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2011年6月30日 (木)

どの国も政治世界が大変!!

  日本もこのところの被災地そっちのけでの、永田町の先生たちの

  ご乱交振りにはちょっとうんざりさせられている。

    

   中国は政治家?を含めてのお役人のやりたい放題?に手を

  焼いている。

    中国共産党中央規律検査委員会と言えば、泣く子も黙る、

  そりゃあもう怖いところなんですよ、

    さこの呉玉良副書記、この「副」が付くからといって、中国では

  これがまた、日本と違ってこの「副」がこれが偉いんですよ、

   そのお偉い人が、22日に記者会見に臨んで、

   珍しく、本音と言うか実態を語ったのを聞いて、どの国も庶民は

   一生懸命暮らしてるに、上?は大変だ!と思った。

    この記者会見、

    中国の置かれている社会的構造の欠陥?や経済体制の急激な

   変化によるほころびだのがあり、いまは、転換期にある苦しみを十分

   理解したうえで、それでも

     「腐敗現象が多発する現状を何とかしなくては・・」と訴えた。

   

    そうした腐敗が地方では庶民の不満の引き金となって暴動などが

   多発し、そした抗議行動で不正・腐敗にその酷さを知る。

    記者会見のなかで、発表は

    全国の規律検査当局が昨年立件した党員・政府職員らの規律違反は

   14万に近づく数となり、5千人あまりが司法機関に送致され刑事事件として

    処理された、と発表。

      反腐敗の取り組み運動、取締りの強化は取り組まれているが、

   なかなかその効が見えないという。

     でも、こうしたことは過渡期だからおいおい腐敗は少なくなって

    いくとの楽観的?見通しを最後は語っておられた。

     確かに制度の問題とかもあるでしょうが、

    かなり難しいでしょうね。

     日本のこの様子を見ていても、

     永田町だけは“日本”でないようですし。

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2011年6月29日 (水)

函館日中友好協会・友好卓球大会合影(記念集合写真)

  26日の「友好卓球大会」に、そもそもカメラを持ち忘れてまして、

  更には、卓球を終えた後、体育館で参加者全員の記念写真を

  カメラをお持ちの方に撮っていただこうと、始まるときは思って

  いたのですが、ついつい、試合よりも小さな子供と遊ぶのに

  夢中になっていて、試合終了後、総当り表の前で、優勝チーム

  を真ん中に記念写真を撮らなくては・・・と思っていたのも、

  これまた忘れてしまいました。

    結局、2階で皆で食べ終わった後になって漸く、思いついて

  記念写真(合影フゥ・イン)を撮る事となり、

    その写真も手元にありませんので、お願いしたところ、早速

  Bさんが届けてくださいました。

     ありがとうございます。

Photo  ←これです。

 この写真もまた、もうさんざん食べ終わった

    あとですので、この時点でもうお帰りになってる方もおられ、

   これで全員ではありません。

    惜しいことをしました。

    もっと惜しいことをしたのは、この日、私と遊んでくれた、

   モナちゃんと一緒の写真がないことですね、

   でもこの写真もみんな和やかそうに写っていて、

    いい感じです。

    Bさん、ありがとうございました。

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2011年6月28日 (火)

「卓球通じ日中友好」-北海道新聞・みなみ風

  一昨日(26日)の、卓球大会の様子が、北海道新聞・みなみ風

  に掲載となりました。

   取材にいらしていただき、ありがとうございまいした。

   また、このように大きな写真付きで紙面でご紹介いただき、

   ありがとうございました。

Photo   このブログを

 ご覧のみなさんが、

 必ずしも、道内の

 方と限りませんし、

 更には、道内で

 あっても、この紙面

 は道南のみの扱い

   でしょうから、以下、新聞記事をそのままこちらに転載し

   紹介させていただきます。

   ----北海道新聞(夕刊)2011年6月27日(月曜)

      地域情報版 みなみ風  第14面、より -----

   函館日中友好協会(東出隆司会長)主催の友好ピンポン大会が

  26日、函館市青年センターで開かれた。

    同協会の中国語教室で学ぶ生徒らに卓球を通して中国人留学生

  と交流を深めてもらおうと、初めて企画。

    中国語教室の生徒6人、北大水産学部と函館大の中国人留学生

   6人ら計約30人が参加した。

    大会は3人一組、全8チームに分かれて10点制の総当たり戦。

   久しぶりにラケットを手にする人も多く、ラリーもなかなか続かな

   かったが、たまにスーパーレシーブが出ると、「おー」とどよめき

   と拍手がわいた。

     2月から中国語を学ぶ七飯町の主婦鎌田さんは、「卓球は

   中高依頼。でも楽しかった」と笑顔を見せていた。

                         (本田良一記者)

      -------------------

   という内容のもで、

   当日の楽しい雰囲気がとてもよく出ている文と写真を掲載いただき

   ました。ありがとうございました。

                          函館日中友好協会

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2011年6月27日 (月)

第一届ピンパン球比賽・・函館日中

   昨日、6月26日(日)函館市青年センターで開催されました、

   函館日中友好協会:主催

   「第一届乒乓球比賽ディ・イー・ジェ・ピン・パン・チュウ・ビィ・サィ」

   は、無事終了したしました。

  参加いただいた全ての皆さんに、準備段階からお手伝いいただいた

  協会会員に、参加いただいた留学生の皆さんに、お礼申し上げます。

   お会いする機会がございましたらまた改めて直接お会いしたときに

  お礼を申し上げますが、先ずはこの場を借りてお礼を申し上げたい

  と思います。ありがとうございました。そして、ご苦労様でした。

   第一届(第一回)とありますので、函館日中と致しましては今年初めての

  試みとなりました、卓球での留学生との交流です。

    これが第一届とは名づけておりますが、このまま続くかどうかは、この後

  ちょっと検討させていただきます。

    忘れないうちに、書いておきますと、

   反省点としては、準備の段階で、この日、この時期が催し物が割りと

   多い時期らしく、例えば今回はたまたまでしょうが、函館教育大学の

   学園祭と重なり、教育大の留学生が参加できなかったという点、

    当日、昨日がそうですが、会場施設に隣接する、野球場・陸上競技場

   でもそれぞれ何か催しものがあって、市の駐車場が満杯状態で、会場

   に定刻に入れずに、開催時間が多少遅れました。時期の考慮が必要。

     事前にチームの割り振りなどをこちらが予定しておりましたが、当日

   急用でこれない方がおられた場合のその後の編成その他まで考えての

   余裕のある、編成の仕方を想定していなかったのは、初めての試みでも

   あり、いろいろ慣れない部分があるのは、反省点としておきます。

    ピンポン大会はそれぞれ、各チームに分かれて楽しんでいただけたと

   思います。会場のあちらかちらから楽しそうな歓声が上がってました。

     今回は全体の参加者数から割り出して、3人一組のチームで、

   中国人留学生が各チームのキャプテンとなって、総当たり戦で楽しんで

   いただきました。

     結果、優勝チームは、高峰ガォ・フェン(北大水産学部留学生)

   キャップテンに、日本人、板坂さん、岸さんのチームが優勝。

    第二位は、劉忠伏チーム、第三位は、呉美琴チームとなりました。

   多分個人選では、張勲ヂャン・シュゥンさんが学生のときにずっと

   卓球をやってたようですので、一番上手いのかも知れません。

    ですが、組んだ日本人の実力にもよるこうした組み合わせの仕方は

   誰もが楽しめるという点でよかったのではないでしょうか。

     試合終了後、2階厨房で焼きソバなんかを作りながら、食べながらの

   交流もできました。

     当日、私自身は、あまり卓球も上手くありませんし、運動能力がもう

   付いていきませんので、たまたま、当日子供さんをつれて参加された、

   その可愛い子供たちと遊べて楽しかったのですが、

     それぞれに楽しんでいただけたのではないかと思います。

     お願いがあります。

    後でまた直接お願いするかもしれませんが、

    カメラを持って出るのを忘れた為、事務局に昨日の写真が一枚も

    ありません。恐れ入ります、昨日カメラで撮影をされていた方が

    何人かおられますが、その画像をお送りいただけるようお願い致します。

     函館日中では今後もいろいろな催しを企画し、

    さまざまな形での交流をしたいと願っておりますが、

    こうした活動は企画するだけでは成り立ちません、

    一緒に参加し、活動を支えてくださる方があって、はじめて

    成り立ちます。

      また、このような機会がありましたら、どうぞお誘い併せの上、

    ご参加くださいますようお願いをし、

     重ねて昨日参加いただいたみなさんに、お礼を申し上げます。

    ありがとうございました。

   特先致謝!

                     函館日中友好協会

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2011年6月25日 (土)

第6回地球祭り 実行委員会会議ー函館日中の考え

   「第6回地球まつり」準備委員会が、23日午後3時、

  青年センター会議室で開催されました。

   この日の会議は今年、何回目かの準備会議となります。

  前回までのいきさつを先に書かなくてはいけませんが、

  この日の議題は、

  1)今年度の開催のあり方・開催自体について

  2)実行委員会の持ち回りについて

  3)仕事分担について

   の三点で、手元の会議目録には記載されております。

   この前の会議は、5月26日に開催報告や、今回変わる点についての

  説明があり、その場での議論が進まず今回に持ち越しとなっております。

   昨年から開催会場が変更となり、それに伴う変更がいくつかの点で

  あり、その点への対応が必要となっております。

    函館日中ではこの点では特別な意見はありません。

    変更になった点はそれぞれ工夫して対応し、各団体がそれぞれ

    できるだけ平均に負担する方法を見出せればその方法を持って

    対応できるのではないかと考えております。

    もう一点の変更は、会場とはまた別にこの間ずっとおやりになられて

   こられた、実質的に主催をされて実行委員会もそこにあったと思いますが

   国際交流センターがそこから抜けて、実行委員会の段階から、各団体にその

   運営をお任せしたい、との提案があり、それを受けれるかどうかの、その場

   での返答が、函館日中としても個人の判断では出来ませんのでこの時点

   5月ではこの提案を預かり持ち戻って、「会」としての意見を持ち帰る、という

   ところに先日の会議はあり、各団体の意見が述べられました。

     函館日中の結論は、

   一、会場に関する変更に関わる部分での提案は全て受ける。

     受けた上で参加団体の互いの協力に期待する。

   二、当日を含めて仕事内容のそれぞれの分担はこれまで同様

      負担できる部分については協力する。

   三、金銭面での負担が多少増えるようだがそれもこの規模の催し

     からすれば相応の負担ですむと考えるし負担可能。

   四、事務局・実行委員会・実行委員を持ち回り提案については、

     あまりその必要性が感じられない、かつ、もしそれが必要であるなら

     その提案は、会議に出ているものにはその雰囲気が伝わっていた

     ようだが、今始めて知った会員も多いので唐突な感じを受ける。

     以上の理由からもしそうするにしても、論議しどのような実行委員会

     その運営をどう負担していくかは、もう少し時間が必要と考える。

      今年の開催がなんとしてもその新しい提案で実行されるのであれば

     そこに函館日中としては関われない。

      その部分が昨年とほぼ同様の形のままで実質的な準備段階での

     当日の手伝いなどについては、会議参加の者が判断して出来る

     範囲ではその場で受けて構わない。

     との函館日中としての会議の結果を受けまして、

     一昨日の会議に参加いたしました。

     私の個人的意見はまたちょっと違ったところもあるのですが、

     あくまでも「会」として参加しておりますので、上の「会」の決定を伝えました。

     各団体の意見もいくらか振れているようでした。

  

