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2011年9月 9日 (金)

ひずみは、いつも弱い者のうえに

1 社会のひずみは、どの時代もどの国でも常に

弱い者の身の上にふりかかり、その弱い立場

の者の更に弱い者、小さな子供たちの身に

にふりかかる。

   この写真の子がどうかは知らない。ある日の午後でしょう、この子が

  集めているのは空き缶や空き瓶の類、恐らくそれを拾い集めて幾らか

  にするのでしょう。

     この子が学校に行けてるかどうかは分からないが、一方でお金持ち

   が溢れている中国で一方で学校にも行けない子がいる。

     国が発展し、人々の暮らしが向上し始めた中国。

     富の分配が上手く行かない。分配する気などないのかもしれない。

     あまりに偏った富の集中は是正されるべきと思うが、国としてもそれを

    どこから手をつけていいのかが分からない状態にあるようだ。

    嘗て、鄧小平が、「先に富めるようになる人は、先に富みなさい」と言った。

    金持ちになりたいならどうぞ、金儲けしていいですよ、と言った。

    それまでは、金持ちになることが許されない社会だったから。

    誰もその言葉に新しい時代の息吹を感じ、自分たちもそうなっていい

    時代がきたことを歓喜して迎えた。

     そして、富める者が出現。だがそれからどうなるかは誰も考えても

   いなかったし、富める者が出るということの犠牲があるのだということも

   考えてもいなかった。

   富める者があるということは常にそれらが、ある犠牲の上に成り立つ

   ことを考えていなかった。

    そして必然的に富める者の数は少なく、その犠牲となる者の数がそれを

    増さるということを考えそれにどう対処するかを考えてもいなかった。

     富めることを望まない?富めるようになりたいと思いながらそれが

    果たせない、そうした人たちがいるのは一向に構わない、

     だがそうした人たちにも暮らしはある。暮らしていけないほどの格差?

    をこしらえてはならない。

    

     最初に書いたように、どの時代にもどの国にもこの問題はある。

    今だって世界中を見渡せば、それは目の前にあるし、見えてくる。

     見ようとしなかったり、見えないふりをして過ごしているだけだ。

    ただ、中国に限って言うと、

      一つの国でこんなにそれが顕著に見える国が特異だという点、

      そしてそれが今顕著になりつつあるので修正がまだきくのでは

      ないかと思えるので、早くそこに気づいてくれないかと願ってる。

Lajichang1  子供たちをこうした環境に置いているのは、

 個人の努力以外に、制度としての欠陥が

 どこかにあるからだと思う。

     少なくとも、この子には何の責任もない。

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