北京の裏町を代表する 胡同(フートン)は、北京近代化、オリンピックを前に
すでに、風前のともしび。
これは、時代の推移ですから、しょうがないのですが、
無くなるとなると、人間どこか、それを懐かしんで、惜しむ気持ちはどこも
同じでして、それを国外の人が煽り、胡同人気。
今回、私達も、無くなるならその前に・・・ということで、北京胡同にある
四合院(伝統建築)を改造して、ホテルにした建物に宿泊。
旅先から北京に戻り、駅前でタクシーに乗り、そのホテルの名と、
ホテルが面している、大きな通りの名を司機(スー・ジー 運転手さん)に
告げると、「そこはホテルか?」というから、四合院を改造したホテルらしい
ですと、こちらも初めて泊まるので不確か。とにかく近くまでとお願い。
俺はもう三代目の北京っ子、が自慢の年配の運転手さん、下を巻き上げる
アール化の強いべランメイ調で捲し立てる。
こちらを旅行者と見込んだ彼は「韓国人だろ?あんたら」とかまをかけてくる
面倒なので例によって、そのまま受け流し、「そうです、胡同を見たくて」
「あ~、胡同ね、少なくなったな、韓国にはないの?」どこにも無いと思います
けど・・、「で、この辺りだけど、胡同の中に有るんだろ、そのホテル」って
ことは、この車一台やっと入る小路の中にあるんじゃないの、胡同の一つ
一つの名前まで知ってる人はいない。そこに住んでる人でもない限り。
運転手さん、やおら携帯電話を取り出し、運転しながら「電話番号?」と
言う、ホテルの番号を教えろというので、「113・・・」と言った先から打って
ほどなくホテルのフロントが出たらしく、「ウェイ!!お宅何処よ?今お宅に
泊まる客を乗せて多分近くを走ってる、今入るのは×××(聞き取れず)」
このあとの電話の向うとの会話は北京人同士なのでしょう、ほぼ内容は
聞き取れず推移。「じゃあ~、ここ左か!」って、曲がれそうも無い直角の
かどをそれも、細い細い路地を、ドンドン進む。もしこの先行けなかったら、
バックで戻るよりないかも・・とこっちは心配になるが、運転手さん、電話を
片手に、ハンドル操作し、相手の話も聞いてる。
「ここらだ~、」と言ってスピードを緩めた先が、僅かに赤いちょうちんが、
それと分かる、四合院ですから、平屋の古ぼけた塀が回された、暗い路地に
ポツンとある、入り口。「着いた着いた!」と彼はこの間の悪戦苦闘を思い
一息ついてる。フロントのお兄ちゃんが駆けて寄ってきて、運転手をねぎらう
私らも僅かだが、運賃にチップを上乗せして、老北京人をねぎらう。
このホテル、外側は四合院ですが、中はすっかりホテルに改装されていて、
調度品その他も、古い時代のものを使用。なかなか趣があって素敵。
わざわざ、こうしたホテルにくるのは、欧米の旅行社が殆ど。日本人は少ない
らしい。夕食をとりに、ホテル周囲をブラブラ、次の日朝も、朝食をとりにブラブラ
胡同はこの一角はかろうじて残されてましたが、それも少し先まで歩くと取り壊され
るとこもありましたらから、いつまで残されているのやら。
で、そこに住まっている人には、不便な点もたくさんありそうですが、旅行で
訪れた者にとっては、なんと、古き善き北京の街をブラブラできて、それは
もう良かったですが、難しいのでしょうね、両方が上手く共存していくのは。
胡同はみな、その小路ごとに名前が付けられています。有名なのは
王府井にあった、金魚胡同(この胡同は壊され、今は名前だけ残され
繁華街の真ん中に、この名の通りがある)や、千本以上の胡同があった。
いまや、その7割近くが壊され或いは一部取り壊しになり、残されている
もの四百本くらい。胡同はどれも通りとしては短いですから、四百と言っても
地域的に見ると、かなり狭い範囲に限られています。
もう一度ぐらい、胡同を歩けるかな~、まあ、どこかは保存されるでしょうが
人々がまだ普通に暮らしている胡同を歩く機会はもう、無いかもしれないな、
と思って歩くと、これがまた良いんですよ、人間って勝手だからな~
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