     結果、今年は、積極的に先の変更提案に参画できる団体が、

    この後の準備実行委員会を担い、そこの決定が流されるので、

    その決定した部分での協力は他の団体はすることになりました。

      ということで、「函館日中友好協会」は、消極的?参加団体と

    なっております。ですが、現在のところ参加の意向はそのままです。

     もう少し詳しいお話をしたいのですが、これをご覧の全く関係ない

   方には何のお話かもお分かりになっておられないと思いますので、

     取り急ぎ、この問題で会は全体会議や報告書を出す予定が

   ございませんので、この報告をもって現在の状況の報告に代えさせて

   いただきます。何かまた、これに対するご意見が御座いましたら、

   どうぞ事務局までお願いいたします。

      明日(26日)は、留学生との卓球交流会を予定しております。

   参加希望のみなさん、明日は一緒に楽しみましょう!

                          函館日中友好協会

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2011年6月24日 (金)

北京は大雨で大変ー災害に弱い大都市

   昨日(23日)大雨に見舞われた中国・首都・北京が

  大変なことになってます。

523366171 このところの天候は

急激な、局地的な大雨

など、これまでにはない

天候異常が続いています。

正に、昨日の北京がそうでした、

百年来の大雨、と言ってますから

   それは、これまでにない大雨だったようです。

   ご覧のように各地で道路が寸断、雨の為、その排水が追いつかず、

   上の画は、地下鉄に向かう階段が地上道路の水が一気に入って

   きて、大変。

    これは、同じようなことが東京でも見られてましたが、都市の

   特別な災害の様相を示しています。

     道路ばかりか、故宮にも水が入り込み、宮殿と宮殿の間が

   プール状態ですし、

     航空便もこの影響で各便が取り消されたり、遅延が一日中

   続いてこれまた大混乱。

2214315_1200x1000_01 まぁ報道写真はその衝撃的な様子を撮る傾向に

ありますので、こちらの画のようになった地域が

一体どれくらいあったのかはまた、ちょっと気をつけて

    見なくてはなりませんが、

    それにしても最初に申し上げましたように、このところの異常気象

   異常現象は、世界的なもので、これは人類の環境破壊のしっぺ返し

   との意見にも一理あるようです。

     そして、現代の環境問題がそうした情況にあるとするなら、

   それを見越した、対策災害が急務です。

     とりわけこうした大都市、(北京は1400万人くらいの超大都市)

   は、中国にはかなりの数ありますので、

     こうした大都市が意外に災害に弱いこと、大都市なるが故の災害も

   あることが判っているわけですから、その対策を急がなくてはならない

   のと同時に、そのおおもととなっている、環境破壊の問題をどう今後の

   永い年月を見据えて解決していくかを考えなくてはいけないところに

   追い込まれていると思います。

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2011年6月23日 (木)

温家宝ウェン・ジャー・バォからの手紙

F20110620130920003711  先月5月21日というからちょうど一ヶ月前に

  来日した、温家宝ウェン・ジャー・バォ首相が

  日中韓首脳会談に出席するために来日後

  東日本大震災の被災地を訪問したことは

  まだ記憶に新しい。

   福島県入りした温首相は、被災地の

  小学校を訪問している。

   その日の訪問を受けた一つ、

     金透小学校六年生の、その名も 福島さん、福島佳代さんは、

   温首相と握手できたらしい。

    何か声も掛けてもらったらしい。

   訪日を終えて帰国した温首相に、小学校六年生の福島佳代さんは、

  その日の印象と、わざわざ見舞いに来てくれありがとう、といったお礼、

  妹の絵を添えて、送ってみた。

    そして、上の画像で見られるように、

   6月11日付けになってますから、手にしたのその数日後でしょうから

   最近になって、温家宝首相自ら書いた手紙が届いた。

    思いもしなかった返信に驚いている。

    上の文面読み取れますかね?

    その上、中国への招待まで受けていますけど!

    

    小学生の福島さんは読んでもらえるかどうかも分からなかったのが、

   本人からの直接の返信に驚き喜ぶとともに、文面からこちらから

   出した手紙を読んでもらえたことを知り感激している、という。

     なかなか、心憎い演出というか、

    日本の政治家のそばには何故こうした気の廻る世話をする役人は

    いないのでしょうか。

     更に実にさりげなくかつ効果的にこうした事が

    ニュースとして取り上げられ、流され、そのことがまたある効果を派生

    させることを実に上手く利用しています。

      現に私がこうしてその話題を取り上げてますし・・・・。

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2011年6月22日 (水)

中国初の大陸・海底トンネルが完成

  同じ海底のトンネルでも、本格的でないもや、海底といっても、

  川底を掘ったトンネルなんかはもう中国もあったのですが、

  今回は大陸と島を結ぶ初の海底トンネルが開通しました。

   と、いっても完成したのは去年の話なんですが。

  場所は、福建省廈門シャー・メン(日本人はアモイと言ってます)で、

  「廈門翔安海底トンネル」という名です。

  全長8,695メートルのトンネルで、最深部が海底下約70メートル、

   自動車を走らせる専用レーンが2本と、メンテナンス専用レーンを1本

   備えた構造になっているようです。

   この海底トンネルを使って、クルマでの通行が可能となれば、

  これまでですと、グルッと回って走行していた1時間半の時間が、

  廈門島から翔安区へ一気に8分で渡れる、というから効果抜群。

   もともと廈門シャー・メン市は島で出来てますので何処へ向かうのも

  橋で繋いでます。橋がたくさんかかっていて、島と大陸部を連結して

   いたのが、今回初の海底を通っての連絡通路となります。

   この海底トンネルは中国の技術・設計で施行されたものとしても

  注目を集めています。

    建設期間は約4年、

    技術的にも今回初のものが幾つかあってそれが中国の自慢の

   ようです。

    一つは、トンネル上部のカバー層が世界で最も薄い。

    その厚さ5.7メートル。

    その割りに掘削断面を大きく取っているのが自慢。

     安全性も考慮し、腐食や耐久性のレベルは最高級で、

     マグニチュード8の地震に耐えるなどの施行技術を使っていると

    発表してますよ。

     恐らくあらゆる産業の技術革新はこうしたもので、それぞれの

   企業が国がその研鑽に追われていて、日進月歩の世界なんでしょうが、

   中国の技術もこれを見る限り、ついこの間までは、こうした特殊な

   技術(海底を掘るとったような)は日本が頼みだったのですが、

   それを超えるものを持ち始めたらしい。

     そうしたことは何時かは、時間が早いか遅いかの違いで

   やって来ることは予測できましたし、それは日本でもそうして歩んで

   来た道でもあるわけですが、

    私の心配は、どうもそのスピードが速すぎないか、という疑念と、

    技術や設備などは最新のもを入れるにしてもその運用は常に

    人間がやるものですし、

   中国が発表し自慢するほど安心かどうかは、今後を少し見ないと

   分からない面がある。

    この最新の技術とはまた別でそんなのと比べるな、と言われそうですが、

   中国では地下鉄工事なんかでも時折工事中に陥没事故などを起こして

   ますし、今地下鉄工事はあちこちの町でやられてますが、この手の事故が

   かなり多く発生してますので、私としてはちょっと心配。

    もしこれが成功すれば、中国では沿岸都市同士をを結ぶ海底トンネル

  がたくさん出来そうです。

    きっともう狙ってるでしょうね、「青函トンネル」より長い海底トンネル

   建設を。そして世界一の座をものにしようと。

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2011年6月21日 (火)

