中国 の 水
昨日、暖かいところから帰国したばかりでこんなに寒いのかと
思っていたら、どうやらそうではなく、寒波の影響で相当冷え込んで
いたようで、記録的に寒い一日だったというのを、夜にニュースを見て
初めて知り、どうりで寒いはず、と納得しました。
「寒い、寒い」を連発しておりますが、私だけではなかったんだ。
帰ったばかりで、まだ、身体がついていってません。
ご存知のように、中国と日本の時差は1時間。その点では、たったの
1時間ですので、“時差ぼけ”は無いのですが、
広い中国から戻りますと“地域差ぼけ”と、“文化差ぼけ”に見舞われ、
まだそれが解消されずにおります。
これ、けっこう“時差ぼけ”よりも意外に厄介です。
旅の話を少しずつ紹介して参ります。
今日は、「水」の話です。
ここでいう「水」は、とりもなおさず、「水道水」の「水」のことです。
これまた中国の「水」はそのまま飲めないのは有名ですが、
明らかに日本とは、「水」の質が違います。
「水」はある意味、あらゆる生命体の基本中の基本ですので、
「水」が無いところに人間の暮らしはあり得ない。
よい「水」のあるところに、暮らしがある。
現代、「水」はほぼ「水道水」を指します。
どの国もそうですが、処理され安全といわれる「水道水」で我々は
暮らしています。
また、どの国もそうですが、都市部、特に大都市においてはその汚染や
化学薬品の処理の加減でしょうか、不味い「水」が多く、明らかに強い
薬品の臭いが感じられます。
その点ではどの国も同じようなものですが、
あまりこうしたどうでもいいことを書く人がいないので敢えて書いておきたい
のですが、日本の「水」は素晴らしいです、それは単に暮らして馴染んで
いるからそうなんだ、という範疇を超えて、素晴らしく、天然の利というか、
自然に感謝しなくてはいけません。
さて、今回の旅行、
私の住む、北海道の最南端・函館と言う町から、中国へ抜けるのに
函館は国際空港を持っておりまして、周3便でしたか韓国への定期便
が飛んでおります。この便を使って、韓国での乗り継いでの中国入り
という方法をとりました。
地方都市に住んでおりますと、東京・成田、羽田などへの移動の
距離・費用を考えるとこれがかなりの負担になりますし、特に冬季間の
移動は天候の思わぬ影響などもあり、その点も考えますと、地元から
出て地元は入りが、楽ですし安心です。
加えて折角ある地元の便を利用しておかないと、何時また減便や
廃便になるやも知れませんので、利用率向上に一役買うためにも、
この方法が良かろうということで、函館→仁川→上海のコースで
中国入り。これはその日のうちに中国に入れます。
私の場合は、函館空港は市街地から近いので、10時過ぎまで自宅
にいて、それからやおら出発しても、その日の夜には上海に着いて、
ホテルに入った時間が少し遅いですが、それでもその日のうちにはもう
中国に到着できます。
さてさて、「水」の話ですが、
上海は、それこそ大都市です。東京よりも多い人口を抱える大都市。
ここの「水」はいけません。飲めないのは勿論のことですが、薬品の
臭いがしていますし心なしか色がついているようなそんな酷い「水」です。
ここから、南のアモイという町へ移動。
このあたり、急激に「水質」がよくなる。
良くなったとはいえ、上海に比べての話ですので、
その海岸線をつぎつぎに移動し各都市を歩いてますが、
意外だったのは、復路で、上海に近づく為に、杭州へ入ったら、
この町は有名な、西湖シー・フゥと呼ばれる、湖をかかえる、
水の都と思っていたら、存外「水質」は酷いものでした。
そういえば数年前に西湖の汚染が余りに酷く、湖水をさらうという
大湖水清掃工程をやっていたニュースを見てましたから、汚染の
度合いが酷いのでしょう。
それで、また上海へ戻り、
人間の感覚が素晴らしいのは、「水」の感覚と言いますか、
我々は、皮膚感覚で「水」の良し悪しが分かるんですね。
というのは、帰路でまた韓国経由ですので、
韓国のホテルでシャワーを使った瞬間ですね、
あぁ「水」が違う、というのがすぐにもう分かります。
全く違います。「水質」がもうまるで違います。
頭で感じることができます。シャンプーの効きもまるで違います。
この国(韓国)も「水」事情が結構いいんだな、と分かりました。
とにかく、中国の「水」は酷いものでした。
これは、別に中国のせいでもなく、たまたま自然がそうなっている
だけで、日本はそうした自然環境に恵まれているということに外なり
ません。
で、私の結論ですが、
日本の「水」は素晴らしい、ということですね。
これって、世界に誇っていいくらい素晴らしいことです。
普段そうした点に気づくことは少ないのですが、感謝しなくてはなりません。
で、この素晴らしさを享受できるのも、
自然環境を壊さないことが条件だと思います。
ですから我々に今出来ることは、この自然を壊さない努力が
大切だと言うことだと思います。
ついでですが、「水」が違うと、
その「水」で育つ作物が違います、
その作物を食べている、家畜も人間も、「水」によって違ってきます。
「水」が全ての基本となります。
「水」をもっと重視しなくてはいけないという思いを強くしましまた。
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