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2011年4月26日 (火)

遺体収容に拘る日本人ー为什么这么拘泥?

496963841   震災発生から一ヵ月半、

  今だ減らない行方不明者の数。

  まだ続けられている、大規模な遺体の操作。

   中国の友人から、「もう既に一ヶ月を超えているのに、何をそんなに

   遺体を掘り起こすことに日本人は固執しているのか?」との

   質問を受けた。

    確かに。不思議でしょうね、外国の方には。

    何故?と訊かれると、はたと困るのだが、拘るんですね、執着と

   言ってもいいですが、それが日本人の民族性なんですね。

   こと、この震災に限らずですね、日本人は遺体を収容することに

  最大限の努力をはかります。それは並々ならぬものがあります。

   飛行機事故などで、もう恐らく遺体の損傷が激しく、収容したところで

  判別すら難しいでしょう、と思っても探すことを諦めません。

   船が遭難して、帰らない船を探し何日も何日も捜索隊が出ます。

  浜辺には何時までも何時までも迎え火が焚かれます。

   山で遭難しても、春を待ってでも再び遺体の捜索に入ります。

   戦争で亡くなられた方の誰とも知れない、遺骨を持って帰り弔いたい

  と毎年の様に嘗ての戦地を訪れている人もいます。

    と、いうように日本人にとっては、亡くなったことが分かっても、

  その遺体を収容したいとの願いが強く根底にあります。

    ですから、すでに一ヶ月半を過ぎてなお、諦めようとはしません。

    これは民族の問題です。

   誰もがそうすることを余り不思議とも思わず、遺体と対面できずにいる

   人たちのことを思えば、そりゃぁもう、多少の放射能危険区域だって

   そのままにできず今捜索に入っています。

    不思議でしょうね、恐らく。理解できないでしょう。

    他の国の方にとっては。

    先のニュージーランドの地震で、日本人が多く犠牲になったあの

   放送センターだったか、あの現地の捜索が日本と違い嫌に遅いなと

   思えたり、当地の発表が何故か情報が少ないのと遅いので、この国は

   どうなってるんだ?と思ってましたが、

     あれも又、日本ではそう思えても、ニュージーランドでは極々普通の

   対応だったのでしょうか。

     国が違えばそういうものなのかも知れません。

     今回の被災地は瓦礫の山ですし、もう時間も経ってますから、

    他の国でしたらもう大型重機が入って地面を一度にならし、

    どんどんそうした作業をしていることでしょう。

     それなのに、日本からの映像は今だ、

   放射能で危ないというその地域を、一人一人が棒をもって

   遺体捜索をしている画が報じられていますから、

   確かに驚異かもしれません。

     不思議の国、ニッポン。

    でもそこにこそ日本人の心があるのかも知れません。

    家族を亡くされた方々の、まだまだ諦められない気持ちを誰もが

    それはもう・・・・とは言えない、言ってはならないと思っている

    日本人の心がそこにあると思います。

      だから、最初の「何故・・・?」に答えるものを私はもてなくて、

    「そこは理屈じゃないんですよね、 不为什么・・・ 」としか

    答えれなかった。

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