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2009年3月18日 (水)

中国路上観察記、『隗報』72号

Kaihou_72 昨日お知らせしました、『隗報』最新号、

 この号の私の文章は

「大街上的商人」

 ダー・ジェ・シャン・ダ・シャン・レン

 と読みますが、

 街にいる商人と言うより、街上は路上の意味のほうが強い

 ので、大道商人とでも訳しましょうか。

  それで、中国の路上は面白いですね。

  まず、道路の交通そのものが行かれた方は皆さんお感じになった

 でしょうが、もう目茶苦茶ですね。車・自転車・歩行者が入り乱れて

 います。そして、いつも人が多い。半端じゃなく多い。

 Tanghulu_2  さて、歩いてる歩道には歩道で物売りの人たちがいます。

この人はサンザシの飴かけ、を売ってますが、

さまざまなモノが道路で売られています。

それなりに路上の使用許可などもあるでしょうから

必ずしもこれらの商売が、合法的なものかまでは

  私には分かりません。ですが、とりあえず賑やか。

  日本の道路は、というか歩道はあるが人は歩いてませんもんね。

  私の住むような地方都市ではなおのこと、車は行き交うものの、

  歩道を歩いている人は日中でもわずか、夜ともなれば人っ子

  一人・・・・ですね。

  公園もそうです。中国の公園は何時行っても人が沢山居て賑やか、

  どこへ行っても活気があるように思えます。

  街をただ歩いていても楽しいのはそのな、活気のせいかも知れません。

   また、こうした大道の商人たちを見ていると本当に逞しいです。Mai_chaye

 小さな子供からお年寄りまで、年齢も様々なら

 扱っているモノも様々。

 毎日のようにそこへ出てきては立っている。

 お客のほうも何処へ行けばどういう人がいるかを

  事前に情報として知っておく必要があるので、今は買わなくとも、

  そのうち必要な時もあるだろうから、ちゃんとチェックしておいて、

  値段なんかも時々ちょっと声をかけて確かめたりもしている。

   買物って本来こういうものだった。

  それが今はみんなラップに包まれた、或いは綺麗な包装で包まれた

  モノをそれはそれは明るい蛍光灯の下で、

  買い物籠にポンポン放り込み、

  それがレジにいくと、機械の前を通すだけで値段が打てて、合計の

  支払額が表示され、黙ってそれを払う。

   買物に言葉は必要なくなった。中国のように路上の商売でなくとも

  私のところの近くに、中島廉売という昔ながらの屋台が並んだ買物市場

  があるが、こうした対面式のモノを売る場はますます少なくなってきた。

   「コンビニが確かに便利だが、便利の影も見なくては。」と言ったら

  友人に「コンビにはあんなに蛍光灯で何時でも照らしてるから影なんか

   できないし、見ないんだよ!」と言われた。

   たしかにそうかも。

  

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