが違うのか見当たらず、違うお嬢さんがいた。

    心配なのは、銀行(両替の必要が出るかも知れない。なんせ陶器の

  なにか高いものが気に入って買っちゃったりしたら、手持ちが不安・・)

   が連休とかにならないか、との心配。

   彼女は事もなげに、「やってるよ!」という。えぇ~今日も?と訊いたら

  「今日もよ、それが何か?」みたいな、沢尻ナントかみたいな子だった。

    ここは(陶瓷館)は、良いものも置いてるのだが、やはり飾りつけに

  難あり。スペースもちょっと足りないかな・・・。惜しい。

Pc300067 この近くの坂道には超高級陶磁器店が軒を

並べている。どの店も相当凝ったそれぞれの

店で陶芸家を抱えているのか、見たこともない

素晴らしいデザインの焼き物がウインドウに

  飾られていて、その都度立ち止まり覗くのだが、その都度連れに袖を

  引っ張られて、店に入るのを断念。とても買えるような値段ではありま

  せんし、持って帰れるようなのは少なく、大型の作品が主流でした。

Pc310072移動!移動!!今日のメインはこちら、市街地から

少し離れた「景徳鎮古窯瓷廠」。

  古代の作業場、古窯が見れるという。

   タクシーで移動。

    この町のタクシーは、他の都市より幾らかましかな、レベル。

   それでも日本の神風?タクシー運転手の数段上を行く運転です。

     それもさることながら、

    大概そうなんですが、タクシーの運転手さんは話し好き。

   何なんでしょうね・・・日本だって話し好き運転手さんがいないわけ

   ではありませんが、日本と中国だとその話し好き、無口口きかない

   の比率が完全に逆転してますよね、

     それはいいんですが・・・(本当はよくないんだが・・・)

   この日も乗ったタクシー運転手さん。40代前半かなぁ。

    景徳鎮でブラブラしていて、乗って指定したのが古窯瓷廠とくれば

   旅行者に決まっているし、そんなのがなくても我々二人は旅行者に

   しか見えない。

     この時点で既に、運転手さんにもよるのですが、悪巧みのタイプと

   旅行者への親切タイプに分かれる。

    これは、その中国の場合タクシー会社とか一応ありますけど、日本

   より個人営業的システムになってますので、まぁ会社の方針とかは

   多少、個人を縛ることはできるでしょが、結局タクシーのあの密室性

   から言っても個人の問題に帰結するとは思いますが、

     こうしたタクシーでのいざこざや、逆に親切にされたことは実は

   とてもその都市の印象に大きく影響すると思うんですね。今は中国も

   悪徳タクシーの監視センター見ないなのもできまして、そこへ電話する

   ようになっていて、それが抑制装置として機能はしてるのですが、

   何せあとを絶ちません、そうした悪い方の運転手さんも残念ながら

   多いんですよ。

Pc310073 この日もやられちゃいましたね。

 この運転手さん、私たちが目指す古窯跡は、

 ちょいとバス道路から中に入って更に公園を

 突き抜けて、窯跡ですから、山沿いのそう

   した場所ですので、奥まったところにあります。というか地図は

   乗る前に見てたので大体の位置は分かってたのですが、この

   運転手さん愛想は好いんです。話も適当に合わせたりして。

     それで、こっちもつい油断して・・・

    ある門のところがあって、道路から幾らも入ってないからその時

   それに気づけばよかったのですが、門をみてここかぁ~と安心した

   せいもあって、降ろされたところで降りました。

    ところがところが、この門からややその目指す古窯跡まであるん

   ですよ。そうかあの門は道路から入る際の目印的門で、実際は

   その奥の奥に目指す場所があることが、やや山道のようなところを

   この先に本当にあるのか・・・と不安になって歩きながら、気付いた。

     夏目漱石のような人は坂道を歩きながら人生の深淵に気づくが、

   私は坂道を歩きながら、騙されたことに気付いた。

    あの運転手さん結局ここまで我々を運んでくると、帰りまたカラの

   車でここを戻らなくてはならず、相当無駄というか、さっさとこの二人

   を降ろして街を流して新しい客をつかまえるべく、「到了ダォラ」

   着いたもんね、と言ったんだということに気付いたころにはもう相当

   歩いていて、ようやく見えてきましたよ、その目的の地が。

    ということで、我々の旅は歩くんですね、これが。

    毎日あるく、ブラブラ歩く。

   







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2012年2月 7日 (火)

焼き物の町、景徳鎮。なんだぁ、都会じゃあないですか・・

Pc300063  江西省・景徳鎮、人民広場に辿り着きました。

   午後3時。

   街は凄い人です。そうかぁ、今日は大晦日ですし、

  土曜でもありますし、明日は日曜で元旦・・と。

    それにしても半端じゃない人出ですけど・・。

    バスターミナルで、賑やかなところまで路線バスで行きたい、と尋ねたら

  「××路に乗って、7つ目で降りな」、というから、その降りるバス停の名は?

