漢字(固有名詞)の読みについて考える⑤ー「本日は晴天なり」理論
しつこい!と言われそうなので、今日で止めます。止めますが、
止めるにあたって少し、この数日のお話を整理させていただいて、
この話題の最後にします。
この話題は、私は、「本日は晴天なり」問題、といってます。
「本日は晴天なり」はもうご存知でしょうが、よく私などは小学校の運動会の日
などにグランドに設置されたマイクに向かって、校長先生がマイクの音声確認
の為に、その日が今にも雨でも降りそうないかにも・・の日であっても
「あ~、あ~、本日は・・・」と、やるわけですね。
これってご存知の通り、元々は、英語でそう言えば、小さい音とかツマル音とかの
確認になるのであって、「トゥディー・・・」と言って初めて意味があるのに、そのまま
日本語にしちゃった、というやつです。
方法は違うのですがこの間違い方が、私にいわせれば「本日は晴天なり」理論
でして、そのまま習慣として定着してしまい、変えるのがむずくかしくなっちゃって、
校長先生のような見識ある方にして、曇り空なのに「本日は・・・」とやってる
可笑しさがある。
同じように中国の地名や、人名の自国勝手読みはこれと同じに思える。
それで、整理しますが、
まず、この問題は多くは中国と日本の間にあります。
それは漢字で互いに理解できるという点が利点でもあり邪魔もしてます。
そこで、私の提案は、固有名詞を全部なんとかしようとするとこれまた
大変なのでして、何処までやるかの範囲も含めて、例えば、文学作品はどうしょう
とか、曲名はどうしょうとか、どんどん広がりを見せそうですので、
とりあえず?人名と地名に限定し、これを音を現地読みも添える
形にして貰いたいと思っています。ですので、漢字が先にあって構わないわけ
でして、地図などでは、先にまず、北京と漢字の表記をしておいて、私たちは
ペキンと読んでるがカッコ書きで(ベイ・ジン)として貰えないか、
さらにこの ベイとジンの間の・ですね、これ欲しいです。その漢字の読みが
何処までなのかは中国語を解さない人には分からないのと、変な所で
区切られちゃうとこれまた、可笑しな具合になってしまいますので。
同じように中国の教科書や地図帳には、東京を記して、ドンジンと読んでるのを
(TOKIO)と音を補完したい。
次ぎの問題で、ある種の中国語音は、カタカナでは表現しきれないものが
あることを前程にこの音はこのカタカナ、この後の伸ばし方はこういう表記法
という基準を作らないことには、中国の音にしてからが、
(ズォン・ゴォ)なのか(ジォン・グォ)なのか(ヂォン・グゥォ)なものか、
中をどう読み、国をどう読むかの規準が必要。どれも外れていてちょっと
違和感があるが、これは慣れの問題でしょう。
私が子供の頃はベートーベンでよかったが、ヴェートーヴェンのような
ウに濁音がつく標記などなかったから、それで良かったのだが、きっと
どうやったって、この音は表記はできないのでしょうが、それでもその努力は
惜しまない。
中国の人たちが、表記のはこのカタカナがないので、最近では中国でも
学校でもピンインといって、アルファベットの表記で漢字の音を取るようになって
きていますので、それを活用するしかないでしょう。それでも促音や、ある種の
音は中国の人にとっては悩ましいでしょうが、こちらもお互い様です。
最低まずはこの辺のところまで、共通のものを持たないと、やっても
意味がないです。
地図でいうと世界中のほかの国はカタカナでの表記になりますが、中国と
韓国、日本のところは漢字表記でいいのです。表記はそこだけ漢字が先になり
後にカッコ書きでカタカナ表記の音を採る。
同じようにお名前も、先に漢字名を記し、その後にカッコ書きでの現地読み
があれば、そしてこの形が定着するなら、後のカッコの役割を直ぐに習慣的に
認識できるようになるでしょうから、そう時間はかからないと思います。
さて、問題はこれは何処から、誰から、始めるべきかという問題です。
私はこちらも緩やかでいいから、始めれるところから、始めればいいのですが、
そうはいってもいつかは正式な、共通の読みや表記方法の基本をもたなくては
ならないので、そうした機関が係わることにはなるのでしょうが、
新聞社がもし始めれるなら、自分の範囲で係わる中国政治家や地名の
ところから手を付けていただくのは賛成です。
その際、まだ共通の基盤がありませんので、多少その読みや表記に
不満があっても暫くはそれを見守り、たたき台として、今後の参考にするだけの
許容を持たなくてはなりません。
新聞社はプライドが高いのでこうした点を批判されると直ぐにも止めて
しまいますので多少暖かく見守りましょう、みなさん。
教科書は、とりあえずその業界のところだけでも共通のものをもてない
ものでしょうか、A社とB社では同じ所が違う読みは確かに困ります、また
それ勉強しようというのですからなお更のことです。
今日もちょっと書くと長くなってしまいました。
どうと言うことはないのですが、そろそろ「本日は晴天なり」の可笑しさに
気づき、対処を方を考えていただきたいものです。
やれやれやっと終わった。
(実はまるで終わってませんけど。)
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