私は「毛主席の小戦士」だったー今週読んだ本
中国の文革世代に興味があります。同時に中国・毛沢東の時代にも
興味があります。それは、私の年代が重なっていることが大きな要因でしょう。
新中国は今年10月1日、60周年を迎えます。干支が一回りしたということで、
人間であれば還暦を迎えるその中国。
よく言われるようにこの60年はほぼ前半の30年と後半の30年に奇麗に
分かれます。前の30年を書くことがここ数年中国の総ての作家の課題となって
いました。その意味で、先に紹介しました『兄弟』のような作品に興味をそそられ
ます。
その間を何で表現するかの問題ですが、書籍であれば、小説として形作るのか
ドキュメントとして記録するかの違い、更には今日紹介するような形での個人に
おけるその時代を振り返っての、今の感想という、というかたちがあります。
どれにも興味があってできるだけ目を通すようにしてますが、その数は半端
じゃありません。
書評欄か、新刊紹介欄でこの本のことを知りました
が実際に購入したのは昨年に、最初に読んだのも
昨年のこの頃です。
作者は今日本におられるようです。
1962年のお生まれですから、文革世代
としては確かに小さい頃のことで、運動の何かも
わからないまま、台風にでも巻き込まれるようにごく自然に?その中に
入っていった世代の、その時代を振り返っての感想が述べられております。
実はこの世代のもっと違った観点からの本を期待してましたので、その
期待とは違ってましたが、作者は更にその後日本へ来て中国を眺めるという
ちょっと違った視点をもちましたので、これまたこの世代の特有の鬱屈した
何かとはまた違った形での屈折をもちます。
たとえば私がこの時代中国にいたとするなら、私も同じように小戦士となる
べく若いエネルギーをそれに注ぎこんでいたのでしょう。
”時代”というものはそういうものです。抗いがたいものがあります。
”時代”を抜きにしてそれぞれの暮らしはありませんし、”時代”を見据えて
何かを知る人がいるなら、その人は”時代”とある距離を置いてますので、
その”時代”が去っても、次ぎの新しい”時代”との距離が縮まるのか更に
開くのはこれまた”時代”のなせる業です。
この本で著者がたびたび提起してますが、
日本に来て気づいたことは、中国に嘗てはあった、独自の文化なり思想が
中国では総て亡くしてしまったが、日本には今なお歴然と残っていて驚く
日本人の暮らしが書かれていますが、
そうなんです。中国で破壊されたそうした”もの”たちが、日本には残った。
一度壊されたそうした”もの”を元に戻すのはいかに難しいか、
元のままには戻らないのではないか。
「毛主席の小戦士」の部分の記述は全体には少なく、その点ではちょっと
不満ですが、小戦士はそう考えがあってなせる業ではなく”時代”がそう
させたのであって、そうであるなら”時代”を書ききらなければならないことに
なりますから、それは大変な作業となりますし、誰も書ききれない問題なの
かも知れません。
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