  と尋ねたら「人民広場」という。中国多いんですよね、この名前の場所。

   どこでもあるよなぁこの「人民広場」と思ってたら、すぐにバスはやってきて

  車中の人に。余り混んでもおらず、田舎のバスですよね・・などと車窓の風景

  を見ていたら、停車した停留場の数を数えるのを忘れ、急に右折して賑やか

  な場所に出た。買い物客なのかなんなのか、横通りは歩行者天国になって

  いて、お店も賑わいを見せている。 

    あれ~~ここじゃないの、こんな賑やかだし・・・車内放送はない。

   バスがスピードを落とし、停留所に近づこうとしていたので、咄嗟の判断で

   ここだよ!とばかり、降りた。

      すぐに分かったのはまだバス停で5区くらいしか乗っておらず、あと

   2区は乗らなくてはいけなかったし、あと2区乗ると更にもっと賑やかな

   場所があったわけです。

    旅をしていて、毎日初めて足を踏み入れる街に降り立っているのですが、

   私なりにその都市に対する感覚というものがあって、例えば昨日までいた

   合肥は省都ですから、それなりにデカイだろうと。

    景徳鎮は、中国語で「鎮」ヂェンは、行政単位で言いますと日本の「市」

   の下、「町」のレベルに当たりますし、更に私は「芙蓉鎮」という懐かしの

   映画あって、ご覧になられた方はお判りでしょうがこの「鎮」のあの田舎

   田舎したイメージが強くあって、景徳鎮もそうした田舎だろうとの予断が

   あったのは確か。

     後で知ったのは、余りに古い歴史をもつこの都市は、景徳鎮で世界に

   知られたため、その地名をそのままに行政単位とは別にして呼ばれて

   いるので、本来は「市」のレベルなのに「鎮」のままだというのを知った。

     人口160万って、札幌市じゃないですか・・。函館の6倍だよ。

    賑やかなはずです。

Pc300064 市内はどこかに昔の中国の様子をたたえた雰囲気

を残していた。

  結局2区歩いて「人民広場」まで辿り着きました。

  歩きながら街の様子など見ながら来ましたので、

    それはそれで好かったのですが、私らの旅は結局歩きますね、

      それでも、店があったり人通りが多いと歩いていてもそんなに距離の

    ことは気にもならないもので、存外楽しいものです。

Pc300065 こうしたことも楽しめなければ私の旅は成立しません。

  辿り着いた「人民広場」まえの焼き物をテーマにした

 塑像。この下がちょっと掘れた形になっていて、街の

中心の広場となっています。ここも人が一杯だ~。

     そこのあたりで、きょろきょろ辺りを見回し、ホテルが見えたのでそこへ。

     あれ~このホテル、合肥で泊まってたホテルと同じですけど・・・。

   中国でもチェーン展開してる新しいホテルらしいです。早速チェックイン。

   フロント横の、「あなたも当ホテルの会員になってこのカードを持ちましょう」

   ポスターを見るともなく見て、「わたしも成れますかね?アレ!」と言ったら

   ホンの軽い気持ちなんです、半分冗談みたいなもんです、そしたら、

   またもやのキーワード「没問題!」とともに「当然ダン・ラン!」とも言われ

   その場にはもう申込用紙が。まぁまぁ一応最初の入会金みたなのは取る

   んですが、大した額ではありません。この後上手くまたこのホテルを利用

   すれば直ぐに回収できそうです。入会しましたよ。

     それで、「今日のこの宿泊からこの会員値段になるわけ?」と尋ねたら

   またもやの「当然!」歯切れがいいんだこのお嬢さん。

     「実は昨日も合肥であなたのとこのホテルに泊まってたんですよね・・

    昨日の分は割引にはなんないでしょうね・・?」冗談ですよ、冗談。

   私は冗談のふうでなく冗談をいうクセがあって、よく誤解されるのですが、

     そんなことがあり得ない事くらいは、分かってますよ、これで結構

   長いこと生きてきてるんですから。

     彼女の返事は「不行ブ・シン!」、ハイハイ分かってますから、

   そんなキツク言わんくとも・・・「何で昨日入らなかったの・・・」等と

   説教まで食らってしまった。

     「明日入ると新年特別記念会員の特典があるですけどね・・」と

   言ってたけど、アレって彼女の方の冗談の返しかなぁ~。

     分からないままお部屋へ。








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2012年2月 6日 (月)

