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2009年12月27日 (日)

這一年里、承蒙多方照顧、謹向各位表示衷心感謝ー函館日中友好協会

  今年一年、各方面に渡りまして、日中友好協会に賜りました

  ご協力・ご支援に心より感謝致します。

    ありがとうございました。

   毎年同じような活動を続けております。なかなか新たな活動まで

  踏み込む力がなく、今後の課題も山済みですが、

  今年一年も無事活動を終えることが出来ましたことは、みなさまの

  支えと協力がなくては成しえません。

    すでに協会が開催している中国語教室はもう20年も迎えるように

  なりました、一つのことをしてしていて、それが何であれ20年もの

  長きに渡って続けてこれましたのは、ひとえに支えてくださった皆さん

  のご協力があってはじめてなされる事であり、年の終わりの機会に

  この場を借りてお礼申し上げます。

    今年は新に料理教室に取り組むことが出来ました。

    来年も継続して取り組んでいけるように務めてまいります。

    新しい年が来たからといって、

   活動が飛躍的に伸びたり、急にしぼんだりすることは無いと思いますが、

   どうぞ、来年もよろしくお願い致します。

     このブログも年末年始お休みをいただきます、

   今年一年のご愛読ありがとうございました。

   来年は、何日からになるでしょう、今のところちょっと予定が立っておりません

   偶に覗いてみて下さい。

    では、みなさんどうぞ好いお年をお迎え下さい。

             函館日中友好協会

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2009年12月26日 (土)

09年今年一年の、函館での日中交流

  函館は今日は風と雨の、天候です。

  雪になれない雨は、先日の雪の嵩を一気に減らしそうです。

  今年一年を振り返って、日本全体の動く、北海道の動き、と

  見てまいりました。今日は、私が住む道南・函館のこの一年を

  振り返って見てみましょう。

   ここ数年、在函の中国人留学生の数は、ほぼ毎年のようにその

  数が増え、毎年数の上で過去最高というのを記録しております。

   これは留学生の数ですので、当然それを受け入れる受け入れ先の

  大学の問題でして、大学の数は増えているわけではありませんので、

  これまでと違っているのは各大学が数年前から中国側に姉妹校を

  持つようになり、その活動の一端として留学生の受入をしていることに

  あります。姉妹校交流の成果といえます。

   受け入れ側の大学の体制によって、その留学の期間、時期、人数が

  まちまちですので、以前はほぼ函館市内に留学している中国人留学生

  の名前も顔も把握できていたのですが、最近、知らない間に来て、何か

  のパーティーなどでお会いして初めて分かる、ということが珍しくなくなって

  まいりました。

   更に、函館が面白い?のは、市内に対中国との交流をその活動の主体

  に掲げた友好団体が複数ありまして、それぞれの活動を独自にしている

  点にあります。

    私どもの「函館日中友好協会」は全国組織で、上部団体を持ちますが、

  ここ函館単独の活動をされておられる団体も複数ございます。

   例えば、私ども団体で交流の催し物をして、在函の留学生をご招待する

  ときなど、現在の数ですと、もしご招待して全ての留学生が一時に参加する

  ようなことがあるとすれば、30名を越しますので、日本人の参加人員より

  多くなったり、さらにこの招待者分を負担する会の経済上の問題などもあり、

  以前より、年末・年始やお花見や、同じような時期の同じような交流活動を

  各団体でばらばらにするのではなく、一緒に共同開催できる部分は一緒に

  できないものかと呼びかけております。

    縦割りの交流だったのが、以前よりは多少よくなりましたが、まだまだ

  横の結びつきが上手くゆかず、この点は今年、幾つかの活動で改良が見られ

  ましたが、今後もまだ必要と考えておりますが、なかなか団体の開催時期や

  負担の割合や、担当分担などの面での問題を残しております。

   更に、函館にもここのところ急激にその数が増えているのは、時折買物を

  しているスーパーで擦れ違う中国人研修生の人たちの様子からも分かるの

  ですが、その総数、一体どれ位おられるのかや、何処に何名の研修生が

  いらっしゃるのか、その実態も分からない状態で受け入れ側の会社との

  問題もあり仕事との関係もあり、こちらからたとえば交流を呼びかけ

  ても上手くゆくのかどうか、また呼びかけそのものも受け入れられるものか

  まだ、試しておりませんし、どう方向付けるかも組織として話合われており

  ませんので、今後の課題としておきます。

    函館市内にあったホテルオークランドがその営業を辞め、また一つ

  ここにあった中華の専門店が姿を消しました。以前あれほどあった中華専門店

  が急激に少なくなり、今ではホテルに入っている中華部門のお店と、何店かの

  お店があるだけとなり淋しい感じがします。

    中華料理そのものに人気が無くなったわけではないと思いますが、宴会も

  でき、それなりの専門的なお料理も楽しめるお店が少なくなりました。今年又

  一つ失いました。

    函館は今年、行って見たい観光地で一位に選ばれましたが、実際には

  観光客の減少に喘いでいます、台湾からのお客様の激減は、経済や先日

  の新型インフルエンザをその理由にしてますが、必ずしもそうではなくて、

  では、そのままその数だけ台湾の人が外へ出なくなったのかというとそう

  ではないのですね、つまり、無論総体も落ち込んではおりますが、それ以上

  に北海道へ足を運ぶ人の数が以前ほどではなくなった、これは何故かは

  考える必要があります。受け入れていた人たちを満足させて帰さなければ 

  次がなくなるということですね。

   新たな刺激として、大陸からのお客様に目を向けてますが、これとても

  同じことをしていては同じ過ちを繰り返すのみです。

   また先日来申し上げてますように、中国大陸への観光誘致は今のところ

  「東高南低」にあります。

    つまり、道東に注目は集まってますが、道南は知らせる力が弱いと

   思います。国内では日本一になりました、

   では、国内の人たちが行って見たいと思うその要素がそのまま

   中国の人たちをも惹きつけるかどうかは検証が必要でし、私は

   一致しないだろうと思ってます。違う面を見せ、違う点を打ち出す必要が

   あります。

     何度か申し上げておりますが、観光は、先ずどうやって惹きつけ

   認知して貰って、行きたい気を起こさせて貰わなくてなりません、

   更に今度は来ていただいたら、愉しんでも貰って、その楽しさを他に

   広めて貰いできればまた来ていただくような感想を持って貰わなくて

   ならないのは誰も気づいてます。

    施設もサービスも日本ではもうそれなりに出来上がってますから

  それで良しとしているようですが、それらのサービスなり様々なものは

  日本人に向けられて出来上がっているものでして、そのままでやって

  いけると思ったらそれは、少しそこから見直す必要があります。

    年末・道南森町で中国人研修生による殺人事件があり、驚かされ

   ました。こちらも先にも書きました、根本は違うところにあって、ただ単に

   その表面だけを見ていて、或はその表面のその個所だけに目が行きそう

   にともすればなりがちですが、それは問題の本質解決にはなりませんし、

   そこを手直しするのは、私の言い方ですと西洋医学的対処方でして、

   もっと、漢方的対処方法が必要だろうと思ってます。

    このことがあって始めて、森町というごく近くに、そんなにも沢山中国

   から来て生活している人たちがいることを知った方も多いのではないで

   しょうか。知らなかった。では、09年こういうことがあって多くの人たちの

   知るところとなった。知って何が変わったか?変わらなければいけないか

   は、今後の問題としてあるだろうと考えます。

    函館市立病院での「日中友好セミナー」が開催され、こうした各業種・

  各専門分野の会議などや、会議にこれから多くの中国の人たちが参加して

  くるのは間違いないのですが、函館にはそれに対応する大きな組織が多く

  ありません。ですが、小さくともそれぞれのセミナーや研究機関の会議、

  研修の場にこれからは中国の人たちが必ず参加してくることその数が

  増えていくことには間違いが無いので、この方面の交流も期待してますし、

  待っているだけではなく、そうして会合の場を提供して積極的に、誘致をし

  先ずは来ていただいて函館の魅力を売り込むことも大切と思います。

    函館での経済面での中国との結びつきはまだまだです。

  こちらもここ数年の変化で、私が期待しておりますのは、以前は対中国

  との関係での経済取引において最大に地方都市のネックは、その取引の

  ロットの問題にありました。取引はしたいが、その量がとてつもなく大きく

  中国側の要求なりコスト的に地方都市でさばける少量とはかけ離れ

  断念している企業なり、お店が多かったと思います。ですが、これからは

  コンピューターを駆使して更には個々人の細かな要望に応える形での

  少量の取引が成功するそんな要素が出てまいりました。

    となれば、函館のような小さな市場であっても中国との取引が成立

  する業種・品目が出てくると思います。そうした決して大きくはないが、

   中国との経済活動が成り立つそんな時代に入っていると思います。

   09年すでにもうそうした人や企業が函館にあるのかどうかまでは私には

  分かりませんが、そろそろ出てきてもおかしくありません。

    長くなりました。お付き合いいただいてありがとうございました。

   函館での中国との交流活動をそれぞれの分野での活動を振り返り

   私なりの感想も添えて書かせていただきました。

    これで3回に渡っての2009年一年を振り返って参りました、

   あと数日で、09年も終えようとしております。

    皆さんの今年一年の感想は如何でしたでしょうか。

    どうぞ、来る2010年が更に好い年となりますように

    心より願っております。

    明日でこの「函館日中友好協会」ブログもお正月休みに

   入らせていただきます。

    みなさん、どうぞ好いお年をお迎え下さい!!

    

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2009年12月25日 (金)

2009年の、北海道と中国 - 私的回顧

 昨日からこの一年を振り返って一年の動きと問題点を探っております。

 昨日は、全体的な動きを主に書かせていただきました。

 今日は、地域を限って、北海道との関係でこの一年を振り返ってみます。

   2009年になっても北海道との関係でこの一年を牽引してきたのは

  映画「非誠勿擾」の話題でした。

   この映画自体は07年の作品でしょうから、そろそろ此処からも抜け出す

  時期に来てはいますが、そのあとがないのと、映画とは別にそれを見た

  中国人観光客の話題などに移り、そこには時間差がありますので、今年も

  この話題が続いたのは理解できますし、更にこの後もあるのでしょう、

   ですが、もうそろそろその先も見据えておかないと、いけないのと、

  もともとは、この話題は、映画という文化面での交流を代表する話題で

  あったはずが、このあとのお話もそうですが、どうしても全ての話題は

  経済の問題へと摩り替わっていきます。

    北海道と中国の関係もまた、経済の交流、経済の話題が、その大部分

   をしめております。

    もっと文化交流があっても好いと思いますが、こちらはどうしても目立ち

   ませんし、広がりがその活動の場にのみ限られる欠点がありますし、

   話題として取り上げられることがすくない地味な活動ですので、致し方

   ないのかもしれません。

    北海道ブランドを中国へ売り込むために知事が訪中したり、道の拠点が

   北京に設置されるなど様々な動きがあったことはご存じの通りです。

    総じて言えることは、これらの動きは、映画で取り上げられる道東と

   札幌中心の道央の動きが大きく、私は道南に住んでおりますので、もっと

   道南も頑張って、と思っています。

    文化面での話題では、中国で稲作指導にあっておられた故・原正市さん

   の話題、来年になりますが中国現代美術作家の作品展が札幌で予定

   されていたり、上海で道内芸術家の作品展が開催されたりはしている

   ようです。もっと文化面での交流が盛んになることを願っております。

     経済の活動と、文化面での交流が、車の両輪のように回り交流が促進

    されることが理想の形と思っております。

     中国人研修生の問題が北海道でも大きな問題として、網走管内・興部で、

   音更で、道南・森町でおこりました。この点は昨日の全国の一年を振り返る

   中でも触れました、北海道の限らず全国どこでもこうした問題が噴出して

   おります。北海道だからどうだ、ということはないのですが、また、北海道

   が特別多いということでもないのですが、今後地域としてこの問題に目を

   向け、手立ての必要があると思います。

     この一年、北海道と中国の関係での動きで目立つのは、

   中国へ北海道を売り込め、或は、北海道が観光立国として成り立つ為の

   頼みの綱としての中国、という捉え方でした。

    当初、何もないところから動きを作る点では是で好いのでしょうが、

   これらはどうしても一方通行の交流になります、それでは長続きしない

   わけで互いに何か交流できる路も探るのが今後の課題となるでしょう。

     私の文化交流をもっと、というのもそうした双方向の交流がもっと

   形作られることを願っております。例えば、北海道の学生が中国へ

   修学旅行へ出かけ、中国からの修学旅行を北海道が受け入れるそうした

   双方向の交流が定期的にある広がりをもって行われるようになれば

   本当の意味で、中国での「北海道ブランド」が根付くと思います。

     2010年からそうした動きが少しでも増え、活発になることを

   願っております。

   

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2009年12月24日 (木)

