昨日に続き、お正月の話をもう少ししておきましょうか。
中国と日本のお正月は、似てるところもあり似てなくもあり、ですが
でもほら、他の国と比べたならそれはもう似てますよ。勿論、中国のを
日本が取り入れたからですが。
まず、干支ですね、十二支が中国にもありますか?と尋ねる人がいますが、これは
ちょっと、危険ですね。これこそ、日本がそのまま頂戴しただけですし。
更に、近年つとに有名になりましたので、これは、大丈夫かと思いますが、中国の
お正月(春節)は今でも、旧で祝いますので、大概は2月頃、今年ですと2月6日と
なります。まあ中国の人にとっては、数千年の歴史の中でそうしてきていますので、
それは中国が西洋の暦を採用したのはせいぜいが辛亥革命以後の事でしょうから
中国にとっては近代史に入りますので、歴史の永さからいえば、旧暦を使っている
ほうがずっと長いわけですし、理解できます。
日本でも大分少なくはなりましたが、以前は小正月といって、そちらにも祝いの
行事を用意していたものです。そういえば、つい先日全く別のことで話題になった
東北の「なまはげ」は元は小正月の行事でした。あの「なまはげ」伝説「鬼」が
村里にやってくる、の話は中国に
”ラクダより大きく、足も速く、人や家畜を食べる猛獣が、一年に一度だけ山を
降りるのがゆるされていた、その日が大晦日。この怪獣の弱点は赤い火と、音を
怖がることがわかった。そこで村里に人々は庭でかがり火を熾し、竹を燃やして
音を立てて追い払った、このとき竹が火の中ではじける音が凄まじかった。”
という、この竹のはじける音が、「爆竹」の始まりとなる。
で、「なまはげ」のほうは、
”漢の武帝が五匹の鬼をつれて男鹿半島に上陸し、武帝は日頃は野宿して粗末な
ものしか食べていない鬼に、年に一度だけ里に降りて勝手に飲み食いすることを
許した。そこで里の人々は稲藁を燃やし、ごま杵を踏み、音を立てて鬼を追い払っ
た”とあります。その後は、鬼の懐柔策に日本では乗り出し、やってきた鬼に酒を
飲ませ丁重にふるまうというように変わってきてるようです。
お年玉は、中国では圧歳銭ヤー・スィ・チェン と呼び、同じように、新しい年を
迎えたその朝に、それぞれ子ども達にあげます。
門松は中国にはありません。その代り、春聯ツゥン・リェン と呼ばれる
赤い紙に目出度い文言を書き連ねて張り出します。
お屠蘇の話は昨日しました。
おせち料理も、中国にも似たようなのがあって、正月の忙しい時にどうやって
保存がきいて、手を抜いて、尚豪華に見えるかの料理の研究がされていたようです。
更に、精進料理が基本となります。お正月の節目の日は殺生をしたくなかったので
しょう。
これにお正月ですので、縁起をかついで、目出度いものを、となります。
この点は言葉の違いから、何が目出度いかは、多少異なります。
中国では 魚がその発音の音から 余 に通じ。余裕がありますように
紅焼丸子は 丸子は固まっているところから団欒をあらわし、
豊作、子孫繁栄、長寿、開運を願って、なにやらこじつけて色んなものを
持ち出して食べます。
こうした行事もだんだんと生活環境に馴染まなくなり、暮らしも忙しくなり
正月だからといってそんなのやってられないわ、とばかり最近では中国でも
どんどん、省略傾向にありまして、正月気分もだんだん薄れてくるのでしょうが、
それでも、昨日・今日あたりのテレビニュースを見ていると、正月が近づき
帰省する人たちの足の確保のため、中国鉄道部はもう既に特別臨戦態勢に
入っているようです。何せ人が多いですから、半端じゃなく大変です。
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