旅の話を続けます、合肥から景徳鎮へー離開合肥

Pc300063
  旅の話が続きます。

  安徽省・省都、合肥という街から移動です。

  目指すは景徳鎮ジン・ドゥ・ヂェン。

  焼き物で有名な町です。

  ↑こちらは、景徳鎮にある、一枚一枚が陶器のお皿でできたウサギ。

   安徽省から江西省へ、省をまたがっての移動となります。

   その移動距離、550キロあまり。北海道を縦に突っ切るくらいの

  距離だと思います。やや函館→名寄くらいか?

    当初は列車の移動を考えておりましたが、バスだと、沿線の

  風景がより身近に見れますので、バスに変更。兎に角変更の多い

  旅でして、変更というより、最初から決めてない、というか成り行き

  まかせ、大丈夫かぁ~との声も聞かれますが、そこは中国式に

  「没問題~」ということで、いざ!景徳鎮へ。

    この町が今回の旅の一つの目的地です。焼き物にちょいと関心が

  ありますが、素人です。単に好きだ、というレベルです。

   今回は、景徳鎮に行ったらきっと沢山買うんだろうな、との予測から

  出発の際のトランクの中はプチプチがいっぱいです。いやがおうにも

  期待しちゃいます。

Pc300062 バスは高速道路を使います。高速道路料金徴収所は

 どこも同じようなもの。

  満杯とは言えない乗客をのせて、朝に出発午後に

 景徳鎮に着く。

   通路を挟んで向けの2人掛け席は、実家(母親の)

