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2009年6月18日 (木)

日中友好交流会議 に 寄せて 弐

  先月5月13日、14日に香川・高知で開催されました、「日中友好交流会議」

  への感想の続きです。

   会議そのものは、どの会議も基本的にはそう愉しい心踊るものではありませんし、

  ともすれば退屈で、型通りのものが多くなります。事前にある程度のことは見えて

  いますし、予測も可能です。

   ですが、会議は集まって話し合わなくてはならない大切なものを定期的に処理する

  ために不可欠ですし、この集まること自体がとりわけこうした交流の側面を担って

  おりますので、会議は大切な要素をもっております。

  

    昨日すでに、幾つかの感想を述べました。

   一ヶ月を経過した時点で、現在のこの会議の情報量は少なすぎる、と感じている

  お話をしました。実は上のような理由で、私がいま見たいのは、会議そのものの

  内容もさることながら、少なくとも230名以上の方が参加して、会議に準備その他

  のスタッフも加えたなら300人規模だと思うのですが、参加された方の会場の

  雰囲気とか、会議以外の場所でのまさしく交流の様子などを発信している情報が

  ちょっと私の調べ方が悪いのか(中国側のホームページにも入って調べてみました

  が検索の仕方が割るのかひっかりません)見当たらない。これは残念です。

    中国側参加者の名簿を拝見しますと、

  中日友好協会の関係者が17名、天津市2、河北省7、吉林省6、内モンゴル

  自治区8、上海市8、江蘇省3、淅江省1、山東省3、河南省3、湖北省6、

  広東省10、重慶市7、海南省6、四川省6、チベット自治区4、陜西省2、

  青海省4、寧夏回族自治区1、江西省4.といったような参加配置人員で、

    お気づきでしょうか?北京からの代表を中日友好協会代表団が兼ねて

  いる形で、あとは流石出易くて、大都市の上海と広東省を別にすれば、とても

  これだけの人を広く集めるのは大変ですのでその意味でもこの会議は意味深い

  といえます。

    とりわけ、青海省や、海南省や、ひとつは国外のアクセスがよくなかった地方、

  もうひとつは、これまで余り国外会議への参加が多くはなかった奥地であったり、

  内モンゴル自治区や、チベット自治区からの参加をいただいているのを見ると

  会議の持ち方というか、国外への出かたが、ともすればこれまで中国大都市の

  出易いお役所のそんな地位の方で占められていたのがやはり中国側もすこし

  ずつ変わってきていて、とても良いことだと思います。

   もっともっと大陸の中の人たち(海を見るまでに数千キロの移動が必要なそんな

  人たちに)島国日本を見てもらいたいものです。

    島国ならではの気候風土とそれに裏打ちされた日本の文化の特異性を肌で

  感じていただける大変好い機会になったことと思います。

    逆に我々も、もっと中国の奥に入ったり、奥の人たちの置かれている現状を

  実際にそうした地域に住む人たちと交流し学ぶべきでしょう。

   その意味で、「地方の時代」が一つのキーワードとこの会議でもなっていた

  ようですので、宋健中日友好協会会長はその点もおそらく加味しての訪問団

  となっているのでは、と、推測いたします。

    中国の方たちは恐らくこの日本での会議に参加されて、お帰りになって

  それぞれの部署にきちんと今回の訪問の感想や論評を提出されておられると

  思いますが、残念ながらそれを目にする機会はありませんし、こうした感想を

  ネットなどで外へ発信するようにはなってませんし、知る由もありませんが、

   それぞれのご感想がどこかで聴けたり、見れたり出来るのであれば是非、

  拝見したいと思っております。そいう場がございましたらお知らせ下さい。

    いま一つは、上の中国側参加者の地域はわかるのですが、年代までは

  書き込まれておりませんので、分かりませんが、どうなんでしょう、壇上の方を

  含めて、限られた写真や資料から、勝手に判断してますが、

   中国側は世代交代が割りを上手くいっていて、若返りがもうすでにされて

  いる、四川省の被災地区を代表しての綿陽市の方をはじめそろそろ1960年代

  のお生まれのかたに移行をしようとしているように思えます。

    少なくとも1950年代世代には早くに移行をすませ、60年代にまさに入ろう

  としています。つまり40代の世代ですね。

    一方、日本側の活動の中心がいまだ、その辺が上手くゆかず、中心は、

  1940年代にあると思います。ひょっとするお30年代かも知れません。

    この20年の差と、変わるスピードの違いにもっと注意を払う必要があります。

    活動の主体を構成する年代層によって、いろいろなものが変わりますし、

  影響されるのは必然です。

   そして、活動は受け継がれるものを前程としてあるのであれば、

   受け継ぐ人たちの、担い手の準備が必要で、中国は割りに上手くその点を

  こなしているのを、交流や会議の場で探って貰いたかったのですが、

     今日も話が長くなりすぎました。

     明日もう一度このお話をさせていただいて、

     最後の感想と締めくくりをさせていただきます。

                          明天同一個時間、再見!!

                  函館日中友好協会   東出

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