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2008年7月18日 (金)

大連 と リンゴ

  シツコイですが、リンゴ つながり、もう一つ書きますね。

  一応このブログ、友好協会のブログですので、それとも

  少しは関係のあることも書かなくては?と、思いまして

  思い出したことがあります。

   大陸、東北の町に”大連ダーリェン”という街があります。

  結構知っている人も多いのでは。

   そこは、どうでしょ、そのまま横にくれば秋田ぐらいの位置

  になりましょうか、東北部の遼寧省という地域では大きな街

   です。大連自体は大都会。この近郊にリンゴ農家が結構

  ありまして、リンゴを栽培しております。

   で、このリンゴの苗木は、まあ、今では現地で何とかしてるん

  でしょうが、最初の頃は日本から苗木を運んで育てたんですね、

   それが、私が住む函館のすぐ近くに七飯町というところが

  ありますが、こちらは果樹栽培が盛んで、その一つにリンゴが

  あります。早くから七飯町のリンゴは有名でした。

   古い協会会員で丸山さんという方がいらして、この方は戦前・

  戦中、いうところの満州におりまして、そのご引き揚げてこられて

  函館へ。中国にもたくさんの友人・知人がいらして、こちららへ

  いらしてからも交流は続いておられてようです。

    戦前にも少しですが、日本の果樹を植えたりはしていたらしい

  のですが、何せその後はそんな悠長な時代ではありませんから、

  当然一端途絶えて、戦後になって再び、気候に適した果樹、という

   ことで、中国側がリンゴに注目。そしてヒトを頼りに辿り着いたのが

  丸山さん。というわけで、丸山さんは中国人の頼みに、今のように

  便利でなかったのに、かなり人力されて、苗木を何度か中国へ送る

  (これだけでも当時は大変です。その手続きだけでも今の数十倍面倒)

  ことができ、北海道のリンゴが、中国東北部でも栽培されるようになりました。

    更に凄いのは、送ったあと、矢張り中国の人は最初のころどうも

  果樹の植え付けや、剪定方法が分かってなかったらしく、その指導にも

  乗り出したようです。先ずはその関係の書籍を送り、専門化の意見を添え

  旅のついでに専門かも一緒に連れて行ったこともあるようです。

   

    そうして、いまはリンゴの故郷、大連、といわれるまでになりました。

   何度か近郊の果樹園にもお邪魔してその写真もあるのですが、

   整理が悪い為今は何処にあるのか探せません。

    その時の印象も、もうすこしこれキチンと枝を剪定しないとダメじゃ

   ないの、というくらい伸び放題の枝が印象的でした。

     それでも、先輩諸氏のそうした協力もあって、中国でもリンゴ栽培

   は根付き大きな成果をあげています。

    日本と中国の結びつきは意外な処でも、その種が育ち

   花を咲かせ、実を結んでいることがあるものです。

    種を撒いた人たちの努力に感心いたします。

 

   そういえば、大連のちょっとしたところに、ポツンと櫻の木が

  あったりしますが、あれもきっと当時の日本人が、日本懐かしさ

  から植えたものなんでしょうね。

    リンゴの味ですか?そう変わらないと思いますが、

  やはり中国での栽培が土のせいでしょうか、管理技術の問題でしょうか

  そうとう以前の懐かしい味?ちょっと酸味が強いのかな、

   そんな味がしてます。旅行へ行かれたら、市場を覗いて買ってみて

  ください。

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