   に帰るお母さんと5歳くらいの男の子。

    この子がよく舌が回ってびっしり何か話している。お母さんは辛抱強く

   それに付き合う。中国語の良い勉強になりました。

    途中からは彼(男の子)とも仲良しになり、お菓子の交換などして、

   友好ムードで過ごす。もっとも子供も多分お母さんもこちらが日本人

   とまでは思っていないようだし、お母さんはよくある中国人のように

   どんどんこちらに踏み込んでくるような話題はさけ、当たり障りのない

   話題と子供に合わせて話をしてくれる。このお母さん案外教養レベルが

   高いのかもしれない。

    と、思えば後ろの席の小伙子(金髪・若者)は、携帯を取り出して

   話してる声がちょっと音量オーバーぎみで、バス中の人が聞き取れる

   音量、しかもその話し方がオネェ言葉。中国語にもあるんですよ、その

   女性的な話し方というのが、それも男性の話す女性的話し方、声もありますが。

   日本の芸能界でも急にこの手の人たちの活躍が目立つようになりましたが、

   中国での市民権はどうなんでしょう?明らかにオネェ言葉。

     5歳の彼が、小さな声で「あのお兄ちゃんは何であんな話し方?」と

   母親に尋ねて、母親からちょっと余計なことを言うなみたいな注意を受けて

   ましたね。

     その若者は何でもダンサーだそうで(これも何でそのダンスの指導員

   のような人はそっちの人が多いんでしょうね・・・)何処か景徳鎮の酒場で

   舞台があるらしく、その指導に向かう途中といったことまで細かく分かる

   彼の電話は長々と続き、極めつけは「昨日、合肥のバーで仲間と飲んで

   自分は1000元以上払った」と言ってましたよ。そんで今日はまだちょっと

   酔いが醒めてないんだと、酔っぱらってるからこの口調なのか?とも

   思いましたが、電話の相手の声は聞こえませんが、会話が普通に成り

   たってるところを見ると普段からこの人、こんな人なんでしょう。

     私でもちょっと奇異なこの人の存在は、いったい車中の中国の人たち

   にとっては、どんな感じなんでしょうか、唯一反応を示したのはあの5歳の

   子供だけで、あとの乗客は我関せず。

     途中一度だけ後ろの席の年配者が「うるさい・・」見たいなことを言って

   ちょっと険悪になりかけたが、若者もそれを無視してまで電話せず、一端

   休戦。暫くして若者がまたまた携帯を取り出し、相手に借金の依頼。

     ナント忙しい。結局この若者、乗車時間の8時間あまりで、黙ってたの

   は数時間あとはびっしりお話。 

     私は毎回の彼の話す内容に驚き、あんだけ話しても携帯の電池が

   切れないということは蓄電機能が相当よくなってるんだな、と感心。

Pc300061

  途中バスは給油なんかもして、

  午後3時前に無事、景徳鎮の街に滑り込む。

  やれやれ、若者には十分楽しませてもらったし、

  5歳のぼくちゃんにはいろいろ中国語を教えて

    貰ったし、勉強になった移動時間でした。

      5歳の彼は別れ際にきちんと私に礼を言い、運転手にも

    「ありがとう、おじさんこの後も気を付けて」の挨拶をし、バスを

    降りてった。凄いじゃないですか、中国の未来は明るいか?

     すぐ近くの未来、くだんの金髪お兄い姉さん??は、

    相変わらず携帯を耳に当てたまま、迎えの人が探せず、「何処

    だって、何処にいるのよぉ~」とシナを作ってる。

      んん・・・中国の近い将来は危ないか?

 

    ということで、

     また、同じです。バスターミナルでその街の地図を買い求め、

    今日は街の中心街で宿泊しようと思い、路線バスに何駅乗れば

    賑やかなところへ出れるかを尋ね、宿探しへ・・・

      
    


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2012年2月 4日 (土)

観光地の落書きについて、考えるー「わたしの見た中国」

   中国旅行のお話は今日はお休み。

  2月2日、茶館『隗かい』ホームページの「わたしの見た中国

  今月号の話題は、どこでも見られる観光地の落書きについて、です。

   「乱塗写画 ルァン・トゥ・シェ・ファ」と題してお送りしております。

    ↑ こちらをクリックいたしますと、「隗」ホームペジに飛びます。

   多分世界中の名所旧跡といわれる場所はすべからくこの落書きの

  被害にあっている。落書き、といったり、悪戯書きといったり。

   この落書き収集家、というのはいないのですかね。

   世界中のそうした場所を歩いて、落書きを写真に撮って分析する

  なんてことは誰も考えませんか?

   これをやってくれている人がいると助かる?ですが・・。

   その結果、世界レベルではどの国の観光客の落書きが多いとか、

   落書きに関わる国民性というか、どの国の人はどんな落書きを

   する傾向とか、場所による(例えば高いところに多いのは)どの

  国の人とか、ですね。

    或いは、何によって書かれ又は刻まれているか、その用具の

  考察とか、更にはその追跡調査なんてのまでやってくれたりすると

  完璧ですが。いないかなぁ~そんな人、どこかに。

   それで、中国も例外ではありません。

  観光地へ行けば目につく落書き。

Rakkugaki_1多いのは、自分の名前のみ、を記したもの。

 これは大概面白くも何ともないですね、

 それに何故か私の分かる日本人名の落書き

   に限って言うと、日本人ってホラもっとこう珍しい苗字が沢山

   あるはずなのに、ここに書かれてるのは大概ありふれた名が

   多く、おぉ~コレ!何て読むのこの名前??の人は少なく、

   男女比で言うと圧倒的に男性が多いのですが、たまにまだ

   ある相合傘の相手方、女性の名を見てもまだ最後の「子」

   の字がありますから、ほぼそんな年代なのかな、と。

    この後ですかね、日本人女性のこれは名前なのか呪い

   なのか判然としない字が見られるようになるのは。

     中国で見るせいなのか、カタカナ・ひらがなは目立ちます。

    何故に観光地に来て自分の名前を書き残さなくてはいけないの、

   という疑問はありますが、全く同じことを、それなりのお偉い方が

   きてもうこれはトップクラスですが、岩やその辺の壁面に自分の

   名前を書き残したときは、落書きといわず、「揮毫」と言って

   褒められたり大切にされてりするのはその地位によるものでしょうか。

Rakugaki それで、最後にちょいと提案などさせていただきましたが、

 いっそ、落書きを認めちゃったらいいんでは、

← こちらは、それを意図したのかどうか、分からないのですが

   「世界遺産」の貼りものが、それこそ世界中からの人たちの落書きで埋められ

   これぞ、世界的?と。

     好いんじゃないですかね、これ。

    私はこれで、余り日本人の出向かない、奥地であったり、田舎であったり

  交通の不便で、それほどメジャーじゃなくて、人気もないそんな所へも

  出かけてますが、流石にそうしたところは来てないし、そこまでやってくる

  ような人は落書きしないというこですね。

     でも、皆無じゃありません。

     しない方がいいですよ、落書き。

   