回顧2009年的中国、私的中国この一年

  年の瀬もせまり、あちこちでこの一年を振り返っての記事を目にする。

 お定まりのこの一年の十大ニュースを目にする季節となった。

  そこで、

  ここでも、この一年の中国の動きを振り返って、書いてみようと思う。

 但し、他と同じようにただ大きいニュースを並べるのでは芸がないので、

 此処には、全く私的な、私の見た中国の2009年一年とする。

   細かな問題も整理して書いてみたかったのですが、まずは

   この一年・09年の中国との問題で、とりわけ大きな三つの点に

   私は注目している。その三つを上げてみます。

   2009年、中国の十大ニュースを拾うのは簡単だ。

  何といっても、中国は今年建国60周年を迎え、去年のオリンピック、来年の

  万博の間を埋める大きなイベントとしてこれがこの年の柱となった。

   

  壱・ 私がこの一年中国の一番の注目は、

  これは今年だけの問題では無かったのですが、

  中台接近、ですね。

   以前の中台のありようとはまた違ったグンと一歩も二歩も踏み込んだ

  この間の動きは、数年後この年を振り返ったときには、大きな動きの

  あった年として記憶されるでしょう。これは、どうしてもその時々の両国の

  情勢や要人や勢力分布などにも左右され、どちらかが上手くやろうと

  思っても必ずしもそうは動かないし、世界の情勢や経済との関係それまでの

  経過と経緯もあってほぼ偶発的に上手くゆくものなのですが、それが

  進んでいます。

   皆さんにそうした感じがあるのかどうかは分かりません。

   また、日本のマスコミはこの点を余り関係ないとみているのか、

   扱いも小さいですし、それを取り上げる評論かも少ないですが、

   09年を代表する中国の最大のニュースはこの中台の接近にあると思います。

   私などには分かりませんが、恐らくもう先の先を見ているまた見えている人が

   いて、この二国間の問題も決着へ向けて動き出している、そんな曲がり角の

   年なのかも知れません。

   弐・

   日本における外国人研修生制度の問題です。

   外国人研修制度は今のところこの制度の指す外国人のその殆どが

   中国からの研修生・実習生であることから、この問題は外国人というより

   中国人研修生と言い換えてもいいでしょう。

     この問題もこの一年に限らない動きなのですが、これもまた、この年

   大きく動く始めている胎動を感じるのですが、同じく日本のマスコミなどでは

   その問題が違った形で表面化したその時だけ取り上げておりますが、

   実はもうそういう段階ではなく、もっと根本的なところに目をむけ、対処を

   する必要に迫られているのですが、誰もが気づかないか気づかない振りを

   しています。

    今年になってその問題はそうとう顕著になってきているのですが、

   取り上げられることが少ないのと、取り上げ方が現象をなぞるだけのそんな

   扱いではこの問題は何時までも内在し、膨れ上がるばかりです。

     08年の数字で外国人研修生の過労死などによる死亡が34人、

     09年の数字は発表されておりませんが当然これを上回る。

     犯罪に到るケースは、大小の差もあって統計がありません。

    09年が顕著なのは、これまで日本を目指してやってきたいた研修生の

   質が中国国内の劇的な変動と共に変化したのと、日本経済の置かれて

   いる質的変動との狭間にあってこの問題が新たな段階に明らかに

   入り始めている年と私には思えます。

    参・三つ目は経済の問題です

   こちらを年度の問題と見るのはちょっと躊躇われるのか、どのニュース記事

   もそういう形で取り上げられませんが、

     最近の全ての現象はこの経済によっているところが大きいのでして、

   「中国富裕層」という詞が踊ってますが、この詞の反対にはそうでない層が

   いるということと、世界の経済に、60歳になり還暦を迎えた中国が躍り出て

   あらゆることに影響してくるという前兆の年として、この09年は記念すべき

   年として、記憶しておく必要があるかも知れません。

     この年を境に、中国は対日本との問題に限らず、世界中の問題に

    大きな影響力をもって、かつ大きな発言力をもって立ち上がってきます。

    そのことはもう誰もすでにどこかでうすうすは感じているのですが、

    09年を境に、今後は実感をもってそれを感じる段階に入るその

    ターニングポイントの年と言えます。

      つまり、この三つの大きな動きから、

    この2009年が、大きな曲がり角の年と言えます

   それは、数年後にこれらの問題が更に具体化し、具象化して

   そういえばあの頃から・・・

    と思えるそんな大きな力がすでに見え初めている年なのですが、

   どの報道も論説も、単に目の前の問題に驚き、怒り、喜んでますが、

   実はもっとこうした問題を取り上げても貰いたいし、

   そろそろ対処も考えなくてはいけないのですが、

    来る2010年、これらの問題に、気づき、声をあげ、動きを作る人が

   現れてくれることを望んでますし、その兆しがあるなら支援したい。

    どれも一両日には解決などできはしない、

   ですが、どれもそういう問題があることを認識しないことには

   解決への道はない、それに気づき初めてその動きがある、

   気づくのが早ければその対処はある、

   気づくのが遅ければもう対処といえない、

     そういう目に今一度この一年の中国とのニュースなり

   現象を改めてご覧になっていただきたい。

     全く私的な今年の中国の大きな動きを追ってみた。

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2009年12月23日 (水)

全日本中国語スピーチコンテコンテスト

Xiehui_tuann   日中友好協会 機関紙 『日本と中国』

   12月15日号より、

  来年1月10日に東京で開かれる協会主催の

 「第27回全日本中国語スピーチコンテスト」全国大会の出場者が

 出揃った。11月29日に実施したテープ審査で選ばれた「大学生部門」

 8人と「高校生・一般部門」12人の計20人が、日頃の中国語学習の成果

 を競い合う。各部門の出場者の顔ぶれやスピーチ題名などを紹介。

   今年は20の都道府県協会で地方大会が開かれた。来年で27回目を

 迎える歴史ある大会に出場を望む中国語学習者は多く、中国語の普及を

 目指す協会は全力をあげて準備に取り組んでいる。

   「大学生部門」は日本の大学・大学院に在学中の学生が対象で、

 留学の有無は問わない。「高校生・一般部門」は大学・大学院生以外で、

 中国語圏に継続して3ヶ月以上滞在経験のない者が条件だ。

  今回は4人の60歳以上が出場。過去2大会の高校生の優勝に待った

 をかけるかも見どころの一つだ。

  出場者たちは中国語を通じて、これまでの体験談や中国への重いなど

 をいきいきと力強く語る。

   また、スピーチのほか、ことしは新に「朗読部門」を新設。

  すでにおこなわれたテープ審査で「優秀賞」を受賞した6人が、

  全国大会当日に朗読を披露する。ーーー

  20人の出場者が写真とスピーチのテーマと一緒に紹介されています。

  大学生部門8人

 北海道代表  大串多恵子 さん  19歳 北海商科大学2年

 宮城県代表  森田  恵  さん  21   東北学院2年

 神奈川代表  本郷 良和  さん  24  横浜国立大学大学院1年

 愛知県代表  小西  俊亮 さん  21  愛知淑徳大学3年

 大阪府代表  相馬 裕子  さん  23  大阪大学4年

 奈良県代表  大西 善宏  さん  19  天理大学2年

 山口県代表  筒井 亮介  さん  22  梅光学院大学4年

 熊本県代表  林田 由希  さん  20  熊本学園大学2年

  高校生・一般部門12人

 茨城県代表  安掛 孝信  さん  68  無職

 埼玉県代表  道又 沙代  さん  18  高校3年

 千葉県代表  大原  梓  さん  17   高校3年

 東京都代表  田中 結子  さん  18  高校3年

 神奈川県代表小谷野晃一  さん  71  無職

 石川県代表  澤木  萌  さん   17 高校2年

 福井県代表  山口 大蔵  さん  18  高校3年

 愛知県代表  勝川 真琴  さん  52  会社員

 三重県代表  西井  正高 さん  45  歯科医師

 和歌山県代表畑中  昭子  さん 61  主婦

 山口県代表  石井 由利子 さん 61  市嘱託職員

 佐賀県大領  村上  祐紀  さん 15  高校1年  

    の20名が紹介されております。

  記事にも書かれてますが、ここのところ高校生が全国優勝をさらう

  という現象が起きておりますし、上の出場者をご覧になっても分かるように

  圧倒的に、若い方の代表出場が多くなりました。

    代表のレベルでこうですので、各地区の予選もどんどん若い人の数が

  増えています。その意味で中国の学校での取り組み多くなってきているのを

  感じさせます。

    この点では以前と反対になりました、以前は年配者の中に偶に

  若い方が入っていたのが、もう、若い人に偶に年輩の者が混じる状態と

  なったことは時代を感じさせます。

    このこととは直接関係ありませんが、

   いつもは新聞記事を見ていて、何の話題でも必ず登場した人名の下に

  カッコ書きで、その人の年齢が入るのを、何の必要があるんだろう、と

  思ってましたが、今回の記事は年齢が必要ですね、年齢を書いていただいて

  助かりました。

   スピーチのテーマも徐々に様変わりしてきているのを感じます。

   このスピーチコンテストは

  1月10日(日)10時30分から

    日中友好会館地下ホールで 開催されます。

    出場者のみなさん、頑張って下さい。

              函館日中友好協会

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2009年12月22日 (火)

中国にひろめる、弓道の交流ー札幌・内藤敬先生

Kyuudou 北海道・札幌の

 内藤 敬先生より、

 交流の記録冊子を

 お贈りいただきました

 ありがとうございます。

  今年の交流の記録

 を纏められたものの

 ですが、毎回お贈り

 いただき、ありがとう

   ございます。

  表紙の「立于時代的前端」時代の先頭に立て、

  の標語が物語るように、先生の中国青少年に向ける

  熱いメッセージが伝わってくる、交流の記録でした。

    文中から少しだけ抜粋させていただきあます

 --(前略)

    「先頭に立つ」と言うことは、人よりよい成績を取るだけでは、

  先頭に立てません。また、これまで時代が作ってきたものを、ただ

  利口に学ぶだけでは、先頭に立つことはできません。

   「時代の先頭に立つ」と言うことは「時代を作っていく」と言うことで、

  社会のあらゆる面で、率先して「先見的な創造力」を発揮していく

  ことです。

   「時代の先頭に立つ」ためには、時代のあるべき方向を鋭く感知する

  能力が求められるのです。

     ----(後略)

    まさに今中国はそのある時代を作る人たちが求められている時に

  あると私も思います。

   それは、さまざまな場での先頭に立つ人たちが必要であり、

   どんな小さな世界にもその「先頭に立つ人」が求めれています。

   そうした人材を見つけ、育てておられる内藤先生の活躍がよく分かる

  冊子でした。

   

    内藤先生どうぞ、今後とも健康に留意されて、

    ますますのご活躍を願っております。

    ありがとうございました。

                      函館日中友好協会

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2009年12月21日 (月)

函館日中友好協会・中国語教室、お知らせとお礼

  今年もあと残り少なくなって参りました、

  今日21日(月曜)が、今年最後の中国語教室となります、

  年末、28日と

  年が明けて1月の4日は、お休みとなります。

   どうぞよろしくお願い致します。

   今年も4月に始まりまして、早いものであと春まで3ヶ月を残す時期と

  なりました。

   今年一年、いろいろご協力いただきありがとうございました。

   来年もどうぞよろしくお願い致します。

   中級の教室では、

   朝日出版社刊のテキスト『中国語キャンパス』が間も無く学び終えそうです、

   副読本に使っている、「中国語で日本文化紹介」の方は逆にどうにか

   少し急いで春までに終える予定でおります。

    次ぎのテキストはすでに幾つか候補がございますので、前回もお持ち

   しましたが、今日又違うテキストを見ていただきます、

    どちらが好いかを相談しながら決めたいと思っております。

    年が明けて少ししましたら、この新しいテキストへ移ります、

   どうぞよろしくお願い致します。

   初級の教室では、

    只今、4月号から進んでNHKラジオテキストの6月号まで進みました、

   このあとの予定はそのままこのテキスト先を使用して参りますが、

    先生をしていただいている、留学生がそれぞれ春に向けて任期を

    終えてお帰りになる予定などもあり、

    今月一杯は、張先生が担当し、

    来月一月と二月は、刑先生が引き継ぎ、

    三月はまだ予定が立っておりませんが、もし新しく函館へ留学へ

    いらっしゃる教育大留学生が間に合えばその方にお願いするか、

    或は違う形になるのかまだ未定です。申し訳ございません、

    いずれにしても、今おいでいただいているお二人の先生は、この春

    までの留学予定でして、それぞれが、留学終了を前にして御予定が

    おありのようですので、四月までお願いしたいのですが残念ながら、

    それを前に他の方に受け継ぐ形のたると思います、

    どうぞよろしくお願いいたします。

     毎週毎週大変愉しく授業をさせていただいております。

   皆様のご協力に感謝いたします。

     また、来年もどうぞよろしくお願い致します。

Xiehui_tuann

  函館日中友好協会

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2009年12月20日 (日)

明天、二十一号是今年最后一次課、明年尚望多多幇助。函館日中

 今年剰下的日子已経不多了、

  年終即将来臨、

  我イ門的学習班、明天是今年最后一次課、

  明年可能11号開始、

    明年尚祈加倍賜予指導。

      函館日中友好協会

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2009年12月19日 (土)

