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2007年11月14日 (水)

李 鋭 函館での講演会 その様子2

Ri_rui  昨日は、李 鋭 函館での講演会の、会場内の様子などをお知らせ

 致しました。

  今日は、当日の彼のお話そのものを中心にお知らせいたします。

  演題は、「漢字による自己表現」という 題です。

  壇上には、彼・李 鋭さんと、その横に 通訳の 毛 丹青 さんが並んで座り、

  李 さんの話を、一段ごとに日本語に訳して、また、李さんが中国語で話す

  というかたちでの進行です。

   まず、彼の提案は、現代社会の中で、英語の占めている割合が余りに重く、

  大きく、ともすれば、我々は気付かずに、その中で暮らし、それに巻き込まれて

  暮らしている。いつか、そのことすら、気にもせずに。

   とりわけ、コンピューター社会にあっては、英語は便利な言語手段としてますます

  その割合を高めている。

   一方、漢字は勿論中国で編み出され、その成り立ちからいっても、英語のそれとは

 全く構成を異にする、言語といえる。

  米語に代表される、言語形態と、私が使う、漢字の表現とは、自ずと離れたものが

 あり、それに合わせることが所謂、近年特に叫ばれているグローバル化だとするなら

 自分は、其処に踏み込まないで、違う道がある筈とおもうし、違う道を見つけ、そこを

 歩いてゆくだろうし、現にこれまでそうして来た。

   そうした全世界を飲み込むような、近代化と言われる浪は一時、漢字そのものをも

 危うくする動きが中国にもあった。それは、漢字を生み出した中国にあっても、ある

 うねりとしてあった。それを漸く持ちこたえたのは、自分達の文化が漢字によって

 支えられていることに気付いた人たちがいたからにほかならない。

   自分はこれからも、当然だが漢字での自己表現をつづけてゆく。

   日本に来て改めて気付いたが、日本の漢字にある、中国が捨ててしまった漢字

 の多くが今尚存在していることに、驚いたし、嬉しかった。

   先に日本が中国から、漢字を数千年前に学んだが、現代は日本人の考えだした

 漢字の使い方を中国が学んでいる。こうした関係は、えいえいと続き、世界にも稀な

 関係を持ち続けていると思う。

  今後も米語を中心として所謂国際化は進んでくるのだろうが、我はそれとは

 違った「道」がある筈と思うし、米語圏以外の国々には是非、自らの文化を大事にし

 いつも、自分を見つめる手段として、自らの言語を通して見続けることを期待する。

  ・・・

  と、いった内容のものでした。

  李 さんの中国語は本当に聞き易く、それを訳している、毛さんの訳も判り良く、

  そう難しいものではありませんでしたが、何せお二人とも作家ですのでそこは

  ちょっと癖があって、なかなか含蓄の有る部分もあって、面白かったです。

   後半を、会場からの質問に答える形で、話を続けられましたが、

  李 さんの 答えは、必ずしも真っ向から質問に対峙したものでは、なかなか

 上手くかわした、質問とは別の回答が、語られてました。

  例えば:会場からの、「現代格差社会をどうみるか?」との質問に、

   李さんの答えは:「格差は人類の有史以来存在するものであり、今に始まった

   ことではなく、人類は・・・・」 という回答でしたが、

   会場の質問は恐らく、近年の中国の格差拡大について、質問したものでしょうが、

  李さんも、それを知ったうえでの、こういう回答だったんだろうと思います。

   李 さんは、格差は永遠にあるものであり、どうということもない、 と答えてますが、

  格差から生まれる様々な問題には一切ふれませんでした、なかなか上手いかわし

  かたといえます。

    全体的に、かたぐるしい題の演題とは別に彼の話し方は、とても柔らかい、

  ゆったりとした、話し振りでした。

    

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