希拉里・克林頓 クリントン国務長官の訪中
ヒラリー・クリントンの、漢字表記は 希拉里・克林頓 となります。
中国はご存知のように、全て漢字で表記しますので、音を主にとりまして、
中国語発音で近い音が充てられこのようになります。
さて、米国(因みに中国語ではアメリカは美国と書きますが、)
国務長官の外遊は無事日程を終えてお帰りになったようです。
日本にもいらしたのは、報じられおりましたから、ご存じの通り。
今回の、訪中の様子を見ていると、国務長官として
会うべき人にあって、その会った人と話すべき重要課題を話した
という感じを受けました。ですので、クリントン国務長官はご自分の
名前が余りに売れているので、各国かなり取り上げられ報道されていますが
内容はそう目新しいものがなく、日本では拉致被害家族と膝を交えるとか
中国では女性人権活動家とそんな場を作ってました。
ですが、総じて言えることは、緊急の重要課題を、取り合えず会うべき人と
会って、軽く話しをしておく、くらいの外交のようです。
その意味ではこれが彼女でなかったなら、米国の高官が来て地味な話を
したくらいのものですから、そう話題にすらならなかったでしょうね。
政治が話題と取り上げられる時に、或いは外交が大きく話題になる時に
前によくあった、所謂何かサプライズというか奇抜さを求め、
政治が劇場型といわれるのが、はたして好いのかどうか、
劇場型の政治は、劇を見て楽しんでいるうちは良いのですが、
それが一旦劇も終わり、更に後になってその舞台裏まで
見せられたりすると、一気に覚めて仕舞いますから、劇場型で
見せても貰わなくとも、政治と言うのは多少地味でも着々とやって
確実に行われればそれで良いのであって、普通に見えるのが一番
成果があるのかもしれません。
ただ、人間時に刺激も欲しいものですから、何かこうそんなものを
求めたりもするんですね、でも、後から気が付いてみたら、そのことで
(劇を見せられている間に)失うもの多かったりして、
どっちが良い悪い、というより、その時々の、政治をする側の個性と、
それを支える民衆の、演ずる側と観客の両方の好みというか、それらを
含めて”時代”と言えるものなのでしょうが、
麻生総理が今度は、アメリカに出かけてますが、
外交とは、何も無くて帰るとなんだかんだ、言われて評価が低いし、
パフォーマンスに走るとそれはそれで危険ですし、難しいです。
ということで、案外?ご本人の名声を別にすれば地味な外交でしたが
これがどうして、ナカナカしたたかなのかも。
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