« 被災地の中国人たち、-災区的中国人 | トップページ | まだ復旧に手がつかないー談不上着手回復工作 »

2011年3月25日 (金)

軋む地球、今度はミャンマーで・・-地球発出吱吱嗄嗄的响声

Zhenzhong1  東北被災地をまだ、時折、普通だったら

 それだけで大きく取り上げられてもよさそうな

 強い強い余震が時折襲っている。

  そう思っていたら今度は、

   緬甸ミェン・ディェン(ミャンマー)に7・2の地震が。

   泥石流(土石流)で昨日の時点で50数人の方が亡くなっている。

    中国は、雲南省から距離にして80キロを隔てているだけので、

   いち早く大きく取り上げ報じている。

    今まさに、どうも地球が、

    地球そのものが吱吱嗄嗄ヂィ・ヂィ・ガァ・ガァと

    軋むおとをたてているかのようだ。

    こちらも普通だったら、大ニュースになり、世界中から救援の手が

    伸べられそうな大災害だ。

      今日の朝刊を見ていたら、日本そんなニュースは何処にものってない。

    テレビでも何処かではやっていたのか知れないが、私は見ていない。

      日本はそれどころじゃない。

      今度は実際に被爆した人の問題。核汚染の問題に恐怖している。

     かなり以前に、何の話だったか、人間は一つくらいは「恐れるモノ」を

    持っていた方がいいんだ、と書いた。

     それは卑小には、一般の地位ある沢山の部下を従えているような

    そんな男性でも家庭に帰ったら奥さんが怖い、とか

    何も恐れるようなものが無い人でも何かしら一つは恐れるものを

    持っていて初めてその人の暴走を抑えるという意味でも必要だし、

    その方が健全なんだ、そうある方が謙虚になっていい、

    といったようね論調の文を確かここにも書いた。

      その考えは今も変わっていない。

     そういう意味では、人類もそしたモノを持っているべきだ。

     そうないなら、人類は人類で自らの力を過信し、必ずよくない

    方向へ走るであろう。

      畏敬の念を持てるものが誰もが必要だ。

      そして、人類にとってのそれは、「自然」だ。

      「自然」にはどうやったってかなわない。

      「自然」は我々に、人工的なものが如何に弱いものであり、

      ニセモノで、カリソメのものであることを時にその力をもって

      これでもか!と知らせてくれる。

      それをわれわれは自然災害と呼び、それにはなすすべも無く

     甘んじてそれらを受け入れてきた。

      受け入れるよりない。

      ずっとそうしてきた。

      自然がわれわれの行き過ぎを正し、われわれの過ちを

      気づかせてくれた。

       もし、今回のこの大きな災害もそうであるならば、

     わたしたちは十分にそのことを知ったし、知るべきだ。

     もう十分だ。われわれは、十分にそのことに気付いたし、

     いま反省もしなくてはならない。

       だから今願うのは、どうぞもう、十分に分かったので

     これ以上は苦しませないでくれ、

       ということだ。

       少し、われわれの側にも傷を癒し、

       ゆっくり振り返る時間を与えて欲しい。

       せめて、被災地の人達に安息の時間を!

     と今は祈るばかりだ。

                    2011年3月25日

               東北地震発生から2週間目の日に、

|

« 被災地の中国人たち、-災区的中国人 | トップページ | まだ復旧に手がつかないー談不上着手回復工作 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 軋む地球、今度はミャンマーで・・-地球発出吱吱嗄嗄的响声:

« 被災地の中国人たち、-災区的中国人 | トップページ | まだ復旧に手がつかないー談不上着手回復工作 »