『 在日新華僑 』50人の新中国人ー新刊紹介

Xinhuaqiao  『在日新華僑』

  東方通信社 発行

  ティ・エー・シー企画 発売

  09年10月発行、

  定価 1500円

  扉の画の右側にそのインタビューを受けた方の

  お名前が列記されておるのですが、残念ながら

   これでは見切れませんね。

     こちらの本は50人の中国人へのインタビューからなっております、

   そして、そのインタビューを受けた50人がみな在日華僑の方たち、

   という共通点をもっております。

    一般の書店には出ない、或は一般の方は購読されない、様々な

  専門誌や、地域誌、業界誌などには、実は必ずそうした新聞や冊子、

  雑誌の一つのコーナーとして、こうした観点でのインタビュー記事が構成

  されていることが多いんですね、実は。

    まぁ大体、ありますねこうした囲み記事が、連載となってそれぞれ

  読みきりの形で、ある人を取り上げたり、ある事象を取り上げたりの

  ものですが、さまざな分野で活躍される、人に光を当てるやり方は

  よく見られます。

     これとは逆に、中国で活躍する日本人へのインタビュー記事を連載

  している新聞・雑誌もあります。

   この本は、ですので、日本で活躍されておられる中国の方たちへの

   インタビューを纏めて形成したものです。

    インタビューを受ける側はそれぞれの場で活躍されておられます

   インタビューをしているのは、北京放送局の 張国清さん、

    総じて入れることは、こうしたよくある囲み記事のような小さなものも

   それをこうして本にして纏めて一度に読んでみると、これはこれで

   一つ一つを見るよりも違った感想を与えてくれます。

     お一人お一人のインタビューの長さはそう長くありませんので、

   込み入った話はしておりませんが、それが却って、全体にとてもスッキリと

   日本と中国の両国を両方知っておられるかたの主張が良く出ていて

   ある纏まりを感じさせる仕立てになっております。

    50人の新華僑の中にも何人か存じている方もいらっしゃり、更に数名は 

   お会いしたこともありますので、その点でもとても身近に感じるそんな

   インタビュー内容になってました。

     更に更に、今はもっともっと沢山の華僑の方が日本におられますので、

   何故あの人は入ってないの?というくらい50人に纏めるのは大変でしょうが、

   これを機会にそれぞれの、例えば、私の住む

    北海道版『在日新華僑』なんてな地方版が出ることを願っております。

    お贈り下さいました、

    当方通信社・高橋様、ありがとうございました。

                     函館日中友好協会

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2009年12月18日 (金)

冷え込む寒い日は、中国茶でホッと一息

  函館は今日も冷え込んでます。

  昨日も日中でもマイナスの気温が一日続きました。

  各地では大雪のところもあるようですが、雪は先日降ったのが

  積もってますが、寒さが厳しいです。

   街を行く車も、降り積もった雪と、寒さのための道路の凍結で

  ノロノロ運転が続き、函館の道路事情もありますが、どこも渋滞ぎみで

  いつよりはずっと移動に時間がかかるようです。

   みさんイライラの日が続いてます。

   さて、そんな日だからこそ、暖かい中国茶でも飲んでホッと一息しながら

  好きな本や、音楽を聞ける時間があると本当は良いんですがねぇ。

   なかなか現代生活にあって、時間を作るというが贅沢な作業になって

  まして、自分の時間を持つのが難しくなってます。

  ということは誰もが時間を売って、それを糧に日々の暮らしにしてるのですが

  それにしてもちょっと自分の時間が無さ過ぎでしょう。

    函館新聞社広告局発行のフリーペーパー誌

  『函楽 はこらく』No9号、2010年1月号で、

   お店『茶館 隗かい』を取り上げていただきました、ありがとうございます。

    函館のんびり お散歩マップ という欄でして、

  この号では、千代台町のお店が10店舗ほど様々な業種ですが、紹介

Kai されております。茶館・隗はちょっとメインの

 電車通りからも外れておりますし、住宅街と、向かいは

 小学校だったり、並びはお寺さんだったり、陸上競技場

 などがあったりの、お店があるべき?場所ではありません

 ので、何度もこの前の店を通っていても何年も見逃してた

 なって人もいるくらい目立ちもしてませんし、それでも

 お店を始めてもう10数年になりますが、千代台町だけ

 見ても以前よりはお店の数が減っています。

  函館の街中のお店はどんどん減ってまして淋しい限りです。

  お店がないと路を歩いていても愉しくありませんね。

  もっともっと色んなお店が並ぶような街になるといいのですが。

  不景気はますますそうして小さなお店を直撃して、閉まったままのお店が

  目立つようになりました。

    茶館・隗はそれでも、もともと小さな小さなお店です。

  中国茶の普及を目的に、本物の中国茶を味わって貰おうと、初め、

  ついでに中国の様々な文化も紹介できればと思い、店内は中国風の

  仕立てとなっております。

    音楽も一日中中国音楽が流れています、重い中国民族楽器の

  演奏が主体のものです。

    そして、中国茶はもっともっと種類はあるのですが、とりあえず、

   これくらは知ってもらいたいな、と思う種類を、緑茶・烏龍茶・プーアール茶

  花茶からそれぞれの種類を揃えて、紹介しております。

   お茶に合うように点心もご用意しております。

   こちらは、全て手作りの他店にはない、マントウやバオズ、水ギョーザ

  などをご用意しております。

   中国茶・茶葉もお求めになります。

   中国茶はこの間の長い歴史がそれを証明しておりますように、

   今尚中国の人達に愛され飲まれております。

   健康にもいいですし、お茶を飲んで寛ぐことはなによりも、このストレス社会

   には、薬を呑むよりも一番の対処法です。

    また、美味しい本物のお茶は、一度味わうと病みつくになります、

   どうぞ一度お試し下さい。

      お待ちしております。

    

      外の寒そうなようすを眺めながら、

    湯気が立ち上がる暖かな中国緑茶を飲みながら、

    中国民族楽器の音楽を聴き、手に本を持ってゆっくり読める、

    これほどの贅沢な時間はありません。

     年末を控えてお忙しいでしょうが、そんな時こそ、時間を遣り繰りして、

    どうぞ、ご自分の為のひと時を持ちましょう。

     お近くにおいでの際はどうぞ、

    歓迎Ni来!!

                     千代台町14-8 茶館 隗かい

                       電話(0138)51-0041

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2009年12月17日 (木)

中国のジーチャン(機場)-ウェブ版「私の見た中国」

  ホームページ 隗かい  の、月ごとの「私のみた中国」

  今月の話題は、中国の機場ジーチャン です。

  空港を中国語では、機場ジーチァン といいます。

  大概、この音が面白いのか、お爺さんに似てて、笑いが起きます。

610e0f1ddf1b46b2ab1 ですので、中国のジーチャンは、

別に中国のお年寄りがどうかなった、という

話題ではなく、飛行場の話です。

  おそらく、傾向としては、中国だけがそうなのでは

  なく、世界的な傾向といえると思いますが、どの飛行場も巨大化しまして、

  とくに今話題のハブ空港などと呼ばれるものは、その巨大さを競い合って

  いる感があります。

    私の感じでは、どうもどこの飛行場も、そちらへ向かって似たり寄ったりの

  ものとなりつつあるように思える。

    兎に角、でかくて、敷地もたっぷりとって、やたらパイプが見え見えの

  ガラス面が多い空港設備がど~とあって、

    その空港建築物に到着機・発着機が直接横付けして、建物から直接

   乗り込む形式が体制を占める様になってきた。

     以前であれば、建築物からまたバスや、他の乗り物にのって、滑走路

   を抜けていってその先に搭乗機が待ってる、というやり方だった。

Ee6c197a9d0a6604631これって便利になったのではなく、ですね、

これまでそのバスで移動していたような距離を今度は

自分でその建物の中を移動しなくてはならなくなった

わけでして、兎に角歩かせられます。

   大体は、入国審査や、チェックインカウンターは建物の中央あたりにあるので

   しょうが、それでも搭乗ゲートが端であったりすると、これはもう、どんだけ

   歩くんだろうというくらい、歩かせられます。

     バス停一区ぐらいは歩いたんじゃないの、とくらいに歩いて漸くゲートに

   到着なんてことになってるんですね。

    まぁこの時点では大きな託送荷物はもうチェックインの時に預かってあり

  ますので、手荷物だけを持ってるんですが、それでも中にはヘェ~こんな

  荷物が機内に持ち込めるんだ、と言うくらいの荷物をおもちの方もいます。

    また、時間に余裕のある時はいいですが、これが時間が迫っていると

  この区間を駆けることになります。私も経験がありますが、これは大変です

  建物の中で運動会をやっているようなものです。それも中距離走です。

    そこで、年老いた私が思い出すのは、

   懐かしのあのタラップを降りて、トボトボ空港施設まで、歩いて辿り着く

   あの時の、初めて着いた街の、風や湿度や空気や臭いを

   感じながらのあの何とものどかなあの光景です。

    最近ですね、大きな飛行場ばかりか、小さな地方空港も、

   飛行機横付け型になりつつあります。

    いいのに、みんながみんな同じにならなくても、

    と言ったお話を今回書きました。

    どうぞこちらから

         ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ 

     隗かい ホームページ 下の 私のみた中国12号をクリックして

     ご覧下さい。

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2009年12月16日 (水)

FMいるか・ハッシーのノンビリ坂スタジオへ。13日(日曜)

  函館は、というか、どこもこの近くはそうなんでしょうが、大雪です。

 ン?でした、か。漸く止みました。でもまだ、降るのかなぁ。

   兎に角、一日半くらいの間にドカンと降りましたね。雪で喜ぶ人もいるというから

 それはそれで、好かったのでしょうが、南の方には分からない、雪かきの

 大変さがあります。それで、序に言っときますが、雪もあれで種類がありましてね、

 時にはエライ重い雪と、サラサラの軽い雪とでは、この雪かきの辛さが違います。

  更にかいた雪はどうするのか、というとですね、街中ではそんな土地に余裕が

 ありませんので、大概は車道と歩道の間、縁石があるあたりに積み上げます、

 それがそこそこの高さになると、これが車から見づらいし、こっちからも車が見えに

 くいし、危ないのです。その上、こうして積んじゃうと、もう溶けるのに時間がかかる

 んですよ、コレが。

   南の人にはウソのような話ですが、車の雪を払い、家の前の雪を除け、 

  そんでやっとこさ出勤すると、道路は雪道で交通渋滞と言うやつで、

  大変なんですよ、北国の冬の生活は。

    そんな、雪の話ではなくて。遅くなりました。13日、第二日曜日でしたので、

  FMイルカさん、ハッシーののんびり坂スタジオ、のんびりカレッジにお呼ばれ

  で行ってきました。

    実は先月、私の方の勝手な都合で、お休みしまして、申し訳ない、

  一回お休みしちゃいましたので、二ヶ月ぶり。

   だ~れも待っちゃいないでしょうが、こちらは久しぶりだなぁ~感が。

   今回のお話は、何度も中国へ足を運んでるようだけれども、

  中国の旅は何がそんなに面白いの?

    がテーマです。

    大体旅は面白いもんなんですよ。そう、お考えにならない方もおありで

    しょうが、場所が何処でも好いのですが、旅は愉しいものです。

    まぁ、私の場合は、旅イコール中国みたいなもんですし、

    私が呼ばれているのはとりもなおさず、中国の話題ですので、

    中国の魅力ですが。

    名所旧跡、世界遺産、歴史的建造物、奇岩絶壁、に苦労はしない中国

    それを見るだけでもそうとうかかりますよ、なんせ広いですし、見るべき

    個所も多いですから。

      そんな旅は大なり小なりどこの国にでも見るべき場所、見るに値する

    場所は、中国に限らずあります。

 

      それをあげつらっても、そんなのはこんな時代ですから行かなくとも

    映像で見れたりしますしね。

      そこで、私がこの日話題に取り上げたのは、中国食文化ですね。

   いや他にもナンヤカンヤと沢山ありますが、人間の楽しみの一つはまた

   食べることにあり、旅先での食べ物はこれまた日々の私たちの食事とは

   また違った面をもつことは容易にお分かりいただけると思います。

     食べる楽しみの話題はいろいろあるんですが、

     ツアーで行かれるとどうしても毎日ご馳走攻めにあって、それはそれで

   中国食文化の奥行きは感じることができるでしょうが、実は食はその国の

   人たちの普段に食べているそんなものの方に面白いものが沢山あるんですが、

   どうも日本に伝えられる中国食文化は、目が飛び出るほどの高額な高級

   料理とか、誰が食べるのよ、というような変わった食材が取り上げられ、

   中国の人は誰もこんなんのは食べてないなぁ、という画が多いです。

    しょうがないか、華も奇もないのを写しても誰も見てくれないし話題にならない

   でしょうから、でもですね、本当の日々の暮らしと言うか、根幹の部分は  

   そんな目立たない、パット見た目、何の変哲もない、飾りのないところに

   あるんですね、これが。

     そのあとは、中国と日本の違いについての話を、ということで、

    私は料理と絡めて、中国男性が非常によく台所に立つ話をしました。

    もうちょっと、中国の男女同権の、社会(職場)と、家庭でのそれぞれの

    役割分担、地位の確保、社会認識などにも触れたかったのですが、

    ここで時間になりました。

     一ヶ月ぶりのお話も愉しかったです。あっと言う間に時間になりました。

   ありがとうございました。

    また、次回は違った話題でお目にかかりましょう。

      FMいるか さん、 ハッシーののんびり坂スタジオ ブログ

    へもどうぞ。

  

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2009年12月15日 (火)

難忘的一天、難忘的情景 - 08年・瀋陽音楽学院在函館

  昨日まで函館は雪もなく好い天候でしたのに、

  昨日の午後から振り出した雪は今も降り続き、すでに相当の積雪となって

  おります。そして、今も降り続いております。

   函館はどこも今日は除雪作業の追われている人たちが目に付きます。

  相当の寒波がやってきているようです。みなさんの地方は如何ですか?