 

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2012年2月 3日 (金)

合肥での収穫 ー 名所旧跡より街の人々

   まだ、合肥にいます。この街は、南北に流れる河がまずあって、それを

 利用して水を引いて、河と同等の堀を東西に設けて、ぐるりと街を囲む形

 で河のような幅の広い掘割りをもち、更に古代はその河沿いに城壁を持って

 いたのでしょうから、これを攻めるのは流石に大変だったろうと、そんなことを

 思わせてくれます。南を台形の底辺、北を上辺としたような形の街です。

   南北に何キロくらいあるのでしょう、私の感覚では8キロとかそんなもんじゃ

  ないですか。もっとあるかなぁー、人口は500万人くらいでしょうから。

   さて、この日はまず朝はバスでお隣の町、六安へ。

  期待していた、六安爪片のお茶屋さんでも、こうずら~と並んでいる様子を

  想像して来ましたが、昨日ホテルの小姐が言っていたようにそれもなく、

  ちょっとガッカリ。でもそこここに、茶葉屋さんは点在してまいしたので、ここまで

  来て、手ぶらはないでしょ、と買い求めましたが、さしたる収穫なし。

    観光地でもないし、茶葉が、といっても普通の人は知らんでしょうから、

  日本人なんか来るような街ではありません。

   午後、再び合肥へ戻る。

  ホテルを街中にとって、またまた合肥の街をブラブラ。こんなにブラブラする

Pc280043旅も珍しいでしょうが、私の旅はこのブラブラが目的

なんで、これでいいんですね。

←ここは、あの曹操が弓の名手500人を選りすぐり

孫権の水軍を迎え撃ったといわれる”壁”のある名所。

   連れが、「なに?この壁を見に来たの??」というから、「そう、そう」と。

   これちゃんとシャレになってますけど、全く気付く様子もなく、その古戦場

   の前側がまた若者向けのショッピング街に今は取って代わられ、時代が

   変わればこんなものさ、という感慨と、このすぐ前が、2000年の時代を

   へて、新旧織り交ぜてごっちゃになってるところが、また、中国らしいな

   と、そちらの方に、いたく感心しました。

Pc280028 その若者でごった返すその通りにこんな風に何気

なくというか、ポツンと旧跡があったりして、そこらを

通る若者は誰もそんなものには関心も示さず、中も

閑散としてましたし、かなり古い良い建築物でした。

   数百年の趣はありますから、日本だったら重要文化財くらいには指定

   されていそうなそんな所も誰にも見向きもされず、佇んでいます。

Pc290054安徽省博物館へ移動。省の博物館ですから、日本

で言えば、県立ですしね、合肥は歴史もありますしね、

ちょっと期待したのですが、駄目でしたね。

 博物館は。博物館は駄目でしたが、行った日は

   たまたま、巫ウーさんという方の美術展開幕式で出くわし、こちらの方は

   素晴らしい絵が見れて良かった、良かった。

Pc290047何で博物館で、美術展なんだ・・・ですって、

そんな細かい?ことは気にしなくていいんです。

博物館の上の階の広いスペースが空いてたから

でしょ、多分。それにこの巫画伯は、省が誇る画家の

   お一人でもあるようですし。ご本人にはお会いできませんでしたが、その

   教え子の子たちなんでしょう、開幕式に駆けつけて賑やかでした。

Pc280033 博物館は、収蔵品の飾りつけが全くなってません。

古いものを飾るからって、飾ってるその全体も古い

ままで好いわけがないでしょ。

 安徽省を代表する博物館としてはちょいとお粗末。

   博物館をでて、またまたバス停までブラブラ。すぐ側の小学校の校庭で

   やってる卓球などを覗いてひやかしながら、ホテルへ戻る。

Pc280032 このホテルネット環境が整っていて助かります。

  早速電脳(コンピューター)を一台借りて、部屋で

 あと何処か見るべきところがあるかどうか、合肥の

 街を検索。

   ついでに夜の食事場所も調べたりして、再び

   外出。便利だ~!!

