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2011年2月25日 (金)

中国映画 『唐山 大地震 』

   昨日この映画のことと、新西藍シン・シィ・ラン(ニュージーランド)の

  地震に触れて書きました。

   今日の話は実際の地震とは関係なく、こちらの映画に触れての

  お話しです。

Da_di_zhenこちらの映画、日本公開は3月26日だそうです。

ですので、まだ丁度一ヶ月ほどあります。

  手元に日本公開用パンフがありますので、

  それを見ながらちょっと紹介しましょう。

  日本公開も現代と同じで、

 「唐山とうざん大地震」となるようです。

                 -想い続けた32年ー

                「全世界が泣いた!

              引き裂かれた絆ー今、32年の時を経て

              再び重なりあう、家族の“運命”

    という、サブの謳い文句が付いてます。

      日本語版吹き替えに、相武沙季と、芦田愛菜が

    キャストされてるようでそのことが話題となってるようです。

    それで、まだ公開もされていない映画の話題で見ていない方には

   何のことやらでしょうが、映画の直接の話題ではなく、

     映画はご覧になっていただければ分かりますが、二つの大きな

   地震で離れ離れの家族が32年の歳月を隔てて再会する、という

   感動のドラマです。

      先日、中国語教室の皆さんとこの映画を鑑賞しましたが、

    私は授業の一環として映画を使ってますので、途中いろいろ話したり

    補足したりの説明を加えながらの鑑賞ですし、一応中国語字幕は

    付いておりますが、まったくの中国語世界ですので、ご覧になってる

    中国語教室の生徒さんにとっては、ストーリーを追いかける、字幕を

    見る、話している中国語を理解する、私の解説も聞く、という大変

    忙しい授業?でした。加えて、この映画150分くらいの2時間を越える

    長さでしたので、途中ちょっと早送りまでして見てますので、どうでしょう

    ちょっと悲しくなる暇がなかったかも。

     さて、私が今日この映画を取り上げたのは、

   そうした映画の本筋の悲しい物語とは別にもう一つこの映画を

   鑑賞する際ぜひこちらにも注目してください。

   この唐山で大地震が起きるその日が映画のスタート場面です。

    1976年7月28日。

     この1976年という年こそ、中国に激震が起こった年です。

     この映画を鑑賞する場合は是非その点もご注目下さい。

    この年、76年がポイントです。年が明けてすぐ、周恩来が亡くなります。

    地震が発生するほんの少しまえ、朱徳が亡くなります。

    地震後ほどなく9月9日毛沢東が死去、そして

    10月6日四人組が捕まり、実質上「文革」が終わりを告げる

    というこの年の模様を見るだけで、何となく激震が起きたのが

    お判りいただけると思います。

       そして、此処から正にこの映画のラスト四川大地震が

    起きるまでの32年。

      この32年ですね。これこそが現代中国、今の中国の

    変化の時代なわけです。

     新中国は今年62歳ですが、この半分32年。

      ということで、この映画の主人公達は正にこの32年の

    歳月の中の激変の物語といえます。

      映画のストーリーは引き金として、唐山地震があって、

    世の中が物凄い勢いで変わりゆくその台風の中のような

    32年の歳月をそれぞれが過ごし、32年後家族が再会するという

    そちらのもう一つのストーリーがこの映画にはあります。

      ご覧になる機会がありましたら、どうぞそちらの方にも

    この映画は語っているものがあるということを気をつけて

    ご覧いただけると更に深い映画となると思います。

      

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