  この一週間それぞれ、一年前の当日を追う形で、昨年函館にやってきた

 中国瀋陽音楽学院の五名の演奏家との交流の様子をお伝えして参りました。

   昨年中国のお客様がお帰りになった次の日もたしかとてもよい天気でした。

  お客様を送り、全ての活動を終え、ホッとしたこともあり、昨年のこの日は

  何も出来ずに気が抜けたような一日でした。

   この一週間の交流活動は、全く私ども函館日中のこれまでそんなことを

  したこともない、素人たちが、本当に全てを自分たちの手で、全く何もない

  ところから造り上げ、当初計画した企画よりも函館の皆さんの協力を得て

  更に素晴らしいものとなりました。

    とりわけ、私が忘れられない日(難忘的一天)と、

    忘れれない情景(難忘的情景)を紹介しこの連載の記事を終えます。

    一日一日にそれぞれの想い出はありますが、

  何といっても、あの日(08年12月8日月曜、函館芸術ホールでの)コンサート

  そして、更にそのコンサートで劉剛団長が

  081  あの大きなたいして何の飾りもない、舞台に一人ポツンといて、

 彼が弾きはじめた 琵琶 は、会場全体を飲みかんだの

 如く、会場のみなさんの緊張がこちらにまで伝わるような

 迫力ある演奏に感動しました。

   演奏が終わって後の会場が割れんばかりの拍手の音がそのことを物語って

   いたと思います。素晴らしい時間でした。

     恐らく、中国の方からすれば折角の舞台で大して舞台装置もなく、照明も

   動かさず、それはこちらの目論見でしたが、全く地味な舞台装置の中で、純粋

   にその演奏のみに集中していただこうと思ってましたので、

     その点も際立って、演奏を引き立てたと確信しております。

    もう一つはこれと逆です、

082 お伺いしたお寺さんの本堂での演奏が忘れられません

 金色に輝く、幻想的ともいれるその本堂での演奏は

 音もさることながら、そこで奏でられている民族楽器

 の調べは、古代中国宮中での演奏もかくありなん、

 と思わせるような非常に厳かなものでした。

  此処での演奏は、演奏家達にも強い印象を与えた

 ようです。

   音として映像が、そしてそれらがすぐ手の届きそうなすぐそこにあるという

   又とない演奏を体験できました。

     その他にも歓談しての忘れられない様々な場での思いでもありました。

   それらの想い出を残して、一週かの活動を無事終え、帰国されたこの

   五人の演奏家達、今も瀋陽音楽学院で後輩の指導にあたったり、その後も

   国内外での演奏活動を続けておられます。

083

 劉剛先生はあいも変わらず、世界のあちこちに出かけての演奏を

 于海英先生も国内の大きなコンサートコンテストに参加されたり、

 陳窈先生も後進の指導と、コンテスト参加への準備に忙しく

 張明先生は、伴侶を見つけご結婚、子供さんができたようです、

          李王路王路先生は、この秋に目出度く結婚されました、

    いつか又お会いできるのを楽しみにしております。

    忘れられない一日・難忘的一天

    忘れらないシーン・難忘的情景

   を思い出しながら、昨年の交流を振り返ってみました。

    

    次にどういう交流が出来るかはまだ分かりませんが

   また何か活動がありましたら、お知らせいたします。

    どうぞ、今度は一緒に参加して下さい。

                             謝謝!

               函館日中友好協会

  

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2009年12月14日 (月)

08年12月14日、離開函館 ー 最后一天

  今日も函館は好い天気です。雪はありません。

 一年前のこの日、08年12月14日(日曜日)も好い天気でした。

122  あっと言う間の一週間でした。

 この五人の演奏家を同じようにこの空港で迎えたのが

 一週間前ですが、

  この一週間は本当にあっと言う間でした。

  同じように、函館→韓国・仁川→瀋陽

  の路線を使っての帰路です。

  来る時とは違い、帰りはお昼に函館を発って

  韓国で中国への便に乗り換えて、

  その日の内に夜遅くなるようですが、

  瀋陽に着けるようです。便利な世の中となりました。

   昨日の買物や、その前の買物で、来る時よりもこの人たちの荷物は

   増えたんじゃないの?と思っていたら、

   案の定、重量がオーバーです。

   大韓航空函館の皆さんも親切にいろいろ心配してくださり、荷物を

  詰め替えたりしましたが、それでも何としてもこれは多いので、結局

  一部は置いていって、こちらから郵送することとしました。

   お土産の急を要しないそんなものをじゃあ取分けましょうということで、

   飛行場ロビーで店開きして、大格闘のすえ、持って行くものと置いて

   いくものが決まりました。

    置いてく荷物だけで、もうダンボールが一杯です。

    その間にも互いに別れを惜しんで、飛行場で抱き合う姿が、

   何とかコンサートの模様をDVDに収めてものの編集が間に合って、

   それを劉団長に手渡すことができました。

    

     好天の昼下がり、

   彼らを乗せた飛行機は飛び立ち、函館をあとにしました。

      この方達が函館の地に残した交流の足跡はいつまでも交流いただいた

   全ての皆さんの心の中に残ることでしょう。

   今でも時折、「あのコンサートは素晴らしかった、今年もまたやらないの?」

    と、町でお声をかけていただきますが、

    函館日中友好協会では、毎年あのような大掛かりな活動をする程の力量は

   ありませんし、私を含めて会員も歳を追うごとに、だんだんそうした、エネルギー

   もなくなり、大きな活動をするには負担が大きくなってまいりました。

    ということで、今後このような活動を準備するため、また、活動を維持する為

  にも、若い方の会の活動への参加を募っております。

     どうぞ、一緒に活動をしてみようとお考えの方ご連絡ください。

   

    これで、全ての予定されていた、交流活動を無事終えることができました。

    飛行場へ足を運んで、見送りに来ていただいた皆さんありがとうございました。

    また、この一週間函館の各地で交流活動を広げてまいりましたが、

   それぞれの場で大変多くの方のお世話にもなり、支えていただいてこの

   中国瀋陽音楽学院の先生方のコンサート並びに交流活動は、毎日が

   愉しく、有意義でした。

     此処には書ききれない本当に沢山の方におせわになりました。

     お一人お一人名前を挙げることはできませんが、

     心よりお礼申し上げます。

     ありがとうございました。

     丁度一年前の函館日中の活動を一日その日を一年後のその日に

   追う、というかたちでその活動を振り返りながら書かせていただきました。

                           函館日中友好協会

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2009年12月13日 (日)

08年12月13日ー瀋陽民族楽器小組の休日、第七天

  今日函館はとてもよい天気ですが、時折白いものがハラハラと舞ってます、

 ですが、とても積もるような勢いではありませんので、道路だけ見てると、春の

 ような様子です。一年前の今日もこんな感じでした。

   この五人の演奏家が函館へいらして、七日目。

  果たして以前にもこうした形態の外国の演奏かなり芸術家を招いて一つ都市に

  こうして、長いこと留まって交流を続けたことが、あるのかどうかは知りませんが、

  少なくとも、函館日中始まって以来のはじめての経験です。

   当然、七日目ともなればすっかり、私たちも打ち解けて、中国で意思疎通が出来る

  者は中国語で、出来なければ、筆談と傍にいる人の通訳を通して、交流を進めて

  きました。それ以上に長くいるとそこは大体どうも意思疎通は何とかなるようです。

121 この前の日の函館山での、日中主催のお礼の会は、その人数が

 30名程度と少ないこともあって、一テーブル7名くらいのテーブルで

 4テーブルの函館山山頂レストランでの、交流となり、この席でも

 中国からのお客様も寛いでいる様子が、とても愉しそうでした。

  写真左側に眼下に函館のそれはそれは、この日の冷え込んだ

 空気でより一層輝きをましていた夜景を眺めながらの交流は、

 とても想い出深いものとなりました。

   山の上でも張さんの二胡の演奏が聴けました。

 絶好のロケーションでの二胡の音色は、素晴らしいものでした。

   こんなにも近い交流ができたのもこじんまりした人数だからでしょうが、

   一方でこうした場にもっと参加したい一般の市民や、中国語を習って交流を

   希望する人が入ってくれて交流を計れればもっと好いのかとは思いましたが、

   それはそれで、人数の点で難しいのかもしれません。

     さて、この日(七日目)の私ども計画は、このお客様たちに最後の一日

  自由に楽しんでいただこうと思い、全くなんの計画も入れず、この日の希望を

  この方たちに伺い一緒の行動することを決めておりましたので、スケジュール

  上は空っぽの一日でした。

    結局ご希望は、お土産買いと、最後の海鮮料理がご希望とのことでしたので、

  朝は以外にもっとゆっくりするのかと思ってましたら、先ずはデパートからスタート

  ということでして、丸井今井デパートが開店する10時を待って、デパートへ。

   このあとの買物騒動も、先日の話と同じですが、凄い購買意欲と購買力を

  見せ付けられました。丸井さんの店員さんが付きっ切りでお世話くださいました、

  それにしてもこうなるとめいめいがそれぞれお目当ての物があるようでして、

  此処では通訳不足です。此処をカバーするボランティア通訳が必要でした。

    なにせデパートを右に左に、上に下にをそれぞれがしますので、一人に一人

  の通訳が欲しかったです。この日はこの後も、

    化粧品を買いに大型量販店へ、さらに買い足りない家電を買いに電気店へ

  移動中に楽器店を見つけたら、日本の楽器店も覗くなどして、

    昼はリクエストのあった、海鮮を売り物にする、港近くのお店へいって、

  食べ収めとばかりに、函館の海の幸を堪能しましたよ。

    遊んでるんですから愉しくないはずがありません。何処へ行っても賑やかな

  この人たちの移動は、相当目だってたでしょうね。

123  何にでも興味を持ちます。たこ焼きを見つけて、早速

 それを買って、立ち食い。

  寄り道が多いので進まないこと甚だしいのですが、

  それでもこの人たちが好んでそうしているので、

   そのための一日でしたので、楽しんでいただけたようでした。

    この日は宿泊先を、函館湯の川へ移動。

  日本の温泉も味わっていただこうというわけです。

   ついでに最後の一日ですので、私も彼らと同じ宿に泊まることにして、

   夜は劉団長とも一緒にお風呂に入れましたし(勿論大浴場ですよ)

  裸のお付き合いにも近づいたということでしょうか。

   風呂上り一部屋に集まり、御酒も入って、

   ご機嫌の劉団長が、爪弾くというか、浴衣姿のまま、

   腕鳴らしに琵琶を手にして少し遊んでる間に、

   じゃぁ、というので、琵琶を演奏して下さいました。

   これがまた、素晴らしいのです、

   値のあるそんな夜でした。

    この日お世話になった、丸井今井デパートの皆さんありがとうございました。

  訪れたそれぞれのお店の店員さんも丁寧に対応していただきました、

   函館の印象はこんなところからもとてもよかったようです。

   ありがとうございました。

             函館日中友好協会

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2009年12月12日 (土)

08年12月12日、大庚会・老人ホーム松涛、高橋病院ゆとりろ

  今日、函館は雨です。昨夜来の雨がまだ降り続いております。

  雪にはなれないようです。

  08年12月12日(金曜日)は、とてもよい天気でした。

 結局この中国からのお客様が函館へ滞在していた一週間の間、

 雨はあのコンサート当日の夜の雨だけでした。あとは、何処へ行くにもとても

 好い天候に恵まれた一週間でした。

111 この日はたまたま、スケジュールがそうなったのですが、

お年寄りとの交流の日でした。

 というのも、老人ホーム施設を2箇所午前と午後に

 伺っております。午前中に伺ったのが、松涛(しょうとう)