Pc290058近くの公園ではお年寄りたちの娯楽なんでしょう、

即席京劇の舞台が。ははぁ、これ京劇の好きな人が

ちゃんと楽器演奏も従えて、出し物も変わるらしく、

今演じられている演目が、傍の樹に手書きの札で

   貼られていたり、観客も熱心でなかなか良かったです。

    暫くお付き合いしたのですが、皆目内容が分からずギブアップ。

    ネットで調べたレストランへ向かうため、またもや歩く歩く。

    道すがら見つけた、CD屋さん。ここが合肥一番のもうけもの。

   何気なく入って、連れは二胡のCD探し、私はVSD/DVDもあるようなんで

   何ぞ面白い映画はないかと物色。

     入り口には、女老板(店主)とおぼしき女性と、舅にでもあたるような

   ご老人が店番。お二人の会話は、なんと、明らかに日本人の悪口。

    え~・・何で?いきなりそんな悪口を言われなきゃならないわけ~・・・

    それに何で、いま今入ってきた我々が日本人と分かったの??

   と、聞き耳を立ててたら、どうやら我々のことではないらしい。よかった、か?

     でも、この状況で何で日本人は・・・の話になるのかが全く理解できず。

   それでも女老板は、時折舅?を諭すように、「そうは言っても日本人だって・・」

   とか、「日本には日本の・・」みたいな、日本支持派を匂わす発言。

      その間にも私はこの店で次々と見たいテレビドラマのディスクなどが

   見つかり意外にもこの小さなお店は宝の山だった。 

     私が選んでいるドラマの何点かに日本のドラマが混じっていたこと、また、

   意外に充実している日本ドラマのコーナーに長く留まっていること、更には

   ちょっとした振る舞いと、連れの感じからどうやら女老板は我々のことを

   日本人ではないかと、推測し始めたかんがある。

     老人はそれとは関係なく、日本人の傲慢さについて語っている。

     ほどなく、女老板がいなくなり、老人が一人取り残され、でもほんの少し

   して、恐らく二階とかすぐ近くから自分の連れ合いを連れてくる。

      男老板登場。

    その間も我々二人はそれぞれの収穫に夢中。かなりの数になった。

   私は私の映画やテレビ連続ドラマのDVDを、連れは連れで民族音楽CD

   を買い求めた。支払いを済ませると、

     男老板が、突然・・・文革世代の話をし始めた。

     え!何が??その頃は自分も大変だったんだ、とおっしゃる。

   食べるものも十分でなかった、と。まして、着るものなんかは・・・

   はい。それが・・何か?自分はその世代で今があるから多少外国のことも

   見えている、が、うちの老人は・・・・、   あぁさっきの老人ね。

     偏見だ、という。日本人に対する偏見がある、と。

     ようやく分かりましたよ。さっきの老人の話を私たちが聞いて、どうやら

   この日本人は中国語も分かるようなので、老人の話を全部聞かれちゃって

   気を悪くしてるだろうから、というので女老板が、男老板(ご主人)を呼んで

   きてその弁明をさせているの構図だ、ということが。

    暇だったんでこのお父さんと暫くお話ししましたけど、なかなか面白かった。

   ひよっとして、この小さなお店が合肥での一番の収穫だったかも。

     まぁ、旅なんてそんなもんでしょ。

    追記(この小さなお店の近くには、今売れているLEDライトを製造する

     日本と合資の中国企業があるらしく、そこに出張や派遣で日本人が

     来ているらしく、その中の日本人は中国語が出来る人は少ないらしい

     のですが、娯楽も少ない中国に突然来ることになった日本人が夜の

     楽しみにDVDを買い求めにくるらしい。が、中国語が出来ない

     ので、買い求めるものが音声が日本語で字幕が中国語といったもの。

       たまたまでしょうが、何故かその一番人気が、少女が出てくる

     ようなちょいと怪しいぎみのアニメがそうらしく、いい年をした?身なり

     もいい、大人がそうしたものばかりを探し求め、在庫が無いとなんか

    文句を言ったりもするようで、たまには感情も露わにするのでしょうか、

    あの老人の日本人観を一層悪くしているようです。)



















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2012年2月 2日 (木)

合肥の街をブラブラ ー 在合肥フゥ・フェィ

Pc280021 合肥の、合の方の中国語発音はちょいと難しいの

 ですが、フゥのフを喉を使って出します。

  そう言われても無理か。

  で、よく質問されるのが、「なんで合肥?なの、

  知り合いでもいるんですか?」のご質問。

    まず、基本、私の旅は余り知り合いを訪ねて歩きません。中国各地に

  それなりに知り合い・友人と呼べる人はいることはいます。確かそう言えば

  大分前の留学生にも合肥の人がいましたね。どうしてるかなぁ、と。

   それ位は思いますが、連絡しません。何故なら私の旅は自由旅行ですので、

  そんなことを(連絡したり)すると自由でなくなっちゃうでしょ。向こうだって、

  日本から客が来たともなれば、ただじゃ済まない、って・・・喧嘩みたい。

 

   それで、私の行く旅先は、人を訪ねる旅ではなく、知らない街へ行く旅。

  合肥は迷ったんですけどね、省都を見ていないという後ろめたさ?

