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2011年6月 4日 (土)

テレビの前を離れられなかった日ー天安門事件から22年

   今年、3月11日もそうですが、

  その日テレビの画像に釘付けとなり、離れられなかった日がある。

  ある歴史のメルクマールとも言える日が幾つかある。

  その一つが、22年前の6月4日。今日だ。

   あの日、1989年6月4日未明。

   その前日あたりからどうなるんだろうこれは、とテレビを見ていた、

   画面はずっと薄暗い、人がやたら沢山集まっている、北京・天安門

   を固定カメラで写していた。

   確か3日夜のテレビニュースは、「何か動きがあるようです、」と

   いった漠然とした報道と、そのわりには膠着し動きがなくなった

   天安門の薄暗い様子がただただ映されていた。

     そして、未明に確かにその「動き」はあった。

    あれから22年が経った、学生だった彼ら、彼女らも、もう中年

   の域に達する年代になっているだろう。

     

    実は22年経った今も事件の真相は全く分かっていない。

   22年もの年月を経てなお、あの時、あそこで他に取るべき方法は

   なかったのか、といった論議も尽くされてはいない。

   あの時、学生だった彼ら、彼女らの要求が特別受け入れがたいようなもの

   でもなかった、彼ら、彼女らの取った方法が特別無謀なものでもなかった

   なのに、あの日がいまだ「天安門事件」として語られるのは、

    ちょうど中国という国が世界へ一歩足を踏み出し、これから、

   歩みを始めようとしていたその時、あの学生たちの動きが、

    時の権力者たちは、自分たちへの国家への造反として捉えられた

    ことに不幸がある。

    明らかに時の権力者たちは学生たちの動きを誤った情勢判断と

    誤った目で見ていた。

      そこから発する彼ら権力側の対応策は否応なく、誤った

    結論へと導かれ、鎮圧することのみに注がれた。

      今日あたり、例えば、

    北京・天安門広場へ行って、広場の隅のほうのさらに端の方で

    両手を合わせて静かに合掌したとして、

     そう時をおかず周りを公安関係者で囲まれてしまうだろうか、

     多分の今日の天安門広場は、22年経った今も、それなりに

     ぴりぴりした状態にあるのだと思う。

     22年前のあの日、テレビの前を離れることが出来ず、

    暗い中を銃声と怒号のみが聞こえる、暗くて大して何も見えない画

    なのにずっと、何度も何度も同じ映像を見ていた日を思い出しながら、

    私が今日読見直そうと思って本棚から引っ張り出してきた本は

Tennannmonn この本で、

今日はこの本でもゆっくり読みながら

22年前のあの日と、22年のこの間を

振り返って見ることにします。

  あとまた、何年かして、或いは10数年

というような時を経て、同じように、

 2011年3月11日を振り返って見た時、

     果たしてどんな感想をもつことができるのだろうか、と

     考えながら。

     そして、ここ数日の日本の政治劇は、時を経だてて見たなら

     一体どんな風に見えるのかも、忘れないように記憶しておこう

     と思っている。

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