 という特別擁護老人ホーム。迎えて戴いた施設の方が

 日本文化の紹介と言うことで、お茶席まで用意してくださり

 神妙な面持ちで、日本茶を戴いている五人です。

  さて、小さなステージまで作っていただきまして、高層の

 眺めのよい上の階での演奏活動です。

   お年寄りにもわかる耳に馴染んだ曲を数曲選んで演奏していただきました。

   付添いの職員の方も一緒にお聴きなっております。

    すぐそばでナマの楽器の音を聞いてとても喜んでいただけました。

112  午後は高橋病院、ゆとりろ、へ。

 同じくご老人が沢山待ち構えていてくださって、

 音楽に耳を傾けていただきました。

  一階のホールが吹き抜けになっていて、

 上の方からも沢山の方がご覧になっておられました。

 私が、傍で拝見したお一人のお年よりは目に涙を

 貯めて、よかったよかった、と言って下さいました。

  その言葉を聞いただけでこちらも

 本当に良かったなと、感じました。

  中国の演奏家達も、こういう経験は初めてですが、もちろん中国にも今は

  こうした似たような施設もありますし、この方たちの、祖父母に近い年齢の

  日本の老人がとても元気なのに驚いてました。

    両施設の皆さん、いろいろありがとうございました。

    一昨日の、幼稚園ですね、それと、高等学校へもこの五人の演奏家達

  は行っています。私個人としては、時間の都合をつけて、ちょっと忙しいのですが、

  小学校と中学校もそして、大学も訪問してもらいたかったのです。

    これで、年代的にはほぼ日本人の大体の世代との交流が果たせ、

    施設も見てもらいたかったのです。

   企画段階では、お願いする学校も候補に上がり、実際にお受けしてくださる

   学校もございましたが、学校行事とこちらの空き時間の問題、どの程度の

   交流を予定するか、主にスケジュール調整の問題が大きく立ちはだかり、

   残念ながら実現しませんでした。

     ご検討を戴いた、それぞれの学校の担当者の皆さん、

     またの機会がございましたらどうぞよろしくお願い致します。

    この日は忙しくて、夜は関係者だけの

    函館山での交流会を開いております。

   この日の夜景はとても素晴らしく。中国の方たちを魅了しておりました。

    この山の上での交流も大変距離の近い、愉しい交流となりました。

   想い出の夜として今でも想い浮かびます。

    参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

             函館日中友好協会

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2009年12月11日 (金)

08年12月11日、函館国際ホテルー第五天

  今日も函館はとてもよい天気です。明け方はかなりの冷え込みだったようで、

 北国特有のリンとした空気を肺一杯を吸い込むと、鼻がツンツンとする、そんな

 真冬の天気の好い一日となりました。

  08年12月11日も、確か夜にほんの少し雪が降って、朝起きた時薄っすらと

 道路が白かったのも、通勤時間ともなればすぐにそれが融けてなくなりました。

  この日も好い天気でした。

   ところで、昨年と今年では曜日が一日ずれてまして、昨年の11日は木曜日

  でした。

   この中国からの演奏家達は、韓国から函館への便を利用しておりますので、

  日曜日に函館に入り、一週間函館に滞在後、日曜日函館を発ったわけです。

    

   この日は五日目。

   昨日の森町での演奏の帰りが遅くなることを予測して、五日目のこの日の

  午前中は予定を入れず、空けておいて、夜に、函館国際ホテルでの食事を

  かねたある会での演奏を予定、

    午前中はこの時間を利用しての、買物へ。

    中国からの旅行者の購買力が何かと話題になっておりますが、

  確かに、この方達も、大型家電店を目指し、買物を。

   ビデオカメラ、デジタルカメラ、小型DVD機、ゲーム機、お土産でしょうか

  髭剃り機等等をお買い上げ。かなりの購買力です。

    実は最終日に買物日の予定で一日まるごと時間を空けて、何をしても

  いいように配慮はしておりましたが、この日の買物にもちょっと驚かされ

  ました。

    更に、この方達がこちらへいらっしゃって初めて気づいたのは、

  昨日書きましたように、中国・瀋陽市は内陸の地にありまして、海もありませんし、

  ご存知でしょうが、一般に中国の方はあらゆる食材には火を通して食べる、

  つまり、ナマの物はあまり習慣的に口にしないとの思い込みから、私は、一緒の

  食事もできるだけそうしたものを、と思っておりましたところ、意に反して、

    函館へ来たのだから、海鮮を味わいたい、

   との要望に驚きました。そうなれば函館は何の苦労も要りません、早速

  皆で海鮮が食べるお店へ。函館は沢山ありますので、海鮮を食べて戴くの

  であればその種類も多く毎日でもいいので助かります。

    この方たちはそう言えば、外へ出る機会が多いので、きっとそうなんでしょう、

  ナマ物も大丈夫でしたし、何より魚料理を食べていただけるのは、地元の者に

  とっても嬉しい限りでした。

   残念ながら、一緒に遊びまわっていたせいか、この日の買物様子や、

  海鮮を味わうこの方達の写真がありません、自分では撮ったつもりでいたのですが、

  きっと一緒になって、楽しんでいたせいでしょう。

   先日のコンサートの様子や、その後の活動が次々と新聞紙上などで

  紹介され、それを全てお一人お一人にその新聞を記念に差し上げ、

  とてもよい記念になると喜ばれました。

Baozhi_1北海道新聞 みなみ風

「悠久の調べに酔いしれる」

 函館で中国民族楽器

  演奏会

Baozhi_2    

 函館新聞

   「二胡、揚琴美しい調べ」

   中国民族音楽コンサート

Baozhi_3      函館新聞

   中国瀋陽音楽学院・妙見寺で演奏会

    「幻想的な雰囲気

      本堂に音色響く」

   取材いただいた各社記者の方、

  掲載いただいた新聞社にこの場をかりてお礼申し上げます。

   さて、夜の予定の国際ホテルでの演奏も、私が司会と通訳とを担当し

 他の者が会場に入っておらず、控え室で演奏家達を手伝っておりまして、

 残念なことに、この場での写真もありません。

  (どなたかこの日の写真をお持ちの方恐れ入ります、ご連絡下さい。)

    演奏に先立ち、国際ホテルの方のご配慮で、

  国際ホテル、中華部木村コック長の料理を皆でいただきましたが、

  この日のお料理は中国のお客様に大好評、もっともこのお料理は多分

  木村コック長がこの日の為に特別誂えで、お出し戴いたものでしょうが

  見た目も素敵、味も特別美味しい、お料理でした。

    ありがとうございました、木村コック長、

  ならびに、準備の段階から何かとお気遣いいただきました、

  国際ホテルの皆さんに、お礼申し上げます。

                 函館日中友好協会

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2009年12月10日 (木)

08年12月10日ー神山保育園・森町砂原公民館、第四天

  今日の函館はとてもよい天気です。ですが、明け方少し冷え込んだのか、朝見た

 車の屋根は凍っておりました。でも、この時期にしては穏やかなそして、函館には

 珍しい風のない日です。風がないとそう寒さは感じません。

  一年まえの08年12月10日も同じようにとてもよい天気でした。

  

  この日夜に道南森町でのコンサートのため、午後大沼公園へ寄ったりしてますが、

 そこでも車から降りて、湖畔を散歩していても、寒いことは寒かったですが、いらして

 いる五名のお客様は、中国の東北部瀋陽市からのお客さまですので、これくらいの

 寒さはどうということもないでしょう。

   函館と中国瀋陽市は同じ北緯38度線上にありまして、気候はよく似ていると

 思いますが、かたや沿岸都市であり、かたや全く海からは離れた内陸に地にあり

 ますので、寒暖の差は海のない瀋陽市の方がずっと寒さ暑さが厳しく意外に、

 瀋陽市はずっと函館より冬は冷え込みます。冷えますが雪は少なく、一冬に数回

 パラッと降る位で積雪は函館のようにはありません。

   ですので、この方達は寒さは強いのです。暑さも強いはず?です。

101 この五人の演奏家との交流活動を企画する段階ですでに昨日

も書きましたが、私の狙いは、色んな世代・年代・色んな場所での

交流をして函館にその足跡を残して戴きたいというのが願いです。

 ということで、この日は若い若い、幼児との交流です。

訪れた先は、神山保育園。園児さんの前での演奏です。

 恐らくこの五人の演奏家達にとってもこれまた始めての経験

でしょうね、きっと。海外へ何度も出て演奏活動をされておられる

方達ですが、大体はコンサートホールでの正式の演奏活動をし

地元メディアにちょっと出演したりしてお帰りになるのがその型

  でしょうから、最初企画書をご覧になった、劉団長はちょっと驚かれたのかも

  知れませんね。

    こちらとしては、別段そういうサプライズを狙った気はなくて、単に小さな子供達

  の前で、この見たこともない民族楽器と、外国の人が来て目の前で演奏するのを

  聴いたなら、子供達はどんな反応を示し、子供たちの心にその後何が残るのだろう

  か、ということが楽しみで、縁あって神山保育園さんが応じてくださり、この日午前中

  に訪れての演奏となりました。

    子供達が大人しく聴いてくれるか、保育園側では心配されておられましたが、

  私は、もし子供が退屈するなら退屈するだけの音楽で、それは子供の心に響かない

  何か選曲のミスか、演奏スタイルの問題で、全てこちらにその要因があるとお考え

  いただいていいので、どうぞご心配なく、と申しておりました。

    結果。子供達は相当集中して演奏を聴いているようでした。

    演奏が終えると今度は子供好きの中国の人達はそれぞれが子供抱き上げ

  とても愉しそうにしております。なかなか子供を放しません。

   そんな音楽とスキンシップで言葉を超えた交流が実現いたしました。

    神山保育園の久保園長はじめ、保育園の職員のみなさん、

    そして、可愛い可愛い園児のみんさん、園児の父兄のみなさん、

    ありがとうございました。

102  午後は大沼公園を見学したりして、道南森町へ移動。

大沼公園で、冬の公園に観光に来ていた、台湾からのお客様と

たまたま声を掛け合ったりしてました。

 森町・砂原公民館での演奏は、コンサートと同じような

内容で進められ、函館・森町間は車で大体一時間くらいの

道のりですが、これですと、8日夜の函館のコンサートに

来て戴いた方もおられるようですが、なかなか仕事の関係や

家庭の事情から、函館でのコンサートまでは足を運んで戴け

ないそんな方の為に、ともすればこうした交流がどうしても

  都市部を中心に、その活動がされ、地方が独自でこうした活動を持つことは

  難しい面もありますので、時間がもっとあれば他の地域にも伺いたかったのですが、

  何せ時間の制約もありますので、今回は地方での交流はこちらが一箇所となり

  ました。

103 会場はこんな感じで、満員の入りとなりました。

 こちらは、年齢は様々な世代の方が大勢お見えになって

 おります。企画での狙いは、地方での交流にありましたので

 こちらも、なかなかこうした演奏を実際に目の前で見て聴く

 機会がない人達にその場が提供できたことを嬉しく思います。

 また、森町には、多くの中国人研修生が、近隣の水産加工

 工場へ来ていまして、そうした人たちとの、本当は演奏会を

  終えた後の、演奏家との一緒の交流会を企画したかったのですが、こちらは、

  何せ先に書きましたように、函館へ帰るまでにまた一時間の道程がありますので、

  演奏活動を終えたらすぐに戻りませんと、その次の日の活動に差しさわりが出ます

  ので、この計画は已む無く諦め、演奏活動と、演奏合間のご挨拶や、会場からの

  質問を受けたりしての交流とはなりましたが、

    夜でしたし、どうなんでしょう、数百万の人口を有する瀋陽市、

    そんな大都会からいらした五名の演奏家達には日本の地方という感覚

    がどれ程伝わったか、自信がありません。

    ですが、この比較でいいますと、人口30万を割り込んだ函館市でも

    この人達にとっては十分小さな街とは言えるのでしょうが。

   御挨拶いただきました、森町の佐藤町長、砂原商工会の澤田会長、

   準備段階から骨折って下さいました、砂原商工会のみなさん、

   当日会場にいらしてくださった、森町の聴衆のみんさん、

     ありがとうございました。

   ( 四日目のこの日の交流はということで、

    世代を超え、地域を超えての交流が実現いたしました。

      函館へ戻ったらもう夜も遅い時間でした。

      ですが、天気もよく路面に雪もありませんでしたので、

      心配していた道中の交通もスムーズに運び一安心

      そんな一日でした。)

              函館日中友好協会

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2009年12月 9日 (水)