  安徽省には何度も来てるのに。更に、ちょっとだけですが、「三国志」に

  ハマってますので、曹操がたびたび出かけて魏の国と呉の国がともに

  要所として押さえたかった位置にこの合肥という街は、どんな所、と。

   ここはひとつ見ておかなくては。連れは、そんな紀元前の話でしょ、と

  つれないが、彼女にはこの町の隣に六安リュウ・アンという町があって

  これまたちょっとマニアックだが、六安爪片グァ・ピェンという中国茶の

  ブランド産地があるんですね、そこも見れるよ、ということで両者の要求は

  早期妥結。合肥へ!となりました。

   さて、翌日。28日です。

Pc280025街をブラブラ。宋の時代の名臣を祭ったという公園へ。

 園内で、やってましたよ、地書ディ・スゥ。

 寒くはないですね、この日は多分、16度とか。

 あちこちの人に聞いて、何せ聞くたびに違うことを

   教えられたりもして、次に目指すが焼き物で有名な景徳鎮なんですが、

   そこ行きのバスがまず市内何か所もある長途汽車站(長距離バス

   ターミナル)の存在を確かめ、タクシーを使えばいい様なものですが、

   こうして公園巡りと組み合わせて、余裕をちょっと見せたりもして、路線

   バスで歩いてますし、バスから降りてまた公園までの道のりも、あっちを

   覗いたり、こっちの店に寄ったりで、何だこの旅はというくらい、ダラダラ

   した時間を過ごしてますね。

Pc280045 歩道橋から見た、今乗ってきたバスと同じ路線の

 バス。結局、数度の移動を繰り返し、全部で幾つ

 あるのかも分からない長距離バスターミナルに

 辿り着き、明後日(30)朝のチケットを入手でき

   ました。これ、大切です。私の旅は常に次移動のチケットが手に入って

   初めて、またまた更に一層のブラブラさ加減で街を歩けるというものです。

     ガイドブックも持ってない。来る前にちょっと見たその関係の記憶が

   頼り。先々に街の本屋で中国語版ガイドブックを立ち読み。

     こんなんで、大丈夫かぁ~、という普通の方なら不安でしょうがない

   旅でしょうが、本人はいたって平気。見れたらラッキー、見れなかったら

   それは最初からそんなもの、と悟ってますね。

Pc280036こちらは、曹操の名将・張遼が、孫権の10万の兵を破った

 という、あの、と言われても何が、あの、なのか分からん

 でしょうが、孫権が馬で飛び越えて逃れていったという

 有名?な橋。張遼の像もありました。この公園もというか

 みんなデカイんですよね、中国の公園は。

    公園を歩きすぎたので、今度はタクシーで賑やかなところへ移動。

    でも、駄目です、この街のタクシーも。怖すぎ。運転が荒い。

Pc280029 やっぱバスだよね、バス。

  着いた先はこんな商店街。由緒ある歴史ある

 商店街は余りに雑然としていて、安いけど買うような

 ものなし。

   一旦ホテルへ戻って、夕食まで少し休む。

   昨日、ホテルを駅前にしたのは、明日隣町ではありますが、六安を見る為

   近距離移動をしなくてはならないから。ホテルフロントの小姐に六安情報を

   仕入ようと話してみるが、「な~んにもないわよ!」とツレナイ。

    観光地でないのは知ってますし、何しに日本人がそんなとこ行くの?

  という疑問はごもっとも何ですが、人それぞれ興味の対象は色々だという

  こと位は、サービス業なんですから、理解しましょうよ。

     明日はこのホテル換えよう。

     明後日移動のバスターミナル付近にホテルがあるはず??だ、

   そこにしよう、と密かに決定。

     夜ごはんは近くのレストラン。超混雑のレストランは地元っ子に人気

   らしく、並ばずに座れて好かった!と思ってたら、少しだけ時間が早かった

   のか私たちのあとはレジ前に待ってる人がいた。

     まぁ混んでる店にはそれ位の理由がある、というわけで美味しかった。

   早く夜飯を食べすぎたので、レストランを出てから少し腹ごなしのためまた

   また街を散策。歩きすぎでしょこれ、今日だけで2万歩くらい歩いてません。

     日本にいたら絶対こんなに歩くことはないのに。

     でもそんなに疲れた感じがしないのは、歩いていて街の様子が眺めたり

   していて愉しいからでしょうね、きっと。

     明日も歩くぞぉ~、ということはもうホテルへ帰って早めに休もう~と。













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2012年2月 1日 (水)

合肥にて、今年の春節は早かったんだ~!

