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2011年2月24日 (木)

大地震

Da_di_zhen   こちらの中国映画、まもなく

  日本でも公開されることに

  なったようです。

   馮小剛フォン・シャオ・ガン

  例の道北を舞台にして大ヒット

  した映画「狙った恋の落とし方」

  (邦題)の監督作品です。

    機会がありましたら、どうぞ、ご覧になって見て下さい。

 

   先日、協会の中国語教室の

   皆さんとこの映画を鑑賞したばかりでの

   新西藍シン・シィ・ラン(ニュージーランド)のこの度の地震に

   驚いています。

    因みにこの映画のあらましは、1976年中国唐山での大地震で

   被災した家族のその後の物語です。

     夫婦と双子の子供の4人の家族が、1976年7月に

   父親を亡くし、男女の双子の兄弟ですが、弟は片腕を犠牲にし、

   もう亡くなったばかり思っていた姐は生きていて、

     先日の08年四川の大地震で偶然この兄弟が二人とも

   ボランティア活動で四川の現場に駆けつけていて、遭遇するまでの

   家族それぞれが心に傷を抱えてのその後のそれぞれの暮らしを描いた

   32年の物語です。

     映画では、まぁまぁ偶然が色々重なってまして、それがストーリーの中で

   重要な要素とはなっております。

     でも、こうした偶然はきっと、形を変えきっと沢山あるのでは、

   地震の及ぼすその各家庭への影響はそれはそれは、大きく、

   こうした物語が沢山できあがっていると思います。

     例えば、日本だって地震大国ですから、

     私の住む函館では、十勝沖地震というと、奥尻を襲った地震など

   大きな地震がありますが、この地震のあと、さきに移り住んで、

     阪神大震災の二つの地震を身をもって体験したなんてな家族や

   人がいても全くおかしくないわけで、

      これから起きるであろう地震のことも加えて考えるなら、

      どれだけこうした悲しい物語ができるか分からない。

      私が言いたいのは、地震こそ避けて通れない、

    そういう意味です。

      もう一つ、

     中国の映画「大地震」を最初の持ち出して紹介したのは

    この映画の中で、

      感動的なシーンはいろいろあるのですが、

      先に言った唐山地震で建物の下敷きになり片腕を失うことに

    なった、双子の弟の方は、その後中国の経済開放の波に乗り、

    旅行会社を自分で立ち上げ、社長になります。

      唐山から南の杭州という町で会社の社長となって彼、

      会社で仕事をしていると、地震があり、揺れます、

      社員は大変だとばかりに外へ飛び出したりの大騒ぎとなります、

      ところが彼は、

      「慌てるな!どうせ小さいな地震なら慌てて逃げる必要はないし、

       これが大地震なら走ったところで逃げ切れるもんではないんだから!」

    

    というセリフがあります。

     唐山の大地震を体験し自ら片腕を犠牲にして、家族を犠牲にして

     今ある彼のこのひと言は重いですね。

      考えさせられます。

       

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