哀悼の 8月15日 甘粛省・舟曲県
昨日、8月15日は、
日本では、65回目を迎えた終戦記念日で、
中国では、一週間前に起こった、舟曲県大規模土石流災害で
亡くなられた方、被災された方への追悼の一日となった。
08年の四川大地震、10年春の清海省地震、そして今回と
天安門広場に半旗がひるがえる結果となった。
またも中国の各紙新聞は一斉に白黒紙面となった。
こうした、舟曲と似たような地形で、同じような災害が予測される個所が
中国にはまだまだ沢山あるという。
国土が日本の26倍もある中国あっては、単純計算でも、日本のような
河川の災害が、同じ条件でも26倍もあることになる。
気象が今年のように極端な大雨が一時にドットふるようでは、その危険性
が更に増すことになるのは素人でも分かる。
今回の個所が危険だと数年前に予測していた、
という事実も。予測の範囲でいうなら、中国にはそうした個所は五万と
あると言っていいだろう。
だろうが、日本だって、人が暮らすその
場所がどうしても水辺から離れられない
ので、河があり、後ろに山が迫るそうした
地形のところに一体人類の何パーセント
の人たちが暮らしているのだろうか。
そうかといって、都市に人々が移り
始めている中国。それが良いのかどうかは
分からない。都市部でもすでに人口問題がさまざまな歪みを奏でている。
災害が無くならない。出来れば災害のない世の中を作りたい。
気象がコントロールできないなら、気象に合わせた生活が望ましい
のだが、近年、その気象の変化が我々の予測を超えた更にその
上をゆくような激しさで、襲ってくる。
人間はただただ、悲しみ、哀悼をするよりないのだろうか。
昨日の哀悼の日の、もう一つ、
戦争も無くならない。こちらは、人類がなくそうと思えば無くせるはず
なのに、無くならない。今も地球上の何処かで戦争が。
日本は深く反省し、二度と再びその過ちは繰り返さないと誓う。
もっともっと、声高にそのことを世界に知らせるくらいの大きな声で
日本は自らの侵した過ちを発信する必要があるかと思う。
如何に戦争が愚かで、戦争が悲惨であることを。
いまいま、戦争をしている国にその声が届くとよいのだが。
昨日は哀悼の一日となった。
哀悼がただただ悲しむだけの日ではなく、
この過ちを繰り返さない、そんな誓いの日でもあって貰いたい。
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