08年12月9日ー清尚学院高等学校・妙見寺、第三天

  今日の函館(09年12月9日)の函館はとても穏やかな好い天気です。

 一年前のこの日も、とてもよい天気でした。

  中国瀋陽市からの五名の演奏家を函館にお迎えして三日目となります

 この日、私どもが予定していた行動は、音楽を通しての交流です。

  一つは、高校生と言う、若い世代と。今ひとつはお寺さんの高い年代の方と。

  企画の段階にあって勿論こうした点も考慮し、私の願いは函館の地で出来るだけ

 広範な世代と、いろいろな場所での交流をお願いすることを事前に劉団長には

 伝えてはありましたが、この日の二つの個所での交流を通して、結果、こうした

 交流を企画して本当に良かったと思いました。

91 この日、午前中は先ずは市内の私立(女子高、現在は

 男女共学校)の、清尚学院高等学校へ。

 こちらの学校は、調理科を持っていて、授業で中国語も

 早くに取り入れている特色有る学校です。その調理科の

 授業に学校側が配慮して入れていただき交流しました。

  まずは、学生側の歓迎の挨拶が、生徒さんの一人が

 中国語されましたので、これにいたく劉団長は感激し

  なかなか終わらない握手をしてました。

    皆さんの楽器を移動し、学校で演奏するのは大変ですので、代表して

  張明さんに、生徒の目の前での二胡演奏をお願いしました。

  張明さんは、代表曲二曲を軽くえんそうして下さいました。生徒達もその

  本物の、ナマの音色に聴き入っていました。こうした経験と言うか、体験と言うか

  おそらく、今後もそうあることではありませんので、非常に貴重な機会だった

  思います。後ろに写っている赤い紙に生徒達が手書きで、それも中国語で

  書かれた歓迎のポスターも、中国の演奏家達の目を引きました。

   ここでも、交流のキーワードは矢張り、「コトバ」ですね、このあと、各班に

92 分かれて生徒達と一緒に料理を作りながらの交流に

なります。珍しい、演奏家達のエプロン姿。特に劉団長の

エプロン姿は。この方たちは、恐らく普段は楽器演奏の為

手を大切にしてるでしょうから、こうした料理を普段なさるのか

どうか?でも生徒に混じってとても愉しそうでした。この方達

は日本語が出来ませんので、交流は簡単な英語又は中国語

かジェスチャーに限られます。それなのに、各テーブルから

時折笑い声が起こり、中国の人たちも一緒に笑っている

所をみると、たまたま切った切り口が可笑しいとかもあるので

  しょうが、簡単な単語を使って交流はできていました。

  私もこの中に居りましたので、生徒が中国の先生達に料理の手順を教える

  のですが、そこも単語をつなぎ合わせて話してましたし、向うから、

  「這様、対口馬?(これで、あってる?)」と訊かれて、「対!対・対!(そうそう)」

  と応えてましたのこれだけでも十分です。

   出来上がった料理を、すぐにいただけるサロンが、調理場の隣に付属して

  いるという素晴らしい学校設備の学校で、そのまま一緒に交流しながら、

  料理をいただきました。張さんの嬉しそうなVサインの満面の笑顔を見ても

  この時間の楽しさが伝わってきます。

     清尚学院高等学校の、校長先生、受け入れ準備の協力いただいた

  教頭先生はじめ、この日の調理教科担当の先生、そして、学校の全ての

  先生に心より感謝いたします。ありがとうございました。

93 お昼を学校でいただきましたの、夕方からのお寺での

交流まで時間がありましたので、天気も好かったので、

五稜郭を訪問。五稜郭タワーの方にも便宜を図っていただき

見学できました。

 日の出町、妙見寺さんの本堂での演奏会は夕方から。

 次ぎの日の新聞記事によりますと、

 「幻想的な雰囲気 本堂に音色響く」と題した記事で

 この日、本堂に地域住民の方約100人がお集まり

 戴いたというのを後になって知りました。勿論此処へも

   一緒に出かけておりまして、演奏終了後、おいで戴いた方からの質問に

  それぞれ答えるという、企画があり、その通訳のようなことをしてましたが、

  皆さんとても興味深くお聴きいただき、楽器に対する質問が多く、なかなか

  専門的な質問の方もおられましたし、楽器の歴史などになると、今度は

  答えるほうの中国の方の話が長くて専門的で、全く打ち合わせ無しで

  やってましたので、大変でしたが、

    五名の演奏家達はそれとは又別に、本堂のそれはそれは厳かな

  雰囲気に感心しておりました。実は中国では逆にこうした本堂のような金ぴか

  の本堂は珍しく、もともとは中国のものであった仏教が、日本へ伝わりこうして

  根を下ろしている姿を、中国のごく普通の訪問者が知る機会はありませんし、

  大体がこうした人たちがお寺で交流するなどということがこれまであったのか

  どうか、私の記憶にはありません。

    また、お寺の檀家さんたちが、中国の人と交流する機会がこれまでに

  あったかも私は知りませんが恐らく初めてだったと思います。

    そういう意味でもこの企画は貴重なもので、

    日中双方にとって、非常に貴重でいい体験だったと思っております。

   ここでも演奏のあと、お寺さんの広間で、交流の場がもたれました、

   そして、ここでも、お願いした何人かの私ども協会の会員が通訳に

   あたり、交流が出来ました。

    もう少し上手く連絡と、互いの都合が付けば、協会でやっている

   中国語教室の皆さんにも此処に入っていただいて、習った中国語を

   実際に使う練習の場としたかったのですが、日本の方はどうしても

   遠慮しますし、尻込みしますので、この点が上手くいきませんでしたが、

   通訳が足りないながらも、その分、通訳の数だけのグループになって

   いただき、交流を進めることができました。

     こうして、大変珍しい形のまた、本堂を開放していただくという

   英断をしていただいた、妙見寺の住職さんと、若い住職さん、

   檀家の皆さん、足を運んでくさった地域に皆さん、

    ありがとうございました。この日の演奏は中国の演奏家達もいつまでも

  忘れないといっておりました。

    この何処にもない雰囲気の中で演奏することは、恐らくこの五名の演奏家

  にとっても、後にも先にもこの一回きりとなることでしょうから。

     ありがとうございました。妙見寺さん。

    終わってこの五名のお客様は、

   会員のお宅へこの日はホームスティとなり、そちらへ。

   日本式邸宅での一夜はまた、とてもよい想い出となったようです。

   竹田宅は、中国の人達にとっては、何もかもが珍しい、とても

   貴重な体験だったと思います。

     ありがとうございました。

             函館日中友好協会

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2009年12月 8日 (火)

08年12月8日・コンサート当日、天空に響け『悠久の調べ』

  昨日から、丁度一年前の今日、を振り返り、函館日中が主催し行われました

 中国瀋陽市から5名の演奏家をお招きしての、 中国民族楽器・悠久の調べ

 コンサートの様子をお知らせしております。

  今日(09・12・9)函館は昨日の雪もやみ、とてもよい天気です。

  丁度一年前、2008年12月8日、この日函館は日中こそ好い天気でしたのに

 コンサートが始まる頃から雨が降り出し、コンサート由は大雨となり、このことを

 コンサート会場に詰めっきりの私は全く知りませんでしたが、コンサートも終わり、

 後片付けをして、楽器を運び出そうという段になって、凄い雨に驚き、雨からどうやって

 この楽器を濡らさず、車に積めるだろうかと、不安になり、大雨だったことをその時に

 なって始めて知りました。

   5名の演奏家が来函して、二日目。何度も何度も練り直され、何度も変更を重ねた

 スケジュール表は書き加えられたメモもあって、字が躍ってます。

  この日の予定は、午前中は、函館市市役所へ表敬訪問。市役所見学のあと、

 彼女らの希望で、日本の行政機関である、市役所に食堂があるのならそこで、

 ということで、市一般食堂で昼食を。昼食後一休みして、会場である函館芸術ホール

 へ、移動。午後はリハーサル時間をたっぷりとり、午後6時の開演を待つ、

 というのが大まかのこの日の行動予定でした。

81 予定通り、この日の行動は進みました。

 ホテルに迎えに車で向かい、5人を乗せて函館市役所へ。

 市の国際課・高井さんにお世話になりました。事前に準備も

 していただき、また、たまたま市議会会場まで案内して戴き、

 中国からのお客様も滅多に無い体験に大喜びの様子です。

 上の写真の、市長席に座りご満悦なのが、劉剛 団長、

 議長席に座り喜んでいるのは、揚琴奏者の 于海英、

 委員席で質問の手を挙げて演出している4人の演奏家達

 彼女らの手の挙げ方にも注目、日本とはちょっと違います。

 左から、于海英老師、陳窈(古筝)、李ルールー(琵琶)張明(二胡)のそれぞれの

 先生達は、とても愉しそう。本番前でもかなりリラックスムード。もっともこの人達は

 日本に限らず世界中に出かけて演奏活動をしているので慣れっこなのかも。

  約束どおり、市役所食堂で皆さん「面」を召し上がって、お昼を。

82  午後には、函館市芸術ホールへ移動。音楽専門施設がある

 そんな光景は慣れておられるでしょうが、劉団長の指導の下

 リハーサルを。リハーサル中の珍しい写真。不断の服のまま

 一当たり全て、通しての稽古と、劉団長は会場を隅から隅まで

 行ったり来たりして、それぞれの会場の位置での音を確認

 しています。矢張り音にはとても神経質です。

 その間こちらは割りと暇でして、その前までが忙しかったので

  こちらは、束の間の休息。上の写真の琴の右に立派な盆栽の松が見えてますが、

  こちらも地元盆栽愛好の方からこの日だけご好意でお借りできたもので、ステージ

  は演奏家を引き立てるため、出来るだけシンプルに、というのが私の考えでした。

   ステージ上部に良くある「函館日中協会創立35周年記念」の看板を挙げましょう

  との意見もありましたが、私の考えは、お金を払ってコンサートに来ていただく

  お客様には直接そのことは関係ないので、そうした一切の看板もない、純粋に

  ナマの中国民族楽器の魅力を体感して戴くこととし、余計なものはステージ上には

  一切ありません。

83  コンサートが始まりました。会場は一杯のお客様です。

 後になって、色々な方からよく会場を満杯にするだけお客様

 を呼べましたね、と感心されますが、勿論各位の努力もあった

 でしょうが、何といっても中国民族楽器の魅力がそうさせた 

 のだと思います。演奏のプロでもない、有名でもない、演奏家

 が函館へ来て演奏をする、ただそれだけでこれだけの人が

 集まっていただけました、600名を超えるお客様は、ナマの

  民族楽器の魅力を好く知っておられて、来ていただけたものと思っております。

   型通り、挨拶からはじまりました。舞台上で劉先生のご挨拶を、直接通訳して

  いつのも私ども協会会員(志村さん)が務めます。何から何まで手作りの感じの

  コンサートですが、その規模は会場にいらしていただいたお客様が一番お感じに

  なって下さったと思いますが、演奏が始まるやそれはそれは、素晴らしい演奏でした。

84_2 揚琴ヤンチンの于海英 ユー・ハィ・イン 老師の独奏、

 揚琴のバチがあのようにいろいろな使われ方をするのを

 始めて知りました。ただCDを聴いていただけでは分からない

 技法です。

 古筝グーヂェン演奏家 陳窈 チン・ヤォさんの音は

 日本の琴とはまるで違った音色の、奏法もきっと違っていたの

 でしょうが、この楽器の音色も素晴らしいものでした、

 琵琶ピィパァ の 李路路(路の前に王篇が付きます)リールル

 さんの琵琶は日本人がイメージする琵琶の音とは別物です、

85 二胡アールフゥ の 張明 ヂァン・ミンさんの演奏はこのところ

 日本人の耳にも馴染んできた 二胡の音色はナマで聴くとこれは

 また別物の、音色で直接私たちに訴えかけてくるものが

 あります。

  団長である劉剛リュウ・ガン先生は、琵琶演奏家として名高い

 のですが、第二部で一曲だけ披露してくれました

  その《十面埋伏》は、この一曲だけを聴きに来てもこの日の

 コンサートは成立するのでは、と思わせる心打つものでした。

  二部では日本の楽曲をそれぞれ、この四つの民族楽器に

  乗せて演奏していただきました、多くはこちらからリクエストを出してこちらの要求

  に添って演奏していただきました。曲が終わるたびに、舞台の裏側にいる私ども

  にもその拍手の音が何時までも何時までも聴こえるそんな素晴らしい、

  コンサートでした。会場とも一体となって、演奏家達が次々に紡ぎ出す音は、

   当日いらしていただいた全ての聴衆の皆さんの心を十分に揺さぶったことと

  思います。忘れれられない、一夜となりました。

   (当日の会場の全てを録画したDVDがございます、ご希望の方はご連絡下さい)

   2時間予定の演奏時間をはるかに越えて皆さんのアンコールにも応え、会場の86

駐車場係りの人が心配するほどにも盛り上がり、終えたあと、

夜も遅くなり、それから、ホテル近くでの打ち上げとなりました。

 誰もがホットし、誰もが今今の高揚を抱え、愉しい夜となりま

した。わざわさ札幌日中から、古本理事長も駆けつけて下さり

コンサートを聴いて下さいました。

 たった今済んだばかりの感動を確かめ、話し合い杯を

 交わしておりました。ここでも中国語が飛び交い、それを

 会員で中国語が出来るものがサポートするという、身内

 だけの愉しい時間を過ごしました。

  劉団長から、函館日中に記念の「書」が贈られ、二人で記念の写真を。

  夜遅くまで、何時までも話し合ってましたが、いつまでもいつまでも、

  話が終わらないようなそんな、ながいながい一日が終わりました。

   最大の目的である、コンサートはこうして無事終えることが出来、

   函館市民の心にいつまでも残る「音のプレゼント」が何よりの、記念となりました。

  

   ここに到るまでにも、また、当日を含めてここに書ききれないくらいの

  多くの方のお世話になりました、また、多くの方に支えられ、決して大きな組織

  ではない函館日中がこのような大きな企画を成功裡に終えられましたことに、

  ここに改めてお礼申し上げます。

    ありがとうございました。

                       函館日中友好協会 

 

 

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2009年12月 7日 (月)

