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2011年3月24日 (木)

被災地の中国人たち、-災区的中国人

Sn20118207493624d8a8710c8c241   地震発生から13日。

  原発事故の影響で、野菜もそうですが、

  絞りたての牛乳を泣く泣く捨てる酪農家。

   この画は中国のネットでも紹介されています。コメントも付いてます。

   前にもお話し致しましたように、日本で報道されている情報はほぼ

   同時期に向こうでも報じられ、一般のテレビニュースなどでは

   その扱い時間は徐々に短くなってはおりますが、ネットなどを利用

   すればリアルタイムで同じ情報をほぼ同じ量だけ国は違い、距離が

   あっても共有できる、今はそんな時代です。

    ただし、この「新聞シン・ウェン」(ニュース)を受け、政府も取り続け

   なければ大丈夫と言ってるのに何で??の理解不明の反応が多く

   ありますが、それは、私だって理解?してるわけではないので、確かに

   何で??だし、これどうなってるの?は私にだって分かってないから

   中国の人に分からんのは無理も無い。

     どうよ日本の品質管理みたいなコメント見たが、これはちょっと

   それに当らないだろう。品質管理より、核管理が出来てなかった方が

   ずっと大きな問題のですから。

     さて、昨日のお話の続きに戻ります。

   被災地の中国の人たちの、帰国の様子などをあらまし昨日書いた。

    で・・・本題に入る前にスミマセンまたちょっと・・。

   日本の新聞やマスコミも普段あんなにやれ中国人の「爆買」だの

   金持ち中国人の動向だの、日本が中国人に買われるなど、さんざ

   ついこの前で、中国!中国!!と騒いでたのに、今は自国民の被災の

   様子で手が回らないのか、こうした視点の報道は急に無くなる。

   分かりますよ、事情は分かりますが、私の言いたいのは日本って

   いつもなにをやってもみんな、みんな同じ事をして、同じ切り口の

   同じ方角からの報道で埋め尽くされ、何でそれで満足しちゃうの、

   という感じを強く受ける、ということにちょいと触れておいて、本題へ。

    東北地方の海岸線の町が今回の災害の最大被災地。

   これらの町は漁港が多いので、漁業はもとより、水産業が多く、

   そこに来て働いていた、中国人研修生がこの災害に一番近い位置

   にいたことになります。

     殆どそうした町、釜石・大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸・女川

    石巻・南相馬・いわきなどには中国のこれまたやはり東北地方、

    遼寧省・吉林省などから研修生がかなりの数おられました。

    会社がまるごとなくなったという研修生。

    それでもこうした研修生が無事だったのは、災害時何よりも

    他所の子を預かっているとの責任感から、それぞれの会社の社長や

    普段世話している人たちがいち早くこれらの子たちを批難させた

    からに他なりません。

    これまた、こうした命からがら?帰った中国研修生を追跡取材したり

    現地の報道機関でこうした点の報道をもっとしてくれればいいのに、

    帰るまでの騒ぎの割には帰ってからのこうした人たちの声がたまに

    ネット上で拾えるくらいで、決して多くはありません。

     一般の方は殆ど目にされる機会はないのでは。

     例えば、女川町の水産加工会社の研修生、大連の研修生たちは、

    自分達研修生仲間20人をいち早く批難させる為に呼びに来た専務が

    先ずは研修生を批難させそれから、引き返しえ二番目に家族を批難

    させようと戻った矢先の津波で、研修生が見ている目の前で波に

    のまれた。(戻ってからそれを地元新聞の取材に応じて話してます)

      ある会社では、研修生は言葉が分からないし、日本の津波の恐ろしさ

    など分からないので、先ずはこの人たちをと思い、避難させる為に

    わざわざ少し離れた所から戻り、辛くも災害は免れたものの危うく

    自信も被災するところだった。(ネットで日本人のこれらの対応を

    災害の怖いのもさることながら、一番印象に残ったこととして書いてます)

       被災後も、習慣が違うから何かと大変だと、先ずは研修生達を

    知り合いの安全なところへ移動させて、その後も自分のことを差し置いて

    中国大使館へ連絡したり、自分達の処遇をどうするかを第一に考えて

    くれた、日本人。

      自分達は何が何だかわからずただただうろたえている時に、

    なにかとテキパキと自分達の為に用意してくれた、近所の人や、会社

    の人たちの自分を顧みない世話に、余計涙が止まらない。

      今回災害でやむを得ず日本を離れることにはなったものの、

      こうした人たちを置いて離れたくはなかった。そして津波の地震の

      怖さも分かったがもっと分かったのは日本人暖かさだった、

     というような話しは、もっと取り上げられて良いと思うし、

     今回たまたま被災にあった地域の人たちが、そうだ、ということ

    ではなく、私は日本なら何処だってもうこうしたことになったと思います。

     もっと帰国したあとのこうした日本での体験を、中国の人達に

     語ってもらいたいし、日本でもそれを取り上げてもらい。

       これほど劇的被害でなくとも、海岸地域だけでなく、

    内部の農業地域にも、研修生はおりますし、酪農にも研修生は

    おります。

      日本で住む限り、地震を免れることはできない。

      そして、災害は何時来るかは誰も計れない。

      何時、何処で災害が起こっても、今日本では、

      その被災者は日本人だけではすまない。

      ここでも国際化?は進んでいる。

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