中国・四川大地震の復興事業が完成

   三年前、08年の5月に起きた、中国四川省汶川ウェン・ツァン

  大地震は人々の記憶にまだ新しい。

   その大地震から3周年を迎えた、中国は

  温家宝総理が前面に出て、「四川大地震の復興事業は、決定的な

  勝利を収めた」と、高らかに宣言。

   こうした自然災害の復興事業にも“勝利”というコトバを使う点や、

  総理が自ら乗り出してきて国内外にその宣言をするという点でも、

  これは日本とは違うな、という感じを強く抱かせるものがります。

    とりわけ今の日本政府の有様を目にしていると、これはもう

  ぜんぜん違う政治の世界だなとの印象を強くするが。

   その中で、中国は2010年(昨年)末の時点で、四川省の

   観光収入総額・国内旅行収入・国内旅行者延べ人数、

   のこの3点が、全て震災前の07年当時のレベルまで回復し、

  その震災前の数字を全て上回ったと発表。このことが、復興を

  象徴しているとも言っている。

    こうした産業、とりわけ四川省のなかに占める観光業の復興は、

  経済面、交通面、情報の面でも大きく量的に拡大をし、

  就業者の問題を解決し、住宅の新たな建設をふくめ安心して住める

  住居の提供、社会の安定した発展を促す為の情報などで、

    観光客として当地を訪れる人や、投資家からも信頼を回復し、

  復興が成し遂げられてと分析。

    観光業に焦点を当ててみるならば、

   09年末の時点で、省の観光収入総額は前年同期比で

   34.8%の約1472億元で07年を上回り

   10年末には、更に28.1%増の、約1886億元。

    とそれぞれ増加との発表をしているが、あまりこの数字に

    意味がないというか、具体的でないというか、実感がわかない。

    四川省の観光業復興再建プロジェクトは175件、

   投資総額が約75億元。

    のうち2011年3周年を迎える前の時点での

    着工済みのプロジェクトは164件で全体の93.7%は

    実施着工。完了したプロジェクトは121件で全体の69.1%

    だというから、この数字から窺えるのは順調に予定した復興事業が

    進められたということでしょう。

    完成投資額は投資総額の75%にあたる、累計56億元、

    このうち中央政府基金による投資額が約4億元と発表してる。

     まあ、この途方もない投資額なんかはともかくとして、

   日本の今回の大震災は更にこれを上回る復興予算が必要ですし、

   加えて、両国間の物価指数というか通貨価値の違いというか、そんな

   のも換算しなくてはならないので、額などは余り当てにならないのですが、

    その達成度やスピードの問題ですね、

    それは負けないでやって貰いたいものです。先の教訓を生かして、

   中国のやり方に良い面があるならそれを取り入れ、

   負けないくらい、3年ぐらいでりっぱに復興したと宣言できるくらいまでに

   なってもらいたいものです。

     それでなくとも原発問題が地震災害のうえに立ちはだかって難しい

   のですから。

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2011年6月20日 (月)

日中友好交流・ピンポン大会開催ご案内

  函館日中友好協会では、

  来週日曜日6月26日、

  函館市青年センター体育館において、

  第一回

   「友好ピンポン大会」を開催いたします。

  時間は10時からお昼まで、

  引き続き午後は簡単な食事をとりながら

  参加者との交流会を予定しております。

   在函中国人留学生を招待しての交流会です。

  一応試合形式ををとりますが、交流が主体の

  競技会ですので、年齢・技能に関係なくどなたでも

  ご参加いただけます。

   運動靴、運動に服装をご用意下さい。

  一般参加や当日参加費として1000円いただきます。

   参加お申し込みは下のメールまたはお電話ファックス

   で、24日までに事前にお申し込み下さい。

    青年センターは千代台町のバス停・電停がすぐですので

  公共交通機関をご利用いただくか、近くの市営駐車場をご利用

  いただけます。(この場合駐車寮は2時間まで無料となります

    現在のところ、在函留学生が15名程度のお申し込みを

   いただいております。

    日中友好協会ではこの他にも函館にいらっしゃる中国の方を

   お誘いしておりますが、全てを把握してるわけではありませんので、

   参加いただく方のお知り合いでお誘いできる方はどうぞ、

   お誘い下さい。

    函館日中友好協会は例年この時期、毎年留学生との野外での

   「野外焼肉交流会」をこの間開催してまいりましたが、今年はそれ

   を取り止め、こちらの「卓球交流の会」と致しました。

    今年が始めての試みですので、まだどうなるかわかりませんが、

   先ずは一日、留学生との交流が楽しくできるよう企画したいと思って

   おります。どうぞよろしくお願いいたします。

    中国語で卓球は 乒乓球ピン・パン・チゥウ といいます。

   この「兵」の字の下の右足の一画をとった可笑しな字がピンで

   同じく「兵」の字の下の左足の一画をとった字をパンと読みます。

    ピンポンの音に近い、発音です。

   それでは、26日は「ピン・パン・チュゥ」交流会で楽しみましょう。

  参加ご連絡先、電話/ファックス(0138)51-0041

                   メール hakodatekai@msn.com

      へどうぞ。

                  函館日中友好協会

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2011年6月18日 (土)

3・11以后ー携帯電話(手機ショウ・ジィ)と東日本大震災

   3・11東日本大震災から先週三ヶ月が過ぎ、

  あの日を境に何が変わったかを、一週間見て参りました。

  もちろんこれ以外にも沢山変わった面はありますが、今日でこの

  震災後何が変わったか?のお話を一応終えたいと思います。

   今週書いたもの以外でもこの三ヶ月の間にもいろいろ書いては

  きましたので、そちらも興味がありましたら、どうぞご覧下さい。

   誰もが指摘する、中国人観光客の激減や、物流につきましては、

  他でも触れておりますので省略いたします。

    それで、纏めるにあたって、私がいま頭に浮かんでいるのは表題の

  「携帯電話」手機ショウ・ジィ と、「東日本大震災」の二つです。

  「携帯電話」のことも前にここに書いたのですが、ケイタイ手機ショウ・ジィ

  が世の中を大きく変えた、というのが私の考え。

   世の中を小さく変えるものは次々に出てくるのですが、かなり根底から

  世界を変えるものはそうそう出てはこなくて、そのうちの一つが手機、

  そして便利店ベン・リィ・ディェン(コンビニ)がもう一つ、というを前にも

  かきました。便利店はこの際置いておいて、

   手機が世界を変えた、というは漠然と皆さんそんな感じをおもちでしょうから

   余り詳しくは申しませんし前にも書いてますので繰り返しになりますから、

   ごく簡単に話を進める為に触れておくと、

   手機、が現れて後、それが普及してから、人々の暮らしと、そのスタイルと

   考え方が実はそれが現れる以前とは大きく変わりました。

    いつでもどこでも情報が取り出せ、発信できるようになった、その事で

   歩きながらケイタイで連絡を取り合う人たちは、例えばこの度の3・11の

   時もそうでしたが、誰もがすぐに連絡を取りたがり、取るので、これまでの

   災害とは違った混乱振りが、東京のあの一夜の東京都難民がそうです。

    ケイタイ出現後は、小説も、テレビドラマも、普段の暮らしも、学生の暮らし

   も全てそれまでとは変わった、というのが私の説です。

    それで、話を先に進めたいのでケイタイの世界変革威力の実例はそれぞれ

   考え戴くこととして、

     先を急ぎます。私が言いたいのは、あの3・11が少なくとも日本人にとって

   ケイタイと同じようになるだろう、という予測です。

    一見何の関係もないようなこの二つは、世界を変えたという意味で

   同じ動きをし、同じように今後記憶されることでしょう。

    ケイタイなんかは普段から身近にあって、災害は身近にないのかというと

   同じですね、見えないだけで日本に住んでいるということはいつも胸ポケット

   にケイタイを入れてるように震災をわれわれは持ち歩いてます。

     

    それで、3・11以後、日本はというか世界は大きく変わらなくてはいけない。

   変わらざるを得なくなった。変わろうともしている。

     変わるでしょう。それも多分手機が気がつけばわれわれの生活を

   いつの間にか変え、考え方そのものにも影響を及ばしたのと同じように。

     それで、最後はその変わりようなんですが、

    私見ですが、手機で変わったわれわれの暮らしは、私にはどうも

    良い方に変わってないのではないか、という疑念がいつもついて回って

    ますね、私は出来れば避けたいが避けれない。

      それは私だけの感じなのかどうか、どれほどの大きな問題として

    捉えるかなどの問題もありますが、

      私が今考えているのはこの大震災が大きく社会を変えるとするなら、

    また、変わるとするなら、是非良い方に変わって貰いたい、

     そのチャンスでもあるかも知れない・・・かも知れない・・・。

     どの場面でもいえるそうしたチャンスにして欲しいとの願いもこめて、

     中国人研修生の話題に触れて、帰国するそうした人たちの動きを

     中国の万事「塞翁が馬」の例えも出してこれまた前にも書きました。

     で、この三ヶ月を過ぎて見てきて、私個人の感想ではどうも余り

    良い傾向が見えてこない。

      これはどうしたものでしょう。日本人はもともとこんなもの、

    なのでしょうか。

     そうした、戸惑いと失望の中にこの三ヶ月はいたということです。

     で、このお話終りでして、どこか尻切れトンボの感じですが、

     今度は、三年後とかに同じテーマで書けたらその時この三ヶ月の

     感想も踏まえて書いたいてみたいと思ってます。生きてたらですが。

     ここからは全く余談ですが、

    原発事故後、次々にあの事故を解説するゲストをテレビ局で各局

    何人もの先生方を拝見しましたが、何故皆年寄りなんでしょう?

    若い原発専門家はいないんですか?あんな年寄り(失礼!!)が

    事故を分析して「大丈夫」と言ってますが、老い先短い(再度失礼!!)

    あの人たちがそんな将来に責任持てるですか本当に!

     だって数年後原発事故の影響が本当に出始めた時貴方いないでしょ!

    (重ねて失礼!) と誰もテレビ局のキャスターもゲストも突っ込みません。

    

     核物質の東京飛来を必死に報道してますが、ここでもまた東京中心

    なんですね相変わらず。

     こんなのを目にすると変わらなければいけない、日本は、今後どう

    変わるのかと、注目はしてるのですが・・・さてどうなるんでしょう、

    余談でした。

      今週末ゆっくりこの100日ですか?を振り返りもう一度、

    3・11以后イー・ホゥを考え来週からは普通の話題にします。

      

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2011年6月17日 (金)