昨年 の 中国民族楽器コンサート を 振り返って

  今日、函館は朝から雪です、Yinyuehui

 積もりはしないでしょうが、今も

 降っています。

  暦をみたら今日は「大雪」と

 ありました。暦ってけっこう良く出来てます。

   丁度、一年前の昨年の今日、函館日中友好協会では、

   翌日に、「中国民族楽器・悠久の調べ」のコンサートを

   控え、その準備に追われておりました。

   昨年、この時期は雪ではなく、まだ道路も乾ききっていて、

  寒さは

これほどでもなく、とてもよい天気でした。

   このコンサートが画期的で、特徴的だったのは、

  このコンサートの企画段階から、終えるまでの全ての準備と迎え

  入れてのお世話から、各交流先の手配まで、あらゆることを全て

  私ども日中友好協会が所謂そうしたプロの力を借りずに内輪の

  人たちの手助けで成し遂げた、という点と、

    中国民俗音楽のコンサートを中国からのその専門家を5名

  お招きして開催し、それが、ここ函館の地を目指して、5名の

  中国瀋陽音楽学院の先生方5名がいらっしゃり、函館での演奏

  をされ、そのまま、函館の地で音楽交流をされて滞在されお帰り

  になった。つまり、此処だけの為にこの先生方はいらして下さった

  という点でとりわけ特徴的でありました。

    このコンサートを中心に、一週間の間函館の地で繰り広げられた

  民族楽器を通しての地域での交流の様子を、丁度一年目を迎え

  ますので、改めて、ホームページで多少紹介しておりますが、

  この欄でも、この一年を振り返りながら日を追ってこの一週間を

  日毎に今日から毎日紹介させていただきます。

   コンサート前に、すでに私どもこのコンサートの実行委員会は動いて

  おりますが、幾つも幸運にも恵まれ、いろいろな方にご協力をいただいて

  おります。実行委員会・委員はわずか6人。ここから準備が始まり、

  全くこれまでこうしたコンサートなど開いたことも、係わったこともない素人

  集団が、恐る恐るその準備をしている段階で

Pannfu  こちらは、コンサート当日の会場配布のパンフですが、

 先ずその前にポスターを作ることになり、誰もそんなことを

 したこともなく、困っているのを見かねて、

  FM・イルカ パーソナリティの 橋本 孝 さんが

 ボランティアでポスターデザインをかって下さいました。

  このポスターがまた、セピア色に色調を抑えた大人のポスターとして、

  ともすれば派手派手目立とう!ポスターが多い中で異色の、素晴らしい

  パスターとそして、パンフが出来上がりました。

    また、同じく FM・イルカ の 山形敦子 さんにコンサート当日の

  会場・司会者をお願いしたところ、快くお受けいただけました。

    その間にもこの、瀋陽市からのお客様をお迎えするための準備が

  こちらでは進んで、入国申請の書類や、チケットの手配、入国後のホテル

  の手配、楽器の運搬準備など、こちらも何度も言いますようにこれまで

  したこともない、全くの素人がその準備を進めて参りました。

    驚いたのは、予定していた、瀋陽→千歳の国際便が突然この近くで

  航空会社の都合で、利用できなくなり、急遽チケット手配を、切り替えて、

  瀋陽→韓国→函館の、乗り継ぎで入っていただくことにはしたものの、その

  際の当初の予定にはなかった、韓国一泊のホテルの予約、楽器の保管

  などの問題を全て、なんとかメールの遣り取りで間に合わせることが出来ました。

    この間の遣り取りは全て団長の劉剛先生とのメールの遣り取りです。

  先生はこちらの手配にも余り文句も言わず、突然の変更にも、飛行機会社

  のせいですからしょうがないでしょう、と泰然自若としてもの。流石中国人は

  懐が深いというか、こちらのお願いも軽く応じて下さいます。

  

    さて、ということで、この5人の先生方は実際には12月の6日、瀋陽を

  後にして、韓国に入ってます。瀋陽を離れる際にも間際にメールをいただき、

  あぁ~いよいよだな、と思わせるものがあり。こちらが勝手に予約した、

  韓国仁川空港近くのホテルも、ネットでその画像を確かめ、送迎があることを

  確認し、中国語通じることもチェックし、予約しました、それでも楽器の扱い

  など心配はありましたが、電話で連絡が来て、大丈夫!とここでも太っ腹。

   7日、函館は好い天気でした。仁川→函館の国際便は午後に函館に

  着きます。勿論、受け入れ側である我々実行委員は函館空港へ出迎えに、

  このとき、私が独り、劉先生とは会ったことがあり、面識がありましたが、

  他は全員私も含めてこの日が皆初対面です。

    かなり、空港出迎えロビーで待たされて、やっとこの5人が楽器も有って

  大量の荷物と出てきた時はホットしました。

    実はこんな取り組みをして始めて経験したのですが、何がプレッシャーと

  いって、もしも何か天候とか他の要件で、この人たちがコンサート当日に

  間に合わなかったのなら、チケットは売ってしまっているし、会場は押さえてるし

  全てその準備に入ってますので、どなるんだろう?とそんな心配でした。

   冬季の天候はありえないことではありませんし、アクシデントはどこにでも

  ありますので、この点が最大の心配でした。来てさえくれればあとはもう

  なんとでもなるのでしょう、と。

    何せ素人の企画なもので、

   この人達が着いたその次の日がもう本番という日程を組んでましたので、

  後になって学習しましたが、ここに余裕をもっていないとダメだと知りました。

   ですので、もし一週間滞在するなら逆に、後ろに本番の日を設けておいて

  来てから少し環境に慣れてもらい、また、万が一の備えも必要であることを

  後になってしりました。

    到着後さっそく、実は函館丸井今井デパートでデモ演奏家を予定していて

  時間の方も心配でしたが、何でもこの人達は、大丈夫、と請け負ってくれて

  実際大丈夫でした。凄い!!

    夜、歓迎の宴。と、いっても先に言ったわずか数名の実行委員会と

  お客様5名の10数名の歓迎会は、日本料理のお店でしましたが、

  明日の本番を控えていても余り緊張とかしないのか、とても少人数の

  打ち解けた宴会が、続き、愉しかったのを昨日のことのように

  思い出されます。

    ということで、明日からもこの5人の演奏家の函館滞在の様子が

  振り返ってお伝えすることになります。

   どうぞ、ご覧下さい。

   ということで、この一週間は他の関係は触れることができませんので、

 予めここで、函館市国際課から送られてきた、催しものご案内を

Kyokutou_gaidagku  ご覧のように

 8日16時開演、

 函館市民会館大ホール

 入場無料だそうです、

 詳しくは、

  ロシア極東国立総合大学

  函館校

  のホームページでも

  ご覧いただけるようです。

   どうぞ、ご覧下さい。

   更に、

    中国国際放送局日本語部の 『かけはし』を

  函館日中宛てに大量にお送りいただきました。ありがとうございます。

  希望者に配布したいと思っております。

                 お礼をお知らせです。

      函館日中友好協会

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2009年12月 5日 (土)

外国人労働者の生活と人権ー『扉を開けて』今週読んだ本

Tobira_wo 『 扉を開けて 』

 ルポルタージュ

  外国人労働者の

  生活と人権

 信濃毎日新聞社編

  明石書店刊

  

 1992年発行の古い本でして、別にこの本を此処で紹介することが

 目的ではありませんので、単に最近、あることがあってこの本をまた

 書棚の奥の方から引っ張り出してきて読んでいた、というだけで、

 私が知りたかったのは、日本はこの問題を一体どう捉え、どう

 しようとしているのか、という受ける側の日本の問題と、

  受ける側があれば送る側があるわけですが、私にとっての

 送る側はすなわち、中国ですので、一体中国側はこの問題をどう

 捉えているのか、或は直接来ている人たちが何を思い何を考え

 ある人はその期間を追え、帰国し、ある人は挫折し、ある人は

 法の網を逃れてなおも居ようとする。

   これらの問題は何故に起こり、問題があるとしたならそれは

  那辺にあり、何故解決されないのか?

   ずっとこの問題に引っかかってまして、気持ちが重いのです。

  ある問題、外国人受入の「外国人研修生」制度の問題を書いて見たい

  とは思ってはおりますが、それがこうした(ブログ)場が相応しいのか

  どうか、このスペースで書ききれる問題なのか、私の手に負えるような

  問題なのか、で迷ってます。書ききれないだろうと。

   迷いながら自分でも少し調べてみようと思い、手元にある資料と、ネット

  見ました、過去の記録もそこそこ当たってみました、

   そこで、今週読んだ本は、この本と、もう一冊、題名もそのものの

  『外国人研修生 殺人事件』 安田浩一著 七つ森書簡刊、の二冊です。

   取り上げたこの本「扉を開けて」が特徴的なのは、その発行元で分かる

  ように、地方の新聞社が編集してますので、都会ではなく長野という地域

  からの発信であるという点で特徴的です。ともすればこうした外国人の数が

  多いのは勿論東京なり大阪といった大都会ですの、そこでの問題が取り上げ

  られそうですが、実は逆でして、「外国人研修生」の問題は都会よりは

  逆に地方でそれも田舎といってもいい地方で問題となっているのを案外

  皆さんは見落としているのではないでしょうか。

   こうした地域では、都会ではきっと解消される問題が逆に大きくなり、

  田舎には田舎の良さがあるのですが、残念ながらその田舎の特性が逆に

  足かせとなっている部分が大きい。私が何が言いたいかをもうお分かりの方

  はお気づきと思いますが、同じ外国の方が暮らしていても、大都会だから

  こそ、抱える問題(以前はこの手の外国人が暮らす大都会での犯罪なり

  さまざまな問題が表面化して問題)と、外国人労働者が暮らす地方都市や

  さらに過疎とも言われるような、日本の若者が捨てていって戻らないそんな

  地域での(外国人研修生・農業・漁業研修生の多くはこうした日本各地の

  過疎の地域にある)問題とでは別の面の問題を抱えている。

    ;この点はどの本も余り重要視しないのか触れていないことが多い。

   この本は「扉を開けて」と言っている、ある人は外国への「窓」を開けてみたら

  いろんな思わぬものまで一緒にドット入ってきちゃった、と表現してる。

   だが「扉」も「窓」も閉じたままでいることは叶わない、

   が、「国際化」の美名?のもとに「地域も国際化」を急ぐと言っている、

   自分たちも出てゆくし、外からも入ってくる、それが自然な形であることは

   論を待たない。

    そして、どう入れるかには政策があり、法がある。

 

  この本のお終いのあとがきを引用させていただく、

  --お互いの理解のないままに、安易に外個人労働者を受け入れていった

     場合、その地域は、外国から働きにきた人たちは、いったいどうなって

     いくのか。失礼な言い方だが”労働奴隷”をつくりかねない。今度の

     連載で、二百人におよぶ外国人労働者へのインタビューを通じて、

     それが危惧ではなく、現実に進行している実態が明らかにされた。

     法律上では「不法な存在」ゆえに、人間としての権利や尊厳、時には

     生命さえ脅かされている「現実」である。現状の一端を紹介しながら、

     住民の意識が、さらにには日本の社会システムそのものが、いかに

     日本人を中心として閉鎖的なものであるか、それを打破していく問題点

     はどこにあるのか。信州という、末端から告発したつもりだ。が、取り

     組んでみて、その道のりは険しく、長いことを痛感している。県紙として

     の小紙にとって、重い課題だ。(後方省略)

      -----

    なっている。本一冊にまとめてもまだ道のり険しく長い、と言ってる位だから

    この問題は大変だ。

     ということで、今日のブログも長くなってしまった。

    最近になって、各地で中国人研修生の問題が発生しております。

    これは、たまたま最近になって偶然そうなっているのか、

    或は何らかの要因があってそれが続いているもなのかも調べてますが、

    いずれにしても気の重い問題です。気が沈みます。

    もっと、明るい話題にすれば良かったなと、ここまできて反省してます。

    函館は今日一気に冷え込み、寒さが増してます、どうもこんな時に

    こんなことばかり考えていては、暗くなるばかりです。

  何の解決策もなく(ある訳がないか。)長い話に付き合っていただき

   ありがとうございました。

   何かありましたら、どうぞご教授下さい。

   

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2009年12月 4日 (金)

高等学校 での 中国語教育

 一昨日の此処のブログでの、市立函館高等学校の中国語講座のお話に

 いろいろご感想をいただき、ありがとうございます。

  また、高等学校での中国語教育へのお問合せもいただきました、

 現在のところ私の分かる範囲で返信を書きました。

  ネット上に今は沢山その手の情報もございますので、どうぞ参考になさって

 下さい。

Hanyuke 最近ではたまには、新聞や一部雑誌などの活字媒体でも

この高等学校の中国語教育の問題が取り上げられることも眼に

するようになりました。

 上は、中国専門雑誌に取り上げられた、

  高等学校中国語教育研究会(高中研)の全国大会のニュースが載っています。

  今年は6月20日21日に岡山商科大学で開催されその様子です。

    今年のテーマは「中国学習と文化理解」というものだったようです。

   私は残念ながら、この大会に参加したことはございません。

   学校教員が参加する会議に日時設定としてこの時期ではなく、夏休みや

   どこか参加しやすい設定が必要なのではないでしょうか。

   また、現行中国語専門の教員が教壇に立っていることはすくなく、多くは

   私もそうですが、講師がその場に当たっております。

   これも過渡期的な問題でしょうが、できるだけ早く教職員で中国語が出来る

   方が増えることを願っております。

  

