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2010年9月15日 (水)

中国・大学生との交流を振り返って

  最近、本当の時間の経つのが速く感じられ、何でもアット言う間なのですが、

  昨日は、先週函館へいらした「北京師範大学珠海分校」の学生との写真を

  今整理していたのですが、彼等・彼女等がお帰りになってアット言う間にもう

  早くも一週間がすんでしまったことに驚いてます。本当に早いです。

    札幌の内藤敬先生が、指導している弓道部のみなさんは、

  改めて日程表を拝見しましたら、8月30日に日本へ入り、函館へいらしたのが

  9月7日でしたので、どうしてなかなかの長丁場での各地の国際交流をこなして

  きた生徒さんたちは、若さゆえでしょうか最終地の函館でもとても元気でした。

   この学校、前に書きましたが、「分校」という名から我々が想像するような

  小さな学校ではありませんで、とてもとても日本人が想像する分校とはBnu31   違いまして、内藤先生のお話ですと「分校」に2万人の生徒さんがいらっしゃる

  そうですから、これに大学内には職員含め様々大学関係のお仕事の人がおられ

  ますので、上の写真で見る緑の多い山間の地にこの大学はあるようですが、

  恐らく色々加算すれば3万人規模くらいの大学関連の人口が此処にはある

  のではないでしょうか。

    上の写真を見て、初めて、函館山での俯瞰の両側の海を見て感動して

   いる理由がようやく分かりました。

     

     函館で持ちました交流会には、函館日中中国語教室の生徒さんにも

   参加していただき、それぞれのテーブルで話が弾んでいたいたようですので

   それぞれまた違った感想やエピソードをお持ちでしょうから、何処かでその

   お話も伺いたいものと思ってはおりますが、先に此処の私の個人的な感想

   を書かせていただきます。

     何年もこうした交流の活動を手がけておりますので、それなりに慣れて

   はいるのですが、毎年、また年毎に中国のこうした若者達にも変化は現れ

   ています。

     今回の訪問団の生徒さんたちで言いますと、何人かの学生は今回の

    訪中が2度目と言う方がおられました。先に家族との旅行で日本へ来た

    ことがあるようです。数年前には考えられません。学生が訪日する形その

    ものも、今回のような訪日団を組むことすら難しく、概ね政府系の何か

    公式の訪問団一員として訪日するのがせいぜいでした。

      それが、今回のように「弓道部」というかなり狭い範囲での交流団を

    組織することができ、且つそれに入って交流できるようになったこと、

    交流に来る経済的な負担ができるようになったこと、交流先に一般の

    団体や家庭(ホームスティ)や自由な活動が出来るようになった点などに

    ここ数年での変化を見ることができます。

      更に先に述べましたように、この交流訪問の前に個人的に訪日して

    いる人が一人二人ではなくいらっしゃるという、自己紹介の挨拶でその

    事を知り、そういう時代に入ったということを改めて認識させられました。

2fad92d62b1e9704b01_2  (こちらは、「北京師範大学珠海分校」のキャンパス。)

 全員にお聞きしたわけではありませんが、また、全員が

 広州の近くの出身というのではないことは最初から分かり

   ます、それぞれ中国各地から郷里を離れてこの大学に入って勉強されて

   る訳ですが、どうでしょう、8割の方が広州出身者、あとの2割が他所の方

   という感じですが、まあ出身地は何処にせよ、ご両親の負担が今の大学は

   以前と比べると大変ですね、経済的にかなり余裕がないと子弟をを大学

   教育につかせることができない状況にあります。

     広州出身者同士では、学生達の会話も広東語に切り替わります、

   但し、広州以外の学生さんはこれに参加できません。

      もう一つお話で気付いたのは、コンピュータ関連の勉強をされている

   学生さんが多いようで、ソフト開発、デザインの方へ将来は進みたい、また

   4年生ですともうそちらへの路が決まっている方もおられたようで、中国の

   この方面の発達の早さ、それを担う若者をこうして各大学がつぎつぎと

   排出していくのでしょうから、これからの中国は更にこの方面での力を

   発揮しそうです。お話しを通してそんな感じを受けました。

     沢山の愉しいエピソードもありますが、

    一つだけ代表で次のような話を紹介しておきましょう。

    日本語がお出来になる方もいましたし、簡単な日本語なら困らない方

    もおられました。また全く日本語が通じない方もいました。

     通じない方のほうが多かったのは言うまでもありません。

     その中でかなり日本語が出来る方の一人、多分相当日本文化についても

    知識も持っているでしょうし、よく知っている。そんな彼女の街を歩いている時

    の質問が一つ印象に残っています。

      元町付近を散策していて、住宅街を通り抜けてバスに戻ろうとしていた

    その時、彼女は

      どの家にも外にあるあの大きなタンク(タンクという日本語を知らなかった

    ので、大きな缶、と言っていた)は何ですか? という。

      石油のホームタンクです。南の地方の人たちですので全く冬の生活を

    知らないこの人たちは、暖房という概念が無いので、説明が大変です。

      ストーブの説明(中国は暖気ヌゥアン・チー、といって北でも集団暖房

    が基本で建物全体をスチームで暖をとるのが一般的だが、それすら

    あまりご存じないこの方達)。各戸にある暖房設備と、それが石油での

    暖房で、それを(石油を)一度に買って貯めておくための缶、との説明

    と、あの缶から管がでていて地下を潜らせ家の中に引き込むようにして

    いると説明。此処まででも彼女の矢継ぎ早の、何故?何故??の

    質問に答えるのに結構大変でした。

      初めてあんなに熱心に、石油ホームタンクを説明しました。

     まぁ半分は楽しかったですけど、なかなかどうして大変でした。

     

     もう一つ、今回の団に、アメリカサンフランシスコ出身の

    学生ではなくこの大学で講師をしている男性が居られました、

    彼の印象も強くて忘れられない交流となりました。

     彼は日本にも6年いたらしく、ちょっと怪しい関西訛りの日本語と

    中国語と英語を話し、それぞれの国の文化理解も深いし、まだまだ

    日本文化にも興味があるようで、アメリカ人特有のユーモアをもって

    先頭になって話を盛り上げてくれるのでとても助かりました。

      写真の整理を終え、あちらでも必要ならこれらの写真を送りたい

    のですが、うっかり学生の誰かのメールかQQ番号を聞いておくのを

    忘れていました。内藤老師のは分かるのですが、

     交流会に参加された方で、向こうの学生のアドレスをご存知の方

    教えてください。

       楽しい交流の想い出がまた一つ増えました。

       ありがとうございました。

                           函館日中友好協会

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コメント

なかなか仕事の都合で教室にいけないのですが、二人にアドレスを書いてもらっています。先生への連絡先がわかれば送ります。

私も今回ホテルまで車で送るときに、一人の子が(日本語が話せるこでした)「うちの車はトヨタ、デジカメはソニー、テレビはパナソニック」が言っていて、とってもとっても驚きました。昔の人民服を着て自転車にのってるテレビのイメージとか、中国映画の「覇王別姫」なんかのイメージが強いもので。

投稿: 本庄敬子 | 2010年9月17日 (金) 13時28分

 謝謝、同学!太好了、那、下次来上課的時候、
 請告訴我就行了。
  参加、那一天的活動、Nin覚得愉快口馬?
 希望Nin過得愉快。
 同時、感謝参加我イ門的活動、
 祝Ni学習進歩!!

投稿: 函館日中 | 2010年9月19日 (日) 11時40分

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