中国路上観察記、『隗報』72号
この号の私の文章は
「大街上的商人」
ダー・ジェ・シャン・ダ・シャン・レン
と読みますが、
街にいる商人と言うより、街上は路上の意味のほうが強い
ので、大道商人とでも訳しましょうか。
それで、中国の路上は面白いですね。
まず、道路の交通そのものが行かれた方は皆さんお感じになった
でしょうが、もう目茶苦茶ですね。車・自転車・歩行者が入り乱れて
います。そして、いつも人が多い。半端じゃなく多い。
この人はサンザシの飴かけ、を売ってますが、
さまざまなモノが道路で売られています。
それなりに路上の使用許可などもあるでしょうから
必ずしもこれらの商売が、合法的なものかまでは
私には分かりません。ですが、とりあえず賑やか。
日本の道路は、というか歩道はあるが人は歩いてませんもんね。
私の住むような地方都市ではなおのこと、車は行き交うものの、
歩道を歩いている人は日中でもわずか、夜ともなれば人っ子
一人・・・・ですね。
公園もそうです。中国の公園は何時行っても人が沢山居て賑やか、
どこへ行っても活気があるように思えます。
街をただ歩いていても楽しいのはそのな、活気のせいかも知れません。
小さな子供からお年寄りまで、年齢も様々なら
扱っているモノも様々。
毎日のようにそこへ出てきては立っている。
お客のほうも何処へ行けばどういう人がいるかを
事前に情報として知っておく必要があるので、今は買わなくとも、
そのうち必要な時もあるだろうから、ちゃんとチェックしておいて、
値段なんかも時々ちょっと声をかけて確かめたりもしている。
買物って本来こういうものだった。
それが今はみんなラップに包まれた、或いは綺麗な包装で包まれた
モノをそれはそれは明るい蛍光灯の下で、
買い物籠にポンポン放り込み、
それがレジにいくと、機械の前を通すだけで値段が打てて、合計の
支払額が表示され、黙ってそれを払う。
買物に言葉は必要なくなった。中国のように路上の商売でなくとも
私のところの近くに、中島廉売という昔ながらの屋台が並んだ買物市場
があるが、こうした対面式のモノを売る場はますます少なくなってきた。
「コンビニが確かに便利だが、便利の影も見なくては。」と言ったら
友人に「コンビにはあんなに蛍光灯で何時でも照らしてるから影なんか
できないし、見ないんだよ!」と言われた。
たしかにそうかも。
| 固定リンク
コメント