脆い日本の繁栄ー脆性的日本昌盛
されていた被災地の学校の
様子を写した写真です。
キャプションが「ダンボールで仕切られた教室」だったかな。
コメントは付いていなくて、これだけの紹介です。
この画はちょっと愕然とさせられます。
上の画ですと、見切れてませんが、この少し上の方まで写って
まして、そこではまた違う先生の授業がされている様子が透けて
見てとれます。
この一枚の写真が、日本の繁栄の脆さをとてもよく現して
いるようの思えます。
今回は、一度に相当の学校が被害にあっているようですから、
こうなんでしょうが、これが「モノあまり日本」の現状かと思うと、
ちょっと辛いですね。
この環境では勉強というより、集団生活の練習をしている
ようなもので、隣の話しているのも聞こえてきそうです。
多分この被災地の学校も3月11日前はそうだったと思いますが、
少子化で学校の教室は余り気味で、空き教室の他の利用方法を
考えなくてはいけない位だったと思います。
函館の小学校だって、すぐ前にある小学校も1学年で漸う漸う
2クラスを維持するのが大変なようですから、
教室はかなり贅沢に使えますし、普段使わない教室も幾つか
あると思います。
ですが、だからといって被災地から移り住んでくるわけにも
いきませんしね。
同じく被災地の病院だったと思いますが、
やはりスペースがとれなくて、お医者さんが診察中の話しもみな
筒抜けで、困ってる、というお話しをされてました。
繁栄の中にあって、何でもモノが溢れていて、何も困ることなど
ないかのような暮らしの如何に脆いかが思い知らされました。
電機がないと何も動かないのも知らされました。
まだまだ避難所暮らしの方の数が相当数おられて、
一ヶ月半にもなろうというのに、まだ、体育館の床に、廊下の床に
蒲団を敷いて休んでいたり、仕切りのない空間で暮らしている人が
多くいらっしゃいますよね、
日本に限らずでしょうが、
繁栄というのはこれほどまでに脆いものです。
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