3・11以后ー心配される日本産業の海外移転

  東日本大震災が日本産業とりわけ製造業へもたらした大きな被害は、

  今なお続いているし、痛手はかなり大きい。

    そんな日本。更にはこの夏予定されている節電。消費の冷え込み。

  そこに目をつけた?中国は盛んに日本企業の誘致をし、歓迎の意を

  表している。

   上海の近く、地図でいうと少し上の所に無錫ウーシィ(むしゃく)という町が

  あります。無錫旅情なんてな歌が流行ったことがあるのですが・・。

  ここの経済区では、もうすでに相当数の日本企業が行ってます。

   ブリヂストン、シャープ、クボタなどありますが、

   ここへ、震災後のリスク分散ということでしょうか、更に中国工場に

  増資や増産を見込んで、これまで以上に重点をそちらに移す傾向が

  見られます。無錫市は喜んでいるようだ。

     ブリヂストンは、約5000億元を投じてここに拠点を置く、

    シャープは携帯電話の事業の半分をここへ移すとしている。

     中国は日本にとって市場との意味合いもあるし、生産拠点として

   としても意味合いもあり、この震災を機に中国移転の動きが見られる

   という。それを受けて中国側もそうした動きをさらに助ける為、この

   無錫市もそうですが、いち早く支援策を打ち出している。

    専門家は、震災後の日本の産業移転は、研究・開発・設計・製造

   の分野でこのあと増えるだろうと予測している。

    私はこの予測にあまり賛同していない、

   確かに一部あの大震災を目の前にして、生産拠点の分散、リスク分散は

   どの企業も考えたでしょうが、

    それがすぐに中国へ、海外へとなるかどうかは、少し違うと見ている。

   見ているし、中国へすぐに移すことがそのままリスク回避策になるかというと

   そうした面もあるにはあるでしょうが、そのことで違うリスクを背負うことになる

   のでこれは一概に言えない、と思っている。

    現に、そうした企業は皆さんキチンと調査もしてるし情報も集めてられる

   でしょうから私が言わずともごぞんじでしょうが、

     例えば電力事情について言うならば、

   中国の電力問題は日本よりある意味深刻です。

    中国国家電力監督委員会は5月末に、電力試用のピークにはいる夏場に

   かけて、電力不足が予測されるともう発表している。

     さらに政府そのものが、今年の夏場の電力不足は最悪になるだろう、

   と認めています。

     ですので、日本が駄目だからすぐに海外へ、はそうそう上手くいかない

    ようですよ。そんなことは企業人は当にご存知でしょうが。

      ということで、今年の中国への日本産業の移転は勢いを増す、との

    予測が大方ですが、私はそうはならないだろう、と思っています。

    これまでの勢いでの海外移転はそのままの勢いで続くでしょうし、

    多少はその勢いも増そうというものですが、

    3・11後、急激にそれに加速度がつくとの予測には賛成できませんし、

   そうなって欲しくはないと思ってます。

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2011年6月16日 (木)

3・11以后ー中国の報道が変わった

   東日本大震災後、なのか、あの時のあの報道に限ってなのかは、

  実はまだあれ以降あのように大きく取り上げるような報道事件が

  ないので、確定はできないのですが、あの3・11大震災が

  中国の報道では特別の扱いでした。

    それは、主にテレビの話ですが、中国のテレビ報道をある意味

  あの事件が変えたのか、或いはちょうど変わり目にあった報道体制が

  新しいものに取って代わられたのか、の判断がまだ出来てません。

    ですが、3・11以降、あの日以来の中国中央電視台の報道の

  あり様は明らかにこれまでにないものでした。

    それは、あの東日本大震災の規模が余りに大きくて、その事で

   報道の枠組みが大きく取られた、ということは先ずあるでしょう。

    これは、中国に限らずだと思います。

    またあらゆる被災地のニュースはどうしてもその発生地域と

   自国との距離にも関係し、更にには自国人がその災害にあって

   いるかどうか、被災者に自国民が含まれているかどうかで大きく

   変わるのは、世界中どの国もほぼ同じです。

     ですので、今回の震災で言うと、近い国、韓国・中国・台湾の

   関心の寄せ方、その報道の量の多さは、どうしても他国よりも

   多くなることは当然の事と言わなければなりません。

   それは、当然ではありますが、実はこの点でも今回の中国は破格の

   時間と量をこれに当ててますので、自国のあの四川大地震の

   報道と比較してみても、変わってきているな、と思わせるものは

   あります。

      更に、その報道の仕方で顕著に変わったのは、

   日本の報道の映像を非常に多用している点です。

   そしてそれが、ホンの数十秒くらいのタイムラグは設けているようです、

   これは何かの不測の事態に備えているのでしょう、それが有ったにしても

   ほぼリアルタイムでそのまま、日本に限らず外国の報道を長時間流す、

   そんなことはこれまでありませんでした。

     この点で大きく今回は違います。

     リアルタイムですので、その報道で使われている日本語をこれまた

   ほぼ同時に中国語に訳して流しています。

    ニュースをそのまま同時通訳の形式で中国の報道が長い時間

   画面に載せていくという、新しい形を生みました。

     何人か日本語への通訳のプロがいるわけですが、

    例えば、郭連友 グォ・レン・ヨゥ、という人(男性)などの訳を

   聞いていると、政府の枝野さんの記者会見をそのまま

   枝野氏の口調のスピードで訳を付け加えて行くという離れ業をやりのけて

   います。これまたこれまでには一部国際会議などではありますが、

   その訳がそのまま画像に載ることはありませんでしたので、初めての

   試みといえます。

     枝野さんに限らず、日本人の発言は実は何を言っているのかはっきり

   分からない面があります。また、分からないように話してもいます。

   日本人でさえ分かっていないのですが、それを分かったかのような

    話で繋いでいくこの日本語を訳すのは大変です。

     更にそれを同時に何の訂正加筆を加えずに発表していく、

    そうした報道はこれまでありませんでした。

     こうした映像を後ろに流しながら、キャスターがゲストを呼び、その

   画像の前で鼎談をして行くというこのやり方はこれまでもありました。

    ですが今回の場合は問題が問題(地震災害より原発問題)でしたので、

   この問題は実は中国にとってもそれなりに微妙な問題でして、ここを

   どんどん掘り下げて行けば自国の原発の問題にも話題がどうしても

   発展する問題でもあります。それでもそこを避けずにどんどん話を

   進めていたように思えます。

     もちろん相当キャスターは気を使っていたでしょうが。

    この形の報道が今後の中国の新しい事件事故報道の形式となるのか

   どうかはまだ分かりません。それは一番最初に言ったように今後も

   この形をとるのか、今回限りのものなのか、ちょっと様子を見る必要

   はあるものの、

    あの3・11以後どれくらい特別報道体制が敷かれていたのでしょう、

   その間の中国のテレビ報道の形式は明らかにこれまでとは違って

   いました。

     その意味で東日本大震災は中国報道を大きく変えたと言えます。

   

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2011年6月15日 (水)

3・11以后ー変わる中国人留学生

   先週、6月11日で東日本大震災後、3ヶ月を経過しました。

  先週、各報道機関、マスコミでそれを機に特集記事を組んでました。

  ここでも、ちょっと違う視点で、中国に関する部分でのこの3ヶ月で

  何が大きく変わったかを見る週と位置づけ、数日この内容で書いております。

   震災後、留学生の数がその総体としては大きく落ち込んでいることは

  誰もがほぼ予測できると思いますし、そう不思議でもありません。

   それは、中国からの留学生に限ったことではなく、世界中から日本を

  目指してやって来る留学生の総体数が大きく減っています。

    中でも、国別に見ますと、中国からの留学生が数的には多かったので

  その数が顕著に減っています。

    この点に関しましては、一度ここに書きました。

   それを受けて今日はその後、この三ヶ月の動きについて少し書きます。

   日本の学校は4月始まり。震災が3月11日。まさにあと半月もすれば

  新学期、新学年を迎える時期でしたので、これがまたある意味ちょうど節目

  の時期でありました。この影響もあって、留学を取りやめる人はこの

  時期判断して取りやめましたし、続けて日本の留学し続けるかどうかの判断

  を迫られそれぞれに決断し、その結果として減っているのは当然と言えば

  当然です。

    そんな減った中でも、日本へ留学にやってくる人たちが以前とは違って

   いる点は、

    もちろん、東北地方を避けますし、今いま大変な東北地方の大学など

   では、受け入れそのものが出来ない状態にあります。

    ということで、今年の留学は、留学生が南下している点にあります。

   何故、北上しないのか、北海道は選ばれないのか、は

   多分大学の知名度などの問題もあるのでしょう、関西以南に留学先を

   選ぶ人が多くなり、留学生の南下が見られます。それは九州のあたりまで

   の地域を指して、取り合えず離れて、なお安全を確保しようという選択の

   結果だと思います。

     もう一つは、これが純粋に震災の影響なのかどうかは分かりませんが、

   親が一緒に中国からやって来る時についてきて留学先で様子を見るという

   ケースが多いようです。

     こちらは、入学に定められてる4月初旬の期日を、学校側と調整し、更に

   日本は新学期に入るとまもなく5月の連休がありますので、暢気?な人は

   そこまで日本の様子を見てから、5月に入って、親と一緒にやって来る、

   そんな留学生が多いんですよ、と知人も言ってました。

     始業通知が届いてから、大学側に連絡し、入学延期を申請し、様子を

   見た後、横浜や名古屋、大阪には親同伴でやってくる留学生が多く見られ

   たようです。

    暫く、といってもそう長い期間は無理なんで、数週間、一月ぐらいで

   親御さんはお帰りになるようですが、

     ここから見て取れるのは、

    そうした留学生と一緒に来れる経済的ゆとりの人たちがいる、という点、

   親が来たからといって何か情況がそう大きく変わるわけではないので、

   これまた前にもちょっと書きましたが、中国でも親離れ・子離れが上手く

   行かない人たちが増えてるのかも知れません。

    では、今年日本を蹴った留学生?たちは何処へ行ってるかというと、

   世界中何処でも自由に選べて何処へでも行ける、という具合にはなって

   ませんので、行きたい先をあげたら、カナダなんかが多くなるのでしょう。

    全体では韓国が少し増えたくらいで、これまた震災と関係しているのか

   直接の要因ではないように思えます。

    ということは、多くはそのまま留学そのものを諦めた人が多い、

   ということでしょう。

   そして、今後どうなるかはひとえに、福島(フゥ・ダォ)の様子にかかっていて、

   世界中がそれを注視しています。

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2011年6月14日 (火)

3・11以后ー日本の企業は、

   3ヶ月、という一つの区切りの日というか、時間の経過があって、

  その後の  震災の影響を見てるわけですが、あれだけの被害を

  出した災害ですので、その影響たるや計り知れないものがありますから、

  そんなことはわざわざ言わなくとも、大変なことは分かってるからいいんだ、

  と言う方いらしゃいます。   

  ですが、余りに大きすぎて逆に誰も実態が分かっていない、とも言えます。

  中国の報道を見ていますと、ここに来て日本のこの関係の扱いもその量が

  グンと減りましたので、その点では少し落ち着いてきたと言えます。

   現在日本で騒がれている、「菅降ろし」騒動は、中国にとってはどうでもいい

  ことですし、多分やってること実態が掴めないと思いますので報道されてません。

   昨日、日本で働く外国人のことについて書きました。

  今日は、この震災後の企業への影響です。

  とはいってもこれでは余りに広い話ですので、日本の企業全部に関わる話など

  大きすぎていけませんので、出来るだけ、あの東北地方に沿ったお話を。

   とは言っても一応、資料に基づいた、数字の上のお話を紹介しますと、

  帝国データーバンクという、日本企業調査はここの数字が必ず取り上げられ

   ますので、その資料をお借りして軽く触れておきましょう。

  帝国データーバンク発表では4月末の数字ですが、東日本大震災の影響を

  受けて倒産した日本企業は66社、うち9割が地震の「間接的被害」によるもの

  だそうです。この数字私には意外に少なく思えるのですが、何か基準が違って

  いるのでしょう。     

  66社のうち、建物や設備が被害を受けて倒産した「直接被害」での倒産は6社、

  それ以外は「間接被害」によるもの。更にうち20社は消費の落ち込み、

  売れなくなった、16社はお客さんが被災地に多く売り上げが当然落ち込み倒産、

  11社は原材料や部品の調達が間に合わずそれが原因で倒産、ということです。

   この66社の内訳が更に続き、被災地にある岩手、福島、宮城の企業は10社、

  業界別には、旅館・ホテル業8社、広告業5社、外食産業4社と続いている。

   同じくこの帝国データーバンクのデーターによると、阪神大震災のときには同じ

  ような時期、ここでは1ヶ月半余りを過ぎたこのあたりでは倒産した企業が22社

   だったというから、既にそうした数字がこの時点でも3倍になりこれは途中経過

  ですのでさらに広ろがりが予測され、今後更に「間接被害」倒産が懸念される、

  と結んでいる。     

   ご存知のように、今回の震災で一番被害が大きかった三陸沿岸地区ですね、

  あの原発事故を別にして純粋に地震と津波の被害で損害を受けた地域は

  その殆どが水産関係の会社やその従事者です。  

   ここからは私の知る範囲ですが、この地域の漁師さん、つまり会社組織ではない

  ので、倒産とは言いづらいしそれにこうした調査でカウントされるのかどうかも

  分かりませんが、今後漁を出来ない人が相当います。    

  こうした人たちの数字はどこがどう発表するのでしょうか。

  漁に出れない、倒産と同じではありますが、その要因もまた一つではありません

  ので、全部を語ることはできませんが、今回船を流された人たちで、

  報道されない面を紹介しましょう。      

  実はこの災害にあうほんの少し前まで中国の人たちがこの地域に入ってまして、

  何をしていたかというと、中国人の有名な「フカヒレ」や海産物の買い付けも

  さることながら金を持ち始めて中国の人たちが「船」を買いに来てました。

   中古船としての船は、中国で建造するより安上がりですし何より日本の技術

  がそこにあるのと、上手くすれば、クルマも同じらしいですが、それに積んでいる

  様々な専門の機器も一緒に手に入る、ということで、あの地域の漁師さんの

  ところへの引き合いが相当あった。知り合いもそんなことを言ってました。

    加えて漁師さんたちの高年齢化、更にはその少し前に触れていた油の高騰

  からくる沖合いの漁での採算性、などなどがあり、まさにこの中国からの引き合い

  に乗ろうかどうか迷っている時にこの未曾有の災害に見舞われたのです。

     あの時、あの話に乗っておけばよかった、

   との声があちらこちらでささやかれているようです。 

   コレばっかりはどうしょうもありません、ありませんが、あの陸に打ち上げられた、

  道路を塞ぐ船の映像を見るたびに、そうした経緯もあって、

  私たちがたんに、船が陸に上がって大変だ、と見るその目とは

  また別の感慨と視点が現地の人たちにはあるようです。

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2011年6月13日 (月)

3・11以后ー震災後何がどう変わったか、日本で働く人々

   震災後、3ヶ月を経過したので、こぞってその特集とそうした観点での

  報道が、11日を前後にここ数日一斉に報じられております。

   可能な限り見るようにしましたが、これまた先にもお話した様に、

  日本のマスコミもどこも横並び、余り違わない切り口と、違わない論調で

  終始しております。

    特集として時間枠を拡大して、かつその話題に特化しているのに、

  何処も大概は今の被災地を映像として移して、被災地直後と比較して

  どうこう・・・という話題でした。

   海外では(中国で)余りこの三ヶ月というのに重きをおかないのか、特別な

  この期間を捉えての別枠での報道などはされておりません。

   日本の「3ヶ月後報道」を紹介するという形に留めています。私が見た中では

   これは、という記事も報道も特にはありませんでした。もし、皆さんの方で

   これは見ておくべきでした、という内容の報道がございましたら、お教え下さい。

     三ヶ月という期限は別にして、あの3月11日の以前と、以後では実に

   様々な点で日本は多く変わった、変わらざるを得なかった。

     そうした記録をそれぞれの業界、世界、分野で、以前と以後を比較

   され、そこから導き出される問題なり、今後の予測などを、されておられる

   のでしょうか?されておられると思いますが、一体それってどこが主体と

   なって、きちんと整理し持っていなくてはならないでしょう。

     やはり政府ですかね。政府の各省は持たなくてはいけません。

    先週末に「日本で働く外国人」に触れて書き、途中になってます。

   この問題も、実はというか当然、3・11後大きく変わっております。

    その点を、日本で働く外国人という面で見てみると。

    ちょうど、その3・11のほんの少し前に、

   2010年度の数字が漸く集計されて発表されたばかりでした、

   「2010年外国人労働者雇用情況統計」という相変わらず硬い名の報告

   ですが、その発表では、

   日本で働く外国人の総数は09年に比べ15・5%の増、64万9982人

   まもなく65万人に届こう、という数字です。

    うち、産業別には、製造業が25万9362人、全体の4割を占め

    次に多いのがサービス業の8万3764人。

  

    出身国別では中国が一番で、28万7105人、前年比15.2%増

   次がブラジルで11万6363人、フィリピンの6万1710人と続く。

    何処で働いているかは、東京都で働くが最も多く15万4610人

   次は愛知県の7面8723人、静岡県の3万8802人となってます。

    これらは、日本政府・厚生労働省の報告の数字で、これが震災前に

   発表され、

    政府は「外国人雇用状況報告制度」の実施をスタートさせた。これは、

    外国人の労働者数の実態や留学生の立場がより明確になることを

    目的としている。

     その矢先にこの東日本大震災が。

    そこで、その数も実態も大きく変わることになる。

    その数字はまだ発表されてませんし、まだ流動的なところもあります。

    ですが、早晩おおまかな数字は出てくるでしょうし、

    それに対して打つ手、というのも政府は考えるのでしょう。

    

    一方、上場企業に外国人採用・労働実態調査、といったものもしている。

     近年、海外業務開発とますますボーダレスになりつつある、海外との

   商取引備え、そうそうたる日本の大きな企業や名の知れた会社では、

   新規採用を留学生や外国人に占める割合が急増しているというもの。

    文科省はまた別に、留学生の数とか、

    経産省は、違う割り方で、この手の数字をそれぞれ持ってると思います。

     これまたよく指摘されるお役所の縦割りの弊害で、とてもよくそうした

    数字を掴もうとする努力というか、実態調査には勢力を傾けるのだが

    それを取った上で何がしたいのか、

    また、おのおのの数字を互いに交換し合って、そこからより発展した

    情況なり、展望を見出すという方へは行かない。

     これらは、日本人が良く陥る、手段が目的化され、

    本来はそれらは、一手段であって、それを使ってその後に何をするか

    こそが大切なはずなんですが、その前段の手段を完璧にやって

    満足しているところにあります。

     日本のお役所こそこの震災を機に大きく変わって貰いたいものですが、

    今のところそのような兆候は見えません。

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2011年6月11日 (土)

日本で働く外国人、もちろん中国人がダントツ

  毎日、中国に関する新聞記事は全て切り抜いて、それをまた分類し

  貼り付ける、という作業をしている。

  結果、我が家の古新聞は穴だらけで、時に、その関係の記事が多いと、

  穴というより、紙面そのものがほぼ切り取られることもあったりする。

   昨日の新聞記事を切り抜いて、その時もちょっと、オヤッ!と思った。

  切り抜いた方の新聞記事がいま手元にありますが、この二つのどちらも

  小さな記事で、確か同じ紙面ではなかったが、すぐ傍にあったと記憶して

  いる。そのせいもあって目を引いた。

    その記事は、表題が「韓国在住外国人5年で2・5倍」サブタイトル

   「中国などから大量の労働者」というものと、

   「研究実績などを評価しポイント」外国人就労促進

    の二つの記事。どちらも字数としてもそう多くもないし、余り

    目立った位置でもなかった。恐らく、誰も気にも留めていないだろう。

  

    これを全部ここに転載してる余裕はないので、簡単に紹介すると

   2010年の数で韓国に居住した外国人の数が5年前に比べ2・5倍に

   増加。うち、中国人が全体の半数を占め、その数およそ30万人。

     要因は、急速な経済発展で、国民の低賃金労働を嫌う傾向も

   強まり、外国人労働者が増加・・・。

    というもの、

     一方の方は、政府が高度な専門的能力を持つ外国人の日本での

   就労促進のために導入する「ポイント制」の概要を固めたというもの。

    どちらも、それに対するコメントは記されていないので、

   だから何なの、それでどうなるの、は読者にまかせている。

    そういう紹介の記事なのでそれはそれでいいのですが、

    新聞はそれを読み解く力が必要とされる。更にその情報を得たうえで

    では自分なりにその問題をどう判断しどう考えるかまで求められる。

    だから、同じニュース(情報)をただ、テレビやネットで取れるから

    それでいいんだ、という考えにはちょっと私個人はまだ踏み込めない。

    学生などと話していると、いま、ほとんどの人は新聞をとっていない。

    学生どころか、学校を出て社会生活をしていても新聞は要らない、

    と言っている。必要な情報は得られるし、必要と思えばいつでも

    携帯でも見ることが出来るからだそうだ。

     確かにそうだ。

     それはそうだが、新聞記事を読むという作業は私のような古い

    人間には上のような作業をする場として、ただ単に情報という面から

    だけででなく、新聞を読むその作業とその先の思考が、一つのもの

    としてあり、いまだ新聞から離れられずにいる。

      ただ、誰もが異口同音に言うが、近頃新聞は面白くない。

    新聞の読むところがなくなってきた、つまらない、変わった、の

   意見も分かる。思っている言っていることが同じかどうかは分からないが。

   気持ちは分かる。だから新聞離れが進んでいる。

    それはともかく、この記事、昨日此処に書いた

   「東京の中国人が減っている」ともちょっと関連していると思う。

    およそ、こうした問題は何らかの結果があって、数が出てそれがまた

   何らかの顕著な変化を示して、この記事のように韓国では2.5倍になったり

   して始めて知らされることが多いようですが、

     本来これはどこの場で議論されているのかわかりませんが、

     今後日本はこうした問題を一体どうするのか、とか、

     その方向性を明らかにし、こうやって行きます、という指針なりを

     ちゃんと示されたためしがない。

  

     とりわけ、今日は震災後3ヶ月ということもあって、節目の日ですから

    その話題ですし、まだまだ、私たちはこの原発事故と付き合って?

    行かなくてはならないでしょうから、相当それらにエネルギーをとられ、

    ちょっと余裕のない状態が続くのでしょう。

     ですが、特にいまの若い世代の方たちの将来には大きく関わって

    くる問題ですので、どこか見えるところで同世代の日本人が参画できる

    論議の場があったうえで、進めていただきたいと思ってます。

     それくらい重要な問題であるはずなんですが・・・。

    もうちょっとこの問題書きたい点もあるのですが、長くなりましたたし、

    これから出かけなくてはいけないので、また書きますのこの続き。 

    では。

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2011年6月10日 (金)

中国人在東京ー東京の中国人が少なくなった?

  東京に住む友人が言うには、このところ、都内に住む中国人の数が

  急激に少なくなっているように思う、との話から、

  ちょっと調べてみました。

  彼の言う、このところは、当然あの3月11日を境にして、の意味でしょう、

  どれ位少なくなったかの別に確かな統計があるわけではないので、

  彼のように感覚で言うのなら、それはもう少なくなってる感じはどなたも

  お持ちのようです。というのは、出歩かなくなったという面もあるのでしょう。

   で、ここに一つの数字があります。

   2011年1月1日の東京都在住中国人の数というのが発表されてまして、

    その数、16万4672人

   多分こんなに細かく数字が出ているということは、これは東京都で

   外国人登録をしている人の数でしょうね。

   それで、その3月11日を過ぎて、4月1日の数を見てみると、

         16万4176人

    だそうで、これだと確かに減ってはいますが、500人くらいの減りです。

   それでもこれって、いつからかは分かりませんが、多分平成はもちろん

   昭和も含めてもいいくらい、毎年、都在住中国人の数はずっとこの間

   増え続けていたので、その総数が減ったというだけで、驚くに値する

   くらいの、コレまでにはなかったことなのでしょう。

    東京都の人口が1317万、日本の人口の十分の一が首都・東京で

   暮らしているわけです今。

   都の人口は2000年に1200万人台に達し、今年で11年かけて

   この1200万から更に117万人増えていて、

    都の外国人在住者の数は42万人くらいだったのが、

     3・11以降、41万人代に落ち込んだ。

     うち、中国人の数は先の16万4176人なので、

     都に住む外国人総数からするとダントツの39㌫くらいを中国の人が

     占めている。総体では減っても割合ではまだ圧倒的です。

    また、都のうち、08年に江戸川区が中国人在住1万人を越し、

   1万人のという数を一つの目安とするなら、1万という数はある社会が

   「中国人社会」が構成されるに足る数という意味で目安になります。

    09年で、江戸川区、新宿区、豊島区の3つの区がそれにあたり、

   中国人社会が出来上がり、そこで暮らす中国の人たちの世界ができる

   そんな区が3つでした。これが2010年には増え続ける中国の人で

   5つの区に増えたということらしのです。ですが、

    一旦は5つの区が1万越えをしたものの、3・11後はまた減って、

     うち、最も多く住む区は、江戸川区(1万2千いくら)

    新宿区(ほぼ1万2千)豊島区(1万1千)江東区(1万とちょっと)

     この4区、これに続くのが

    板橋区(あとわずかで1万に届く)と北区(8千人)の2つの区。

    これが3・11後の避難のせいなのかどうか、

    多分そのせいもかなりあると思います。

    避難先が日本国内にまだとどまっていて、関西に行っている人も

    多いといいいますので、今度は関西の統計を見てみないとわかりませんが、

    統計の数としても確かに減ってるのは見て取れます。

     もっともこの統計は都の統計の数に現れる人たちで、

    これに現れてこないそんな人たちも、相当降りますので、

    そちらの方でも減っていて、先の友人の感じがそれを

    物語っているのだと思います。

      こちらは、数がとれませんので、感覚だけの問題ですが、

    減ってるのでしょう、恐らく。

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2011年6月 9日 (木)

中国・大学入試センター試験(高考ガォ・カォ)終わる

110607bm11  高考 ガォ・カォ が終わりました。

 この話題も毎年此処で取り上げて

 いるような気がします。

   去年もこの時期にこの話題を確か書きました。ちょうど一年前です。

   このところ、日本では中国話題に限らず、国内がザワザワしてますので、

  そちらに目がいき、余り他の国の話題が取り上げられません。

   そんな時こそ、ここでは中国話題を取り上げておきましょう。

   とりあえず、中国はこの話題が何と言っても、ここ数日の話題の中心です。

  他には、ずっと日照りが続いていたと思ったら今度はそれが一転大雨に

  見舞われて、洪水となり、日照りから一気に洪水の被害の話題が大きく

  取り上げられております。

    高考ガォ・カォ(中国の大学入試センター試験にあたるもの)は、

  毎年日が決められておりまして、この日、6月の初旬が来るともうそれだけで

  中国ではこの話題が中心となります。

    もちろん、受験生を抱えた家庭では、そんな生半可なものではなく、

   もう相当前からそのプレッシャーの中におりますので、この期間とも

   なればそれはそれはもう緊張がピークに達し、大変なものです。

Photo  今年は受験生が減って、

 減ったといっても933万人といいますから、

 去年あたりで丁度1000万人が受験する

 超マンモステストです。

  試験会場だけでも31万箇所余りと、

  どんだけ用意しなくてはいけないの、という話です。

     カンニング対策も怠りなくとなれば、試験監督者の数も相当ですね。

Photo_2  科目としては、日本のそれとそう変わらない、

  国語、数学、英語、が柱となっております。

  試験は3日間かけて行われます。

     この間、たまに韓国のニュースとしても伝わってくるように、もう受験生

    の為の便宜を図るために、様々な特別厳戒体制に町そのものが入る、

    という気の入れようです。

      実際に見たことはないのですが、テレビの画面では試験会場に受験生

   が遅れそうになって、パトカーがサイレンを鳴らしソコノケ状態で駆けつけたり、

   受験中は建築現場の騒音などを規制したりの、受験生中心の期間になって

   いるようです。

Photo_3 そんな中国の今年の高考の話題は、

 一人っ子は別段今年に限ったものではないでしょうが、

 我が子、我が娘に期待を寄せる、親やそのまた親の

    ちょっと行き過ぎといってもいいくらいの、受験生を抱えた家庭の大変さ

    というか、父母の負担と、それを好ましく思わない或いは重荷に感じて

    いる受験生との対比が、多く見られました。

    これは何を意味しているのでしょう。

      そういえば、この高考に限らず、

    日本へ留学に今年来ている中国人留学生は原発事故や地震のせいも

    あって、留学生の数は総体ではグンと減ってるのですが、留学生に

    くっついて一緒に中国から親も来て、ずっとではないでしょうが、日本で

    入学を見届けてから、帰る中国人留学生の親が増えている、というのを

    別の時期に見てました。

      どうなんでしょう、

     どうやら、中国でも親離れ、子離れが上手く行かなくなってきたのかなぁ。

    それと、これまでは、親の方に余り生活の面で余裕もなかったのが、

    このところ少し余裕のある親が増えたので、それだけ子供にかまえる、

    というか、かまってしまう、ということでしょう。

     余裕ってやつはあった方がいいんですが、

     折角?できたその余裕が違う方へ働いて、

     違うほうで余裕を失くしちゃう、ってやつです。

     これまた、困った問題です。

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2011年6月 8日 (水)

函館日中、新入会員歓迎会、開催

  6月4日、先週の土曜日、函館日中友好協会として、

  最近新しく、当協会に加入いただいた方をお招きしての

  歓迎会兼道日中定期大会報告会を開催いたしました。

   参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

   ほぼ、飲み会で終始しましたが、席上、新しく入られた

  若い方たちと、市内の中国人留学生の交流の場を持とう

  ということで、その場で急遽、今月末にでも何か集まりを

  企画しよう、ということになりました。

   早速、飲み・食べながらのアイディアの出し合いで、結局

  若い方が増えたことですし、これまでは手がけたことがない

  スポーツでの交流はどうだろ、ということになりました。

   相当以前に、テニス大会を開催したことがありますが、

  それ以来の、函館日中主催のスポーツ大会となります。

    会場、用具、参加のしやすさ、などなどもあって、今回は

  今のところ、というか、もうすでにそういうことで動いてますが、

  卓球(ピンポン)大会を企画しております。

    これが上手くいけば次に又違った形での開催が可能に

   なるのではないかと期待しております。

   場所は青年センターの体育館をお借りすることにして、あそこ

  には、卓球台も備わっているようですし、用具も貸していただける

  とのことです。

    現在、開催場所の青年センターの体育館の空き情況と、

  皆さんの都合の付け合わせをして、日曜開催を目指すとなると、

  今月最終日曜日26日が一番近い可能性のある日となります。

   決まりしだい皆さんには、改めてご案内を差し上げます。

64_002 ということで、若い方に入っていただいた

おかげで急に活動の若返ったようです。

 これから、市内在住の留学生にも

       呼びかけて調整に入ります。いま少しお待ちください。

64_001  当日は遅くまで、お付き合いいただき、

 ありがとうございました。

  今後いろいろご協力と、沢山の意見を

     いただきながら、「函館日中」も少しは若返っていくよう

     努めて参りたいと思います。どうぞよろしく。

     函館市内・道南にお住まいの方で、中国に関心がおありの方、

   一緒に日中友好の活動をしませんか、参加はどなたでもできます。

   ご連絡いただければ、ご案内も差し上げます。

     日中友好協会は全国組織でして、それぞれ中央(東京本部)

   北海道(札幌)日中、みなホームページをもっておりますので、

   ネットでそれらをご覧下さい。活動の様子が分かります。

     「函館日中」の活動はこちらで紹介しております。

     皆さんのご参加をお待ち申し上げております。

                             函館日中友好協会

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2011年6月 7日 (火)

中国・ヘソ出しルックのオジサマたち目撃情報

  昨日書いた、茶館『隗かい』ホームページ、ウェブ版

  「わたしの見た中国」6月号、「光膀子グァン・バン・ズ」

  をご覧いただいた方から、いろいろお知らせをいただいて

  おります。ありがとうございます。

    私が書いたのは、こうシャツを捲り上げて、可愛い?太鼓腹を

   ど~んと、突き出して歩く「膀爺」のお話を書きました。

Rd_or_b2935a979beb4da01d85ffdb75ca7 ←ホラホラ、こんなオジサマですけど・・・。

この方も多分、颯爽と、ビジネスバックなど

お持ちですから、銀行にでも来たのでしょうか。

 それでもオシャレにお腹は出してます。

    決まってますね・・。こう威風堂々というか、貫禄さえ見えます。

    ということで、これをして、究極の「クールビズ」だ、という紹介を

    させていただきました。

    何人の方からか、中国でのそうしたオジサマたちの目撃情報を

    お寄せいただきました。謝謝!!

    うち、お一人は「そんなもんじゃなぃ」とおしゃっています。

    どう、「そんなもんじゃなぃ」かと言うと、

    上はシャツを着ていればまだいいほうで、全部脱いじゃって、

    上半身丸裸、オジサンを多く見たというものです。

      いやいや、私も見ましたよ、そんな下は何と言うのでしょう、

    七分丈のダブダブズボンで、上は何にも身につけていないのを。

      ただ、これが涼しそうかというと、どうも、矢張り上には何か

    身に着けていても貰いたいものとの淡い期待もあっての、

    あれはちょっと違反かな、と私には思えるわけです。

     例え、白いランニングシャツの下側からグルグルと巻き上げて、

    胸のところまでたくし上げているので、ちょっと見、本当にオジサンが

    ブラジャーをしてるような絵なんですが、これはこれで私は、愛嬌が

    あるというか、許せるかどうかは又個人判断があるでしょうが、

    そんな捉え方でおりましたので、

     上に何も着ない、身に着けない、纏っていない、

    そんな人たちとは一線を劃しての、私の中での、「光膀子」のオジサマ

    たちでして、

Img2030723641 ←こんな具合にそんな上半身裸軍団も

 見たことはありますが、ちょっといただけ

 ません。

  このままの格好で普通に路線バスに

    乗ってきたりもしますが、そこまで行くとどうも、行き過ぎてるように

    思えるのですが、どこまでがどう、というのは難しいです。

      これを目の前にした女性の方のご意見というのもまた、

    ちょっと違うでしょうしね。

     目撃情報いろいろありがとうございます。

     できたら、感想もお聞かせください。

    

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2011年6月 6日 (月)

中国式クールビズ「光膀子」ー今月のウェブ版「わたしの見た中国」

  6月に入ってからでしょうか、それとも、今年の夏は電力の供給事情が

 逼迫することを予測してのことでしょうか、先日来、多分衣替えの時期で

 もあったからでしょうし、東京も暑くなりはじめたのでしょう、

  「クールビズ」話題と「省エネ」「省電力」話題をよく目にしました。

   だから、というわけでもないのですが、今月の話題は、

  中国もこの頃からグングンと暑くなり始めますし、

  そうなると、例えば中国・首都、北京でもどこでもいいのですが、

  こうしたオジサン、オニイサンが、中国では出現し始めます。

    今月号、ウェブ版「わたしの見た中国」 隗連載のテーマは

    「光膀子」グァン・バン・ズーーヘソ出しルックのオジサンたち、です

   上をクリックしますと、茶館『隗かい』ホームページにリンクしております、

   そちらのトップページからお入りください。

Photo 日本では暑いからといって、ここまで

 の人はそう見受けないですね、

 中国ではかなりの頻度で目にしますし

 余り、見たくもしたくもないのですが、

    それは、多分無理だと思います。それくらい多発しています。

    男性で年配の方が多いようですので、「膀爺」バン・イェと呼ばれたりも

    してるようです。「爺」の字は年上の男性に対する呼称としてあります。

    日本語の中にも「好々爺 」といった使い方があります。同じです。

     「膀」バンはもともとは二の腕を指してまして、

     日本でもそうですが、半そでのシャツのその袖の部分をこうたくし上げる

    というか、グルグルッとこう捲ってですね、暑い日にそんな人がいないでは

    ないですから、もともとは袖をたくし上げてたのでしょうが、それがどうした

    勢いからか、お腹の辺りも捲っちゃへ、となってこうなったようです。

     「光」グァンには、裸にする、あらわにする、の意味があります。

     「光脚」グァン・ジャォで裸足のいみです。

     なんにもない、きれいさっぱりの意味もありますし、そんな使い方です。

    で、「光膀子」が上の写真のような人たちを指し示しています。

     多分こんな中国語は覚えてなくてもいいですし、使うこともないでしょうが、

    それでも、使われている一つ一つの漢字の意味や、音を捕まえておくと、

    何時か役立つかも知れません。

      中国の事情を知り、中国語もついでにちょっと、

    ということで、これが「クールビズ」と言えるのか?という話ですが、

    今月の茶館「隗」ホームページ、

    更新いたしました。お時間がございましたら、どうぞお立ち寄り

    下さい。バックナンバーも2年分掲載しておりますので、こちらも

    更にお時間がありましたらどうぞご覧ください。中国語勉強にも

    なりますよ!なるかなぁ~、まぁ、多少はなるでしょう。

     それでは、

    歓迎大家、「隗」主頁来玩ル口巴!

                    2011年6月6日

                          茶館「隗かい」

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2011年6月 4日 (土)

テレビの前を離れられなかった日ー天安門事件から22年

   今年、3月11日もそうですが、

  その日テレビの画像に釘付けとなり、離れられなかった日がある。

  ある歴史のメルクマールとも言える日が幾つかある。

  その一つが、22年前の6月4日。今日だ。

   あの日、1989年6月4日未明。

   その前日あたりからどうなるんだろうこれは、とテレビを見ていた、

   画面はずっと薄暗い、人がやたら沢山集まっている、北京・天安門

   を固定カメラで写していた。

   確か3日夜のテレビニュースは、「何か動きがあるようです、」と

   いった漠然とした報道と、そのわりには膠着し動きがなくなった

   天安門の薄暗い様子がただただ映されていた。

     そして、未明に確かにその「動き」はあった。

    あれから22年が経った、学生だった彼ら、彼女らも、もう中年

   の域に達する年代になっているだろう。

     

    実は22年経った今も事件の真相は全く分かっていない。

   22年もの年月を経てなお、あの時、あそこで他に取るべき方法は

   なかったのか、といった論議も尽くされてはいない。

   あの時、学生だった彼ら、彼女らの要求が特別受け入れがたいようなもの

   でもなかった、彼ら、彼女らの取った方法が特別無謀なものでもなかった

   なのに、あの日がいまだ「天安門事件」として語られるのは、

    ちょうど中国という国が世界へ一歩足を踏み出し、これから、

   歩みを始めようとしていたその時、あの学生たちの動きが、

    時の権力者たちは、自分たちへの国家への造反として捉えられた

    ことに不幸がある。

    明らかに時の権力者たちは学生たちの動きを誤った情勢判断と

    誤った目で見ていた。

      そこから発する彼ら権力側の対応策は否応なく、誤った

    結論へと導かれ、鎮圧することのみに注がれた。

      今日あたり、例えば、

    北京・天安門広場へ行って、広場の隅のほうのさらに端の方で

    両手を合わせて静かに合掌したとして、

     そう時をおかず周りを公安関係者で囲まれてしまうだろうか、

     多分の今日の天安門広場は、22年経った今も、それなりに

     ぴりぴりした状態にあるのだと思う。

     22年前のあの日、テレビの前を離れることが出来ず、

    暗い中を銃声と怒号のみが聞こえる、暗くて大して何も見えない画

    なのにずっと、何度も何度も同じ映像を見ていた日を思い出しながら、

    私が今日読見直そうと思って本棚から引っ張り出してきた本は

Tennannmonn この本で、

今日はこの本でもゆっくり読みながら

22年前のあの日と、22年のこの間を

振り返って見ることにします。

  あとまた、何年かして、或いは10数年

というような時を経て、同じように、

 2011年3月11日を振り返って見た時、

     果たしてどんな感想をもつことができるのだろうか、と

     考えながら。

     そして、ここ数日の日本の政治劇は、時を経だてて見たなら

     一体どんな風に見えるのかも、忘れないように記憶しておこう

     と思っている。

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2011年6月 3日 (金)

「飲酒運転・危険運転罪」適用ー中国でも飲酒運転に厳しく対処

   先月5月からですが、中国で

  「道路交通安全法」の改正がなされ、

  酒酔い運転に対して、これまでは処分が「行政処分」のみで

  済んでいたものが、この改正により今後は「刑事罰」が科せられる

  こととなりました。

  これにより、

   飲酒運転の場合、6ヶ月免許停止処分にした上で、

   1000元から2000元(2万6千円日本円くらいですがその重みは

   日本のそれよりはずっと重く、ほぼ給与の半分くらいも持っていかれる感じ)

   の罰金となりました。

     更に、血液中のアルコール度が高い場合には、これに

   「危険運転罪」を適用して、刑事責任を追及、5年以内の免許の再取得は

   できないようにもする、というもの。

     飲酒運転で大きな事故を起こした場合は、刑事責任の追及とともに、

   免許の再取得は生涯にわたって出来ないこととなる。

    この法令が施行されたその当日、早速、飲酒運転で摘発された

Sakeyoiunntenn1 ← この人は、検査の結果

 血液中のアルコール濃度が100ml

 中にアルコール159.6mgに達し

(血液中100mlごとにアルコール

80mgを超えたら、酒酔い運転となる)

 さっそく、

    「危険運転罪」の容疑者として逮捕され、反省仕切りの本人様子。

     公安部では、内部に対しても、今後この飲酒運転には厳しく対応する

   ことを徹底させるべく、違反者を摘発した後、処分をせずに事件を処理

   したり、もみ消したり、起訴しなかったりがないように、との厳しいお達し

   も出ている。

     そのせいか、漏れ聞くところによると、その後某地方都市の大物

   役員もこの「危険運転罪」に問われることになったという。

      お酒に対する中国の接し方は、どうしても商談なり、色々な場で

    酒の場があるのは世界共通だとは思いますが、

      中国の人のそれは、私にいわせれば無茶飲みで、とんでもない

    量ととんでもないアルコール度数を取るので、前々から危険だ!と

    思ってましたし、もっと厳しくあった方がいいだろう、と思ってました。

    これで、中国でも運転代行社的なものもきっと出来てくるんでしょう。

     一方でお酒が前から余り飲めない、飲みたくない、

    という人も中国にだっておりますので、

     「車できました」ということで酒を断われると、ホッとしている

     毎日のように接待が続く社長さんもおります。

      上の写真のように、頭を抱えてしまうことのないよう、

     お酒は「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」を肝に銘じて

     おきましょう。

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2011年6月 2日 (木)

中国は、昨日6月1日が“子供の日”

  中国は昨日、6月1日が子供の日

    ル童節  アール・トン・ジェ

  ルは「児」の字の上を取ってしまい、下だけ残しました。

  節は、祝日は中国では、節日ジェ・リィと良い、節目の日

  としての位置づけです。この字も竹の下に卩を書きます。

    「児童節」こどもの日を、こう呼びます。

  6月1日ですので、6はイー、アール、サン、スゥ、ウー、リュゥの

   リュゥですし、1はイーですので、

    「リュゥ・イー・アール・トン・ジェ」が中国こどもの日の言い方です。

    こどもの日を世界的に何時に定めるかは、いろいろですが、

   6月1日は、1949年モスクワで開かれた国際的会議の席で

   この日に定められているようです。

    祝日ではありますが、この日は休日ではありません。

   ですので、学校も休みませんが、大概はこの日は行事を入れて

   授業ではなく、なにか各学校で催し物を企画してやっているはずです。

    また、今もそうかどうかちょっと自信がないですが、

    公園や遊園地や子供関係のそうした施設が無料になってたように

    思いますが、それは公共の公園のみなのか、どこでもそうなのかは

    ハッキリしません。

  これで、6月1日、昨日が中国の「こどもの日」だ、という説明は終わり。

    それで、私が言いたいのは、ご存知のように中国は一人っ子が多いので

   この子供にかかる期待が否応なく大きくなります。

   ですが、中国は一人っ子とはいえ全体の分母がまだまだ13億と大きいので、

   子供の数も日本のそれと比べたならば、とてつもなく多いので、それだけ

   おれば、それはもう優秀な“子”も沢山出よう、というものです。

Zyb00531021 こちらのお嬢ちゃんは、後ろに漢字の表が

見えてますが、漢字博士?らしいのです、

きっと難しい漢字なんかもすらすら読めちゃう

   らしいんですね。すごいなぁ~。読めるし、書けるし、意味が判る。天才だ。

    表意の文字である「漢字」は、表音の文字と違い、覚えなくてはならない

   その相対の数が多いので、これらを子供のときに苦労して覚えるのは、

   子供にとっては、それだけで相当な負担なんですね。

     ですから、私ども漢字圏の国の学校に上がってすぐの頃の授業の

   相当部分をこれを覚え、これを使えるまでになるよう、割かれます。

     表音の文字を持つ他の国では、学校に上がる前にすでに字は

   書けるようになっているわけでして、漢字圏(日本・中国・台湾)の

   ように自分の国の言葉でありながら、書ける、読める、ようになるまで

   相当数の時間と努力が必要なのは、世界の中では珍しいのです。

     結果、私が普段言っているのは、こうした子供のときの大変さ、

   子供のやわらかい脳のうちにこうした複雑で、ちょっと難しいことを

   覚える作業は、その時は大変ですが、結果としてのちのちこれって

   かなり脳の発達のために役立ってると、言ってきました。

     漢字は素晴らしい。

     皆さんが、今見ているこの画面も漢字を追ってるわけです。

   最初で、中国で使われている漢字(簡体字)の説明を少ししてますが、

   中国はその子供の時の漢字を覚える労力をできるだけ楽にしようと

   “字”を簡略化してます。

     これも気持ちが判らないでもないですし、日本の漢字も実は

   それなりに省略化されたものが使われてはおります。

     ですが、中国の簡略化された“字”は、残念ながらちょっと、私には

   行き過ぎていると思えてなりません。

     もっと子供の脳の能力を信ずるべきでしょう。

     かなり複雑なものも子供は覚えるものです。

     同じ漢字でも現在は、台湾などで使われている繁体字という、

   画数の多い字と、中国の簡体字と、日本の字と、三種類が存在

   しております。

     これもずっと将来を見据えて、統一した漢字体系を持てると

   いいのですが・・・。

   まぁそれは、おそらく次世代の写真に写ってるようなお嬢さんの代に

   なるでしょうが、やって貰えるとありがたいです、期待してます。

    コンピューター上での文字化けや、相互の理解や互換性でかなり

   役立つことになると思うのです。

    未来は、子供たちの手にあります。

    中国では一人っ子ですので、例えばあの四川大地震で子供を

    亡くした親御さんたちが居られ、その悲しみはいかばかりかと、思います。

    同様に今回の東北大震災では、子供亡くされた家族のみなさん、

    その逆に、親を亡くされた子供さんが、本当にかなりの数おられます。

    中国の子供の日ですので、

    普通のその方面のニュースより、四川大地震で子を亡くされた方の

    この日の、何か特別な集まりでもあるのかと思い、ちょっとネットで

    中国のそうした動きがないかを探してみましたが、残念ながら探し

    当てられませんでした。きっとあるとは思うのですが・・・・。

     そして、日本では今申し上げましたように、沢山の小さな命を

    この大震災で喪いました。

     それなのに、日本の大人がやっているのは、

    というか、私が指しているのは今日の国会の様子ですが、

    なんと情けない、茶番を見せられているようで、

    国会で論じているどなたにも私は拍手をおくれません。

    その拍手はなんなの?

   

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2011年6月 1日 (水)

「養壺」壺を育てる?って??-『隗報』第85号、私の見た中国

  『隗報かいほう』第85号の私の文章は、「養壺ヤァン・フゥ」です。

  創刊以来毎号必ず、「わたしの見た中国」と題して、誰も気にもしない、

  だから誰もそんなことは取り上げない、結果、誰も書かない、

   そんな話題で中国を取り上げております。

   この基本姿勢はホームページ、茶館『隗』での

   ウェブ版「わたしの見た中国」でも同じです。お時間がありましたら、

   どうぞそちらもご覧下さい。

   ということで、毎回実にくだらない内容というかテーマというか、そんな

  お話なんですが、今回の「養壺」は、

  先ずこの「壺」は普通の「壺」ではありませんで、「水壺」と呼ばれ、

  お茶を淹れるときに使う急須のことです。

   ならばなお更、この「養」の意味が分からなくなりますが、中国語の

  「養」はよくこのように使われたりします。

   クルマだって、中国語には「養車ヤァン・チュゥ」と言うのがあります。

   これは車をお買いになって以降の、維持を指してまして、

   「買車容易、養車不容易」(車を買うのは簡単だが、維持が問題)と

  中国では言われています。つまり、車は頑張れば買えるような所得になった、

  だが、買った後の、維持費が大変だというお話、ガソリンだ駐車場だ保険だ、

  の問題が大きいとの意味です。

   さて、「養壺」は、その中国茶用急須をお買いになってからそれをどう

  育てる?かの問題でして、これまたこれでうるさいのです、中国の人は。

030 中国の急須はいろんな形があって楽しいもので、

コレクターがかなりおります。茶館『隗」でもこの

写真のように店内で飾っておりますが、これは

コレクションのほんの一部です。私でもどうでしょう?

 お店に飾ってあるのと、自宅にもありますから、5~60個は持ってますね。

    それで、もちろん、これらの物は中国で求めたものですが、

   その買うとき買ったときの、お話を書きました。

    実は私が書きたかったのは、後半部分の、中国の人たちの買い物に

   対する姿勢というか、必要なまでの買い物の際の点検にあります。

     多分、今でもそうだとおもいますが、とりわけ私が中国に滞在してた

   頃は、中国製品の品質の粗悪さもあり、中国の人は何かを買おうという

   そのとき、本当に真剣にそのものにキズがないか、欠陥がないかを

   いやというほど探しますね、それは日用品のような簡単な品であろうと

   工業製品のどれも同じに見える品であろうと、そうしてました。

     一方、私(日本人)にはそうした習慣がないので、外側ぐらいは

   見ますが、チラッと見てなんともなければそれを買います。

     その点を、何度も何度も中国の友人・知人からそれとなく、

   或いは強烈に指摘して注意されましたが、これがどうして、なかなか

   直らないであります。

     ですから、逆に中国の方が今、日本へいらしてお買い物をされる際、

   日本製ということでの信頼感が先ずあって、安心して沢山お買いに

   なるのだと思います。

      私が「養壺」のこの文章で書きたかったのは、

    不良品をつかまされることに、必要以上に面子をもって拘る中国の人の

    様子でして、それを最後にちらっとのぞかせています。

      つまり、話題は誰も書かないようなつまらんお話ですが、

      その底に流れる中国の一般の人の様子などは、こうした

      日常の誰もが気にも留めないそんなところにヒッソリと垣間見える

      訳でして、あらゆる物事の真相とは、そんな大事件や誰かの

      偉業や、大々的なところにあるのではなく、

       日々の暮らしのなにげないところに本質は実は隠れている、

      と考えております。ですから、きっとこれからもそうしたくだらない

      誰も気にもしないそんなことを書き続けていくんだと思います。

      どうぞお付き合いください。

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