   上海から安徽省の省都・合肥へ。

Pc270017   ちょっとそのついでですから、

 列車・食堂へも行ってみました。

  この列車の食堂車は乗客が以前ほど

多くないこともあってか、余りやる気が見えません。

   やる気のある食堂車は入ったらすぐ分かりますね。人も多いし、

   食堂車の飾りつけ何かもちゃんと綺麗にしてますしね。

     料理もちょっとありきたりのメニューでした。味もそんなレベル。

   ビールは何故か日本の「三得利サン・ドゥ・リィ」が置いてましたけど・・・。

   ちょっとすると、なんと、後ろ側の席から日本語が聞こえてくるでは

  ありませんか。列車の音に混じって途切れ途切れなんですが、「もっと

  食べなさい!」とか言ってる。あれ~、母と子の親子連れですが、

  お母さんが料理を注文していたのはちょっと聞くとはなしに、聞こえて

  きてたんですが、手際よくて量も確かめたりして、完璧中国人でした

  けど・・。こんな時私は余り干渉しませんねこういうことに、ですが、

  私の連れが興味津々で食事が終わるころに声をかけてました。

   私は食事も終えて、余り興味もなかったのか一人先に自分の車両

 に戻りました。

   後で聞いたその後の情報ですと、彼女は国際結婚組、日本人の

  ご主人は今回の旅行はいらっしゃらず、息子が初めての中国里帰り?

  となり、中国語も余りできず戸惑っている、との情報。

   向こうは向こうでこちらの事をアレ~と思ったがこんな列車に突然

  そんな日本の旅行客が乗っていようとは想像もせず、こちらも普通に

  中国語で注文してたので、日本人とは気づかなかった、てなことを

  言ってたらしい。

    ここで、気づいたのが二つ。

  一つは、我々も二人だけの時は勿論日本語ですし、普通そう気を使わない

  場所では日本語で済ませてますが、このように存外思わぬところに日本語

  に限らずその言語を理解する人は周囲にもいて、聞かれているということ。

    もう一つは、この子(多分小学生)を連れての里帰りですが、この奥さん

  きっと、そのまま春節休みまで中国で過ごすんだろうな・・・と思うと、まだ

  早いんじゃないと、と思ったら何と、今年の春節は例年になく早くて、

  1月の23日。例年だと2月初旬が多いのですが、今年は早いんだぁ~

Pc280022
 などと考えてたら合肥に着きました。

 この町、何度かこの路線は列車で通っていて毎回

 その先が目的地で降りれなかった。

  今回ようやく降り立つことができましたね、

  そんなことを言ってどの町も降り立っていたら

   大変なことになりますが。でもまぁ、出来れば全省都位は降りて

   実際に見てみたいものです。

Pc280023  駅前にはホラもう、春節用特設切符売り場が

  準備されてましたから、近いんですよ「春節」

  と今更ながら、気づかされた。

   そういえば、この後あちこち遊びまわってますが、

   どこか人々の表情や街にそうした「春節」を待ちわびる雰囲気があった

   ようにお見えるのは、こっちの思い入れが強いからかなぁ~、

     と、思いつつ先ずは今夜の宿泊先をどうするかですよね。

     駅前がいいのかなぁ、それとも、駅と繁華街が離れてる街もありますから、

  賑やかな方に泊まった方が便利かなぁ~

    先ずはこの街の地図を買わなくては。

    駅前には必ずこの手の地図を売ってる人が・・・・

    いたいた、おばさんから買いました。地図。ちょっと相談もしてみました。

   おばさん、「宿か?」と急に乗り気なって、どうやらその手の斡旋もしてる

   らしい。しつこいおばさんの推薦攻撃から逃れ、

    明日もこの町に泊まるなら、まずは駅前でいいか、と

   ぐるり見回して、看板が見えたホテルへ。即決定。

   荷物を置いて、さて町へ・・・。

Pc280020
 このビルの下はテナントでオフィスが入っていて、

 上がホテル。安かったです。

  280元(≒日本円4000円をきる。ツィンの

  部屋の値段朝食は幾らだったか別申込み

  払い方式、私たちは申し込まず。)








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