   更には個人的な希望として、もっともっと中国語が学科として選べる学校が

   増えて行くことを願っておりますし、そうした中国語が選べる、学べるという

   ことで、その学校が選ばれるような、学ぶ側にも積極的な意向が出始める

   ことを願っております。

    多くは二つの理由からです。

   一つは、必ずこれからは中国語が必要とされる度合いが増してゆくこと、

  今一つは、隣国ですから、もっと我々も中国側も関心をもってしかるべき

    であり、互いに影響しあうことは黙っていても免れませんが、そうであるなら

    尚のこと互いの文化を理解し互いを知り合うためにも言語は必要です。

    それを何時始めるかの問題で、

    これまでは、高校などは一部を除いては考えられず、

    せいぜいが大学で、それも全ての大学に無かったのが、

    今ではほぼどの大学も選択は可能となりつつあります、

    高校で取り入れている学校があってもそう奇異な感じは受けなくなって

    きました。時代でしょう。

     私はいい時代になったと思ってます。

    こんな恵まれた環境をあとは若者が存分に利用してくれることを願ってます。

                函館日中友好協会

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2009年12月 3日 (木)

中国茶 で 憩う、16年目を迎えた茶館『隗』

Kai  先日、

  「函館新聞社」の取材を受け、

  新聞紙上、(11月21日)

  暮らしのアクセス 欄に

  お店の記事を載せて

  いただきました。

  ありがとうございました。

   こちらも、お礼が遅く

   なって申し訳ございません。

   茶館「隗かい」を始めてもう16年も経つのかと、今更時間の経つのが

  速いのに驚いております。

   16年、「隗」を支えてくださった皆様にお礼を申し上げます。

   また、これを機会に「隗」ってどんなところ?と興味をおもちの方は

   一度どうぞ、足を運んでください。

    時間をどう過ごすかは、その方の過ごし方ですが、黙っていても時間は

  流れるように過ぎ去っていくわけでして、そんな時間を偶にはグッと自分の

  方に引き寄せて、ゆったりと自分の時間をお過ごしになるのは如何ですか。

   それには、寛ぎの時と場所を持つのが一番。

    その一つとして、心休まる二胡の音楽と、香りたつ中国茶が憩いの

   ひと時を多くに方に味わっていただきたいと思っております。

    中国茶は以前に比べれば大分知れ渡っては参りましたが、まだまだ

  その奥深さと、魅力が知られていない面がございます。どうぞ、一度本物の

  の中国茶に触れてみて下さい。

    決して高い物ではございません、一般の喫茶店に入るような感覚で

  全ての値段設定がされておりますし、点心なども数百円で材料から手作り

  のものが味わえます。余り商売気がないようでして、とても儲けるような値段

  設定にはなっておりませんで、

    加えて、最近になって、中国茶の香りを損なわない為に、店内全面禁煙

  に踏み切りまして、喫煙者の皆さんには我慢をしていただいております、

   また、店を営んでおりますに何故か、日曜日が定休日となっておりまして、

  こちらでも一部お客様にご不便をおかけしております、

    更にいま考えているのは、店を週休二日制にしょうか、と常連のお客様

  には「無謀!」といわれる、不埒な考えもありますが、こちらはまだ未定。

   という具合でして、営業面では、余りやる気の見られないお店ですが、

  中国茶の茶葉その他は中国から直接仕入れ、その仕入れにも相当

  こだわって、こちらの面ではやる気十分のお店です。どうぞご愛顧を!!

    ついでに、なんでそんな変な店名「隗かい」なんだのご質問が多いので

  簡単に。中国に「戦国策」という本があるのですが、いろいろな話題が有る中、

    誠欲致士、先従隗始

     誠に士を致さんと欲せば、先ず隗より始めよ

   と読み下しますが、

    燕という国の王様、昭王は優れた人材の登用をはかるため、郭隗という

  名の家臣に相談します。そうするとこの隗は

   「昔ある王が千金を投じて名馬を求めまして。そこで千里を駆けるという名馬を

    求めてやっと捜し当てましたがその馬はすでに死んでました。それでも大金で

    この馬の骨だけ買って帰って来ました。王は骨だけもってきたことで怒りました

   すると隗は、「死んだ馬を体験で買ってきたのは、死んでもこんな大金で買う王が

    いるということなら、もし生きていたらあの王はもっといい値で買ってくれるに

    違いないと評判になり名馬はすぐに集まりますよ」と隗は落ち着いたもの。

     果たして、一年も経たぬうちにつぎつぎに名馬を王のもとに。

      そこで、隗は、本気で優れた人材を王が求めるなら、

     まず、この隗から始めなさい

    そうすれば、あの隗でさえ重用されるなら、と優れて人物はどんどん集まる

    ことでしょう、と言った。

     で、このエピソードは日本では「隗より始めよ」として、

   多少意味が転じて、「言い出したものから始めなさい」として使われております。

    早くから、中国茶の魅力や、中国音楽、中国の文化に触れる

    そんな場が函館の地にもあって欲しいとの話をあちらこちらでしているうち

    そんなに言うなら自分が「隗」になれとの勧めで、

    始めたお店ですので、この名前になっております。

    店内には中国のグッズ、中国情報誌『隗報』、日中友好協会事務局

   ともなっておりますで、そらに関心がおありの方もどうぞ、一度足を運んで

   下さい。

     取材にきていただいた、函館新聞社の方ありがとうございました。

   掲載いただいた、函館新聞社に感謝いたします。

     ありがとうございました。

   

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2009年12月 2日 (水)

高等学校での中国語教育ー市立函館高校・中国語講座終了

  市立函館高等学校での「中国語講座」の授業が終了いたしました。

 こちらは、市立函館高等学校が、学校指定科目の試みとして、今年、

 「韓国語」と「中国語」を三年生対照の選択科目として取り入れたものです。

   4月、学期が始まったと同時にスタートし、3年生は12月を迎えこのあと

 の授業が不定期な点や、卒業を控え様々予定が重なるため、11月末までを

 講座の期間として、週2コマの授業でスタート致し、この度、その授業が

 終了致しました。

    学校の皆様に暖かく迎えていただきましたこと、

    生徒達と大変楽しい授業ができましたこと、

    いろいろ配慮をいただき、無事期間を終えることが出来ましたこと、

    心よりお礼を申し上げます。

   まずは、この様に学校カリキュラムの中にアジアの言語を二つ組み込んで

  下さった試みにお礼を申し上げます。

   昨日のここのブログでも書いておりますが、各地でこれまでになかった

  アジアの言語を学校教育の場で教えておられる先生方も増え、その

  ネットワークが出来るような時代になって参りました。

    更に、中国に限っていうなら、今後「中国語」の占める割合は益々その

  必要性を高めて行くことは、すでにもうその兆しが見えております。

    また、言語に限らず、異文化理解の重要性はとりわけ、学校教育の

  ような場で若い人達に知っていただく場を提供できることは、つとめてそうした

  場を多くもつように今後もすべきと考えております。

    異文化理解の一番の近道というか、一番の”道具”こそが”言語”であり

  ”言語”はその民族の文化を代表し、具象化しているものである、

   との考えから、

   また、私ども協会の活動の柱として、よく隣国を理解して貰う活動があります。

  それは、単に好い面ばかりを見るのではなく、その歴史や文化の成り立ちから

  なぜそうなるかを理解する、好きにつけ悪しきにつけ、人間のやっていることは

  どの民族にも長い歴史があり、習慣が出来上がり、民族性が形作られ、現在

  に至っています。

    ですので、現在だけ見て、また、その表面だけ見てはその国を理解でき

  ませんし、向うからも理解されることはないでしょう。

    世界は益々狭くなり、人と人の交流は益々盛んになり、物はもうすでに

  何の境もなく使っていますし、情報も瞬時にして世界を駆け巡る時代となり

  ました。

   これからの若い世代が、もし関心をもったら、或は関心を持つ様に

  学校教育の場に、アジアの言語があり、選択できることは、私はとても

  大切なことだと思っております。

   すでに大学は殆どの大学が「中国語」を選択できる環境が整いつつ

  あります。そして、今は高等学校の部分でこうした動くが見られれるように

  なって参りました。

    良い時代と思います。

   作家・井上靖さんが、相当前の話になりますが、

   それまでは、大人の読み物としてしか出版されていなかった

   中国古典を編むことになって、井上さんは訳はしませんでしたが、編集に

   携わり、水滸伝・聊斎志異・史記などを出版するに当たり

    「私が学生の頃、もしこうした作品が子供向けに分かりやすい訳で

     出版されていたなら、私の人生はまた別のものであったかも知れない」

   というようなことを、確か出版された本の帯に書いておられました。

    環境を整える、というのが大人のある役割だと思います。

    それを若い人たちに提供できる。そうした環境作りこそが大人に課された

    役割なのかも知れません。なぜなら、学生達にはそうした場がないから

    です。

    今回の市立函館高等学校の授業は、生徒さんの数も少なく、大変贅沢な

   授業をさせていただきましたし、どの生徒さんも大変興味をもって話を

   聞いていただけましたので、教える側から言わせていただいても、

   有意義でした。授業はよく言っておりますが、教える側だけ独り張り切っても

   ダメでして、教える側と教わる側が同じように、教えたいことと知りたいことが

   上手くかみ合ってこそ、授業は楽しく、です。

    このことは授業に限らず、古代から孔子もものを教えるとは何かを

   言っておりますし、よく言われるように、水を飲みたくない馬に水を飲ませる

   のは大変だ、というのと同じです。

 Ke_ben

 今回使った教科書は白帝社刊

  その名も『高校中国語』という教科書ですが、

   中国はすでにこのように高等学校向けの

   テキストが出版されるほど、全国での授業に

   取り上げられており、その必要性もあった

   こうした教科書も数年前から出版されております。

   この教科書は右側に〔第2版〕とありますように、すでに版を

   重ねておりますし、このほかに、若い世代に向けて四角に訴え

   る、カラーイラスト満載のものや、他の出版社でもそれぞれ

   特色のある教科書が出版されている、

    もう、時代はそんなところへ来ているのだ、ということを

   知ってもいただきたいと思います。

    市立函館高等学校の、全ての先生に、

    この「中国語」講座の企画を図ってくださった先生に、

    こころよく取り入れてくださった、教頭先生・校長先生に、

    お世話をいただいた、事務のみんさんに、

    直接お世話をいただいた、松木先生に、

    そして、何よりも長いこと毎週毎週楽しい授業がもてた、

    「中国語」講座を選択したくれた生徒のみんなに、

      お礼をもうしあげます、

      ありがとうございました。

          函館日中友好協会

        会長   東出  隆司

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2009年12月 1日 (火)

仲間とつながる、何かが生まれる、 ネットワークの力

Kokusai_houramu 財団法人 国際文化フォーラム

 発行の、

 国際文化フォーラム通信

 No84号 09年10月号

 お送りいただき、ありがとう

 ございました。

  毎回大変興味深いまた、

 適切な視点の特集が組まれて

 いて、感心致します。

  今号の特集は「ネットワークの力」

 インターネットの急速な普及と共に人と人の繋がりにもスピード

 とこれまでにない、広範囲の交流が可能となって参りました。

   さまざまなネットワークのとり方の一つに、こうした国際文化

 の活動を学校の教師がそれを支える場も多く見られます。

   学校の教師が学校内だけでなく、地域との繋がり、さらには

 ネットを利用してのこれまでは不可能だった広範な地域の人たち

 それも職業をも超え、年代も超えた繋がりが持てるようになった

 ことはとても素晴らしいことと思います。

  この特集で、学校教師が関わるいろいろなネットワークの事例が

 紹介されております。

   中国では、

  北海道登別の松山先生が、「地域でのネットワークづくり」の文を寄せて

 おられます。

   「広い北海道で点と点をつなぐ」と先生が書いておられますように、

  北海道のように広い地域こそ、その特性を生かし、コンピューターを

  使ってのつながりや、交流が生かせるのではないでしょうか。

    ご努力のかいがあって、北海道支部というのが出来て

  (高等学校中国語教育研究会・高中研、北海道支部)

   全国でも八つの支部ができ活動をされておられるようです。

  もうお一方、

   神奈川横浜の潮田先生は

  「つながりから広がるつながり」と題してやはり地域での活動を

  紹介されておられます。

    こちらは横浜の学校で教えておられ、横浜ですので、中華街との

  つながり交流などやはり地域の特性をいかした活動、つながりの

  様子が伝えられております。、

   他にも韓国語先生お二人のほか、

  「教師ネットワークが生み出す力」などの特集記事は大変参考に

  なりました、ありがとうございました。

     JTFには当然、ウェブサイトがあります、

  興味をおもちの方は、どうぞネットで検索または、

   http://www.tjf.or/jp/

     へアクセスして見て下さい。

   フォーラム通信をお送りいただきありがとうございました。

  お礼が遅くなりましたことお詫び申し上げます。